2022年2月14日月曜日

古い絵葉書-21

 古い絵葉書-21

この絵葉書は生目神社(いくめ・いきめ)である。
生目神社(其ノ一)三島天眞舘発行とある。

三島天眞舘は、宮崎市橘通三丁目にあった写真館、店主は三島信太郎。

生目神社は、宮崎県宮崎市大字生目にある神社で、古くから眼病に霊験ありと伝えられている。

左端に1台の自転車が見える。ハンドルは大正初期に一時流行ったアップハンドル。
前輪には泥除けもブレーキも無い。おそらくコースターブレーキであろう。それとも固定ギヤか。
人物の服装もすべて和服姿。

従ってこの絵葉書の発行年代は明治後期から大正初期ということになる。ここでは一応大正初期としておく。

生目神社 大正初期

現在の生目神社
Googleストリートビューより

2022年2月13日日曜日

自転車関係資料-79

  自転車関係資料-79

この資料は月刊雑誌の「旅とサイクリスト」1969年9月号である。

以下は三笠宮杯の記事。(一部抜粋)
第18回三笠宮杯
東北一周サイクル・ロードレース
三笠宮の号砲でスタート
息づまる熱戦で 福島チーム2年連続優勝

日ア車連、東北六県教育委員会などが主催した三笠宮杯第18回東北一周自転車競走は、8月12日から17日までの6日間、東北六県を一周する1326キロ、12区間で行なわれた。
9、10区で若干の距離の変更があったため、昨年より18キロ短縮されたコースを、六県から選出された百四十四選手(補欠は含まず)が駅伝方式で、総合成績で三笠宮杯を争う自転車ロードレース。
数々の名選手を生み、東北開発促進の先兵となった歴史をもち、日本最大の規模を誇るレースで、東北六県出身の若人たちが月おくれのお盆で賑わうみちのく路に覇をきそったが、後半たくみな追い上げで逆転をねらった福島Aチームの大たんな作戦が功を奏して、所要時間41時間17分19秒4(平均時速32、115キロ)で二年連続優勝に輝いた。11区まで首位をリードしていた岩手Aチームは、福島Aチームの後半の激しい追い込にあい、目前の優勝を逸した。
道路の舗装などの条件は昨年より改良されたが、自動車が激増するなどの交通条件の悪化が影響したためか、第四区で十一の区間で新記録が樹立されただけで、全般に前年を下回る記録に止どまったのは惜しまれる。
なお、今年も大会使用車はブリヂストンの四段変速機付きスポーツ車が採用された。

総合成績 1326.0㎞
順位チーム所要時間
1区125.5Km  2区138.5Km  3区113.7Km  4区115・4Km  5区86.7Km
(仙台一気仙沼) (気仙沼一盛岡)  (盛岡一八戸)  (八戸一青森)  (青森一大館)

優勝 福島Aチーム 41時間17分19秒4
 ⑥高橋 仁   3時間56分47秒3
 ③芳賀 勇雄  4時間43分17秒0
 ⑤伊藤 芳男  3時間35分24秒4
 ⑥渡辺 忠次    3時間2分18秒6
 ⑥佐藤 美好  2時間51分18秒4

註、選手名の前の数字は各区間での順位
2位以下は下の総合成績表を参照。

註、三笠宮杯東北一周自転車競走大会は、第1回・1952年~第20回・1971年まで開催されていた駅伝方式のロードレース。
その後、競技形式は変更されているが、「ツール・ド・東北」として現在もその歴史は引き継がれている。


