西丹沢・玄倉林道ツアー
今回のタイトルは、何か間違っているのではと思った方もいると思う。
昨日、1958年発行の月刊雑誌「サイクル」6月号を眺めていたら、この表題の記事が目に留まったのである。私も実は自転車でユーシン・ロッヂまで行った経験がある。何時ごろだったか忘れてしまったが、水谷のマウンテンバイクで行ったことを覚えている。この水谷のMTBを購入したのが1983年であるから、それから間もない時期だと思う。下の記事に出てくる隧道は、仏岩を穿ってつくられた素掘りの暗い青崩隧道(現在は新青崩隧道、2011年10月完成、327m)で、トンネル内の路面は岩のゴツゴツした状態で、油断しているとハンドルをとられる。それにこのトンネルの前方奥が左に曲がっているので全くその先が見えず真っ暗なのである。当然ライトを点灯して走ったがそれでも暗く怖かった。ましてやこのトンネルには今でもそうだが以前からお化けがでるという噂があった。今で言う心霊スポットである。この時も岩の天井から冷たい雫が首筋に落ちて来て、悲鳴をあげるところであった。それで更に恐怖が増し、何か白いものが横切ったような気がした。おそらく恐怖心が幻影として何か現れたように見えたのであろう。それとも本当の幽霊だったのか、いまでもこの場所に行くとその時の記憶がよみがえり、背筋が寒くなる。
余談が少し長くなったので本題に入る。
以下がその記事である。(一部抜粋)
西丹沢・玄倉林道ツアー昨年の春から計画していた玄倉林道へ、五月四、五日の連休に実行した。先月はCFCで丹沢林道ツアーを実施し、参加したが、こちらの方が素晴らしいと思った。只惜しむらくは行き止りである。同行は吹野君だ。
小田急で渋沢駅まで自転車を託送した。朝から降っていた雨は駅前から出発する頃になってやみ空が明るくなってきた。四十八瀬川に沿った道を松田町に至り、山北町を通り抜けて、砂利の走りにくい坂道を登る。谷が駅を対岸に見ながらの道はせまいながらも人通りもなく、走りよい道であった。川西から河内川に沿った道を北上する。神縄の部落まで登りは大したことはなかった。V字路の傍に指導標が立ててある。ユーシンまで十六キロ、中川温泉まで八・六キロとある。一休みして出発する。すぐきつい登りが待っていた。フロントに落しても大分きつかった。登り切った処に隧道がある。出るとすぐダウンロードだった。四十キロ以上のスピードで一散に馳せ下る。痛快この上なかった。下り切った処の左側は玄倉川の広い川原が道のすぐ際まできている。台風の時はさぞかしすごい流れであろう。間もなく釣橋がかかっている処にでた。自転車を押しながらやっと通れる位の巾だ。敬遠して川原を横切って林道に出る。ここからは登りっぱなしである。路面状態は岩をけづって出来ているからすべるようなことはない。帰るハイカー、行くハイカー女子もまじえて、四、五十人に会った。途中仏岩の横腹をトンネルが出来ているが、真暗らなので、やむをえず探見燈で照らしながら押して歩く。歩く処はここ位なものだ。この辺りが一番景色のよい所である。ここで会ったハイカーが一昔前からみると、発破で岩をこわして道を作ったので、つまらなくなってしまったと言っていたが、我々サイクリストは道が出来るのは大歓迎である。途中食事するような処がなかったが、この隧道を過ぎて暫らく行った処に下へ下りられる場所が見つかったので昼食にする。コツフェルを持ってきたので湯を沸かし、味噌汁を作って飲む、旨かった。ここの先で若いハイカー達十人位が、ザイルを使って岩に取り付いていた。一時間休んだので元気回復、ここから二キロでユーシンに着いた。メーターには神縄から十四キロと出ていた。山小屋に行くには釣橋を渡って約二○○米行った処である。晩の支度をしているハイカーが四、五人居た。外に民家が三、四軒ある淋しい処である。三十分居ただけで帰路につく。一時間で神縄についた。玄倉までのダウンヒルは本当に来た甲斐があっと思った。・・・
②は仏岩と青崩洞門付近、この頃は洞門はない。不鮮明だが右側が旧青崩隧道の出口である。⑤の写真を参照。
⑥は参考までにユーシンブルーの写真を載せる。現在は玄倉林道の一部崩落により通行止めのためこの場所には行かれない。
⑦は水谷の初期型マウンテンバイク、1983年撮影。