2021年7月23日金曜日

森村翁の旅行譚②

 森村翁の旅行譚②

今回の傍証は森村翁の旅行譚「ダルマ自転車で東海道を大旅行」の下記の記事についてである。

②「明治十四年にはじめて輸入された自転車を父上が買われ、小学生のころから親しんだのが、自転車に乗るようになったきっかけだという、もっともその頃の自転車は三輪車。大きな前輪が二輪、後輪は小さいのが一つで、もちろんチェンはないし、サドルは板の上にふとんをしいたといった風なものであった」

この三輪車についてだが、「明治14年」と「大きな前輪が二輪、後輪は小さいのが一つ」
がどうもキーワードになりそうである。
明治14年といえば、当時の新聞によく出てくる広告が横浜のブラット商会の三輪車①である。
この三輪車はスターレー&サットン社製のメテオ(Meteor)で、価格は書いてないので分からないが相当高額であったはずである。

1884年のメテオが載っているスターレー・サットンのカタログを見ると17~18ポンドとある。当時のレートで日本円に換算するとどのくらいになるか分からないが、現在のスーパーカー以上の値段であったはずである。当然、一般庶民にはまったく無縁な乗り物であるが、森村財閥と言われた、森村組で六代目森村市左衛門あれば安い買い物とは言わないまでも購入できたはずである。

そして前輪が大きな2輪で後輪が小さい1輪となると、メテオのロイヤル・メテオの№1ということのなる。
横から見ると④の挿絵が参考になる。
この画は、絵入東海新聞(明治20年4月21日付け)に掲載された連載小説の挿絵で
「才士佳人 政海之奇観」の第13回である。作者は、東海散士(1853-1922)で、本名は柴 四郎である。主な著作に小説「佳人之奇遇」などがある。
 この挿絵は二代目歌川芳宗(1863-1941)で、当時の新聞や雑誌などに多くの挿絵を描いている。代表的な作品に「江戸栗毛 東海堂大河 作 鈍亭魯文校訂 一松斎芳宗 画」などがある。

横浜のブラット商会の新聞広告

1884年 スターレー・サットンのカタログ

③カタログの表紙

「才士佳人 政海之奇観」の挿絵


次に
「ダルマ自転車で東海道を大旅行」の③「明治二十一年、十六のとき木製の二輪車でけいこをし、」

を調べたが、この一行だけの記事からの傍証は難しい。
あえて言えば、小ぶりの国産の木製ダルマ自転車の可能性が強い。トーマス・スティーブンスが来日した明治19年以降、一時的だが国産の達磨自転車が流行した。国産の達磨自転車であれば小ぶりなので、練習用として最適だったはずである。
あるいはガタクリ車(国産のミショー型)とも考えられるが、ダルマより年代的にみても台数は稀であることを思えば、やはり小ぶりの国産ダルマ自転車としたい。