森村翁の旅行譚③
今回で最終である。森村翁の旅行譚「ダルマ自転車で東海道を大旅行」の下記の記事について傍証する。
④「アメリカ製のなンとかいう車で銀座のナカジマとかナカムラとかいう店で買ったものだ」
⑤「土地ではみなれない車なんで停まると子供達がわっと寄ってきました。前に一度西洋人が通ったことがあるといっていましたから、はじめて自転車で鈴鹿を越えたというわけではないようですな」
④について調べたが、銀座のナカジマとかナカムラはいまのところ見当たらなかった。
帝国自転車製作所や梶野自転車製造所或いは山崎商店(東京神田橋)あたりが有力と思ったのだが、分からず。梶野はアメリカのゴーマリー&ジェフリー社と取引があったことは分かっている。
⑤については、世界一周した米国人のトーマス・スチィーブンスではと思ったが、年代的に8年の開きがあるので別人かも知れない。それと、その自転車はダルマ自転車だったのか安全型自転車なのかも判然としない。明治25年に来日したフランク・G・レンツの可能性も否定できない。彼の自転車はゴーマリー&ジェフリー社製の安全型のビクター号であった。
東海道を旅行中に彼が休憩なので立ち止まると好奇心旺盛な群衆が集まり取り囲まれた。
鈴鹿峠を通過したかは定かではないが同じような光景であったはずである。先進的なアメリカ製コロンビアのダルマ自転車や安全型のビクター号が通れば驚嘆の目でその自転車を取り囲み観察したのである。特に子供は近づいてきて自転車にも触れたり或いは乗せてもらったかもしれない。
A crowd observes him as he stops on the national highway.
東海道を旅行中、好奇心旺盛な群衆に取り囲まれる
The Lost Cyclist、 by David Herlihy
2011年発行 214~215頁
何れにしても森村開作(七代目森村市左衛門)は、日本の自転車史の明治10年代から大正、昭和の時代までその変遷を実際に体験したし、見てきたのである。