以下の記事は、当研究会の創設時のメンバーで顧問でもあった高橋 勇氏の「自転車旅行通信」と店の広告。
自転車旅行通信
No. ⑤

アラスカから

 皆様お元気ですか小生も毎日元気にペダルを踏みしめ、一歩一歩前進しています。
Haines Alaska に6月16日に上陸をしまして、東北大学の山岳隊の一行の皆さんと、楽しく過させていただき 1,000余りの Alaska High-way に向い、マイル「0」の Dawson Creek に7月5日に着きました。アラスカハイウエイの最高地 (4,154フィート)では、砂煙の吹き荒れる中を、自転車を押しながら、そして泣きながら………。
 真夏とは言うものの、雨が降れば寝袋の中でも、ふるえるぐらいで、ガソリンスタンドの横で寝ていたら、熊がでてきたこともありましたが、やっと下界に降りたという思いです。現在 Edmonton の少し手前におりますが毎日平均60マイルで走っています。でも一番泣かされるのは雨雲で、アッと思うまにズブ濡れ、でも道路状況はよくて、天気で追風でもあれば、90~100マイル は走れそうです。今ナショナルのサイクルメーターの指針は7,200キロを指しています OTTAWA まで2,000マイル余りですので頑張って走ります。
皆さんによろしく。

(昨年の8月、世界一周自転車旅行に出発した大和高田市の池本元光君からの丸1ヶ年振りになる元気な通信です)

 現在、当タカハシより出発している海外(1ヶ年以上の計画で)の自転車旅行をしている青年は10人です。皆元気で楽しく、青春最大のバカンスを味ってくれているようです。
”出発前に自転車工場で3日間実習を受けたことや、色々教えて貰ったことが、こんなに役立つとはほんとうに予想もしませんでした”と遠く離れた異国からの便りが到着するたびに 「よかったね」そんなサイクリングのお役に立つ店、そして国内旅行にはC.F.Sのチェーン店や各連絡所をご紹介.
 そんな「サイクリングにお役に立つ店」お気軽にサイクリングのご相談にどうぞ!
ナショナル・サイクリングセンター タカハシ

註、池本元光氏については、下記のサイトを参照。
日本アドベンチャー・サイクリストクラブ(Japan Adventure Cyclist Club)(JACC)を創設。
主な著書
①世界ペダル紀行 自転車野郎の世界一周青春記録 上・下  日本を飛びだせの巻  サイマル出版会 1974年発行
②自転車冒険〈大百科〉 日本一周から地球走破までのノウハウ
大和書房 1986年1月発行
③アフリカよ、キリマンジャロよ 自転車野郎の冒険記
サイマル出版会 1982年5月発行

「旅とサイクリスト」1969年9月号
表紙

目次

8頁、9頁

12頁、13頁

総合成績表 19頁

自転車旅行通信 №5
とタカハシの広告 35頁

2022年2月12日土曜日

自転車関係資料-78

 自転車関係資料-78

この資料は月刊雑誌の「旅とサイクリスト」1966年11月号である。

この号にある1966年世界選手権の記事を見ると、

1966年、世界選手権 サイクル・ロードレース
西ドイツで開催
世界のサイクル・レースマンが力をきそう世界選手権大会は、本年は西ドイツで8月26日より開催された。
日本も杉原鏘一郎氏を監督に、藤倉、阿倍、中原がロードに、永野、中谷、今村がピストに出場したが、その話は別項の杉原氏の講習要旨を参照下さい。

ロードは8月27日 ニューブルリングの一周22.81㎞ のサーキットで行われたが、ほとんどが急坂の連続で、44×26で登り、下りは53×11といったワイドレシオのギャで走り、フロント 3段というのが常識とされていたという。

ピストはフランクフルトの一周400米のピストで、今村満選手は自己の持つ2番のタイムで16位にとどまった。

以下に杉原鏘一郎の「第1回レーシングゼミナール 自転車競技と日本人」と題した講演の一部を抜粋。

 現在、日本のアマチュア自転車競技においてはオリンピックを目指して最後まで頑張るという様な選手が少ないのが一つの隘路になっており、これでは仲々メダルを獲得する事は出来ないのです。
 この席にも、長い間私達と一諸に強化合宿に参加された人達もおられますが、残念ながらまだ脚力の力はあまり強くなっていません。日本国内ではどうやら一流の仲間に入ることが出来るのですが、これを世界のレベルと比べると、まず子供と大人というな感じがするわけです。
 特にロードレースにおいては世界のレベルは非常に高く、日本の自転車競技も長い歴史があるのですが、ロードレースでは今までいわゆるロードマンとしてこの選手ならと思えるのは、過去においてまず東京大会に出場したO氏を除いて外にないと私は思っています。日本では彼以外にロードマンは一人も現われていないと言いきれます。勿論、この席におられる人達の中にも、また大学生の中にも最近安定した力を出している人達もありますか、それで世界的な競走に参加しますと全然問題にならない。
 先程のO君にしても最初にオランダの世界選手権大会に連れて行って以来、まあどうやら外国の選手と肩を並べて競走出来る様になるまでは四、五年の日数を要しているわけです。

杉原氏はこの講演でかなり手厳しいことを言っているが、それが現実であった。現在でも殆ど変わっていない状況が続いている。新城選手のようにツールで活躍できる選手は未だ育っていない。
有力な選手はスロベニアあたりへ自転車留学して切磋琢磨してはどうかと思う。このことは先の東京オリンピックのロードレースを現地で見て感じたことである。

註、O氏とは大宮政志選手のこと。

以下は世界選手権アマ個人ロードの結果、

世界選手権アマ個人ロード
8月27日 西ドイツ 22.8K×8周の182.48Km
①EVERT DOLMA エバート・ドルマン (オランダ)
②WEST (イギリス)
③SKIBBY(デンマーク)
④KEGEL(ポーランド)
⑤G.PETTERSSON(スエーデン) Gösta Pettersson
⑥U.NESTE (ベルギー)
⑦PISAURI (イタリー)
⑧RITTER(デンマーク)
⑨EXNER (西ドイツ)
⑩DUBEIS (オランダ)
日本の藤倉、阿倍は5周め中原は3周目で追いつかれて失格。

上の記事からでは選手名が判然としないので、そのデータを検索。
ただし8位まで。DOLMAのスペルも相違。

Sur route - amateur Hommes - 27 Août 1966

1 P-BEvert Dolman (P-B)  4h59:43
2 G-BLeslie West (G-B)
3 DANWilly Skibby (DAN)
4 POLMarian Kegel (POL)
5 SUEGösta 'Fåglum' Pettersson (SUE)
6 BELWilly Van Neste (BEL)
7 ITAGabriele Pisauri (ITA)
8 DANOle Ritter (DAN)

エバート・ドルマン (オランダ)
(1946年2月22日-1993年5月12日)
Wikipediaより

アマ団体ロード
①デンマーク
②オランダ
③イタリー
④フランス
⑤ソ連 
⑥スエーデン
⑦東独
⑧チェコ
⑨スペイン
⑩ポーランド
日本は出場せず。

「旅とサイクリスト」1966年11月号
表紙

目次

42頁、43頁

1966-世界選手権アマ個人ロードの結果
43頁

44頁、45頁

2022年2月11日金曜日

バックナンバー 123

 バックナンバー 123

ニュースレター(NEWSLETTER)NO.123

2002年11月18日作成 日本自転車史研究会

●古物商店頭のオーディナリー
毎日の通勤に利用する道路沿いに古物商があるが、その店頭に以前からオーディナリーが置いてある。このオーディナリーは、店の売り物で価格は25万円とある。風雨にさらされていて、何時もここを通る度に気になって見ている。これは本物か?
(Т氏からのEメール)

編集者注:送られてきた3枚に写真を見ると、どうやらレプリカのようだ?
①写真だけでは判別できないが、状態が良い。
②サドル下のバックボーンにメーカーのプレートがついていない。 
③ヘッド部分に製造番号などが刻印されていない。 
④全般的に100年前のオーディナリーに見えない。 
⑤ペダルとブレーキレバーは明らかに当初のものではない。 
⑥ヘッド部にバックボーンの下の方に付けるはずのステップが付いている。このステップの使い道のわからない人が付けてしまったようだ。 
⑦ハブ・ホイールの状態が良い。100年前のものとは思えない。 
⑧サドルも状態が良すぎる。 
⑨直感的に見ても100年前のものと思えない。 
⑩レプリカなら大変高価。 
⑪レプリカとして、この状態で評価すれば、10万円以下では? 
⑫レプリカとしてはかなり忠実に作られていることは評価できる。写真が送られてくる前は酷いものと思っていた。 
⑬メーカープレートと製造番号などが確認できれば、25万円は安い。 
⑭どこかに何か刻印はないか? 
⑮レプリカでも良いものは刻印がある。アメリカのケネディーであれば、ヘッド部にケネディーと刻印されている。 
⑯全体に小さい感じがする。車輪径は何インチか?一般的には48インチ以上。

●WEB・バイクナビ
同サイトに「バイシクルリレーエッセイ」という欄があり、通勤自転車の利用者からプロ・ライダーまで、自転車に関わる様々な人が寄稿している。一読をお薦めする。
バイクナビ https://bikenavi.net/index.html

●ヤマハ・ハイブリッドコミューター
ヤマハ発動機は、ガソリンエンジンと電気モーターを併用するハイブリッド式自動二輪車を開発。ガソリン1リットル当り250キロ以上走行という驚異的な燃費を達成した。全長185センチ、高さ113センチで、外観は自転車のように見える。
(平成14年8月30日付け神奈川新聞より)

●自転車文化センター移転
東京・赤坂の自転車文化センターは、11月1日をもって、北ノ丸の科学技術館へ全面的に移転した。

●オール輪界
深谷市のサイクルショップ・コンドーから昭和10年1月発行の月刊雑誌「オール輪界」のコピーを入手。

●自転車のある郵便局風景印
東京:狭山相原、小平駅前、村山、武蔵村山中原、東大和芋窪
神奈川:小田原鴨宮
大阪:堺鉄鋼ビル内
群馬:布施
福井:湯尾
千葉:土気
山形:糖野目
岩手:鵜佳居
青森:八戸湊高台
北海道:函館人見、東札幌、白石南郷、十八
大分:平田、津民、下郷羅漢寺
兵庫:上甲子園
広島:八千代
岡山:辛川
三重:滝原、七保

以上、25郵便局
(資料提供:名古屋・八神史郎氏)

●国際サイクル歴史会議
第14回国際自転車歴史会議がオーストラリアのキャンベラで、来年の2月24日~26日まで開催される。
連絡先: Annemarie Driver,Organiser
14th International Cycle History Conference Canberra, Australia 24th -26th February 2003
Annemarie@CanberraBicycleMuseum.Info

●SYOWA自転車組合の自転車
私は、1975-76年に沖縄にいました。そこで日本製の10段切替の自転車を購入しました。この自転車の名前はサンフレッシュと言い、付いているマークをみるとSYOWA自転車組合とあります。
私は今もこの自転車に毎日乗っています。そこで、この自転車の製造年等何かわかりましたらお知らせください。私がそれを買った店は、Futema基地の近くです。
(ジョン・ウイリアムズ氏からのEメール)

編集者注:会員諸兄のなかで、この自転車について心あたりがありましたら、事務局までご一報ください。

●DnB ポータブル自転車
私は、2年前に特徴ある自転車を1台購入しました。それは「D n B」と言う折畳式の自転車です。 私は、その自転車を友人に見せました。彼らは多分その自転車は1960年代に日本で作られた自転車だと言っていました。デザインは洗練されたヨーロピアン・スタイルで、とても気に入っています。この自転車について何かわかりましたらご連絡ください。
(デイブさんからのEメール)

編集者注:この折畳自転車は大日本自転車工業の製造と思われます。恐らく当時輸出用に製造された自転車でしょう。現在引き続き調査中。

●Rising Sun Cycle Club
私は現在日本の大学院で勉強しています。修士論文に、日本の自転車歴史をテーマにしたいと考えています。 そこで質問があります。
1. 徳川慶喜以外の有名人で、誰か自転車に乗った人はいないか?
2. 自転車流行の影響で、日本人の服装は変わりましたか?明治維新で変っただけか?
3.どこに人力車の統計がありますか?
分かりましたら教えてください。

ひとつの面白い記事を見つけました。アメリカに日本人のサイクルクラブがあったらしいのです。クラブ名はRising Sun Cycle Clubと言います。詳しいことは分からないですが、1890年代にニューヨークに本部があったようです。
Rising Sun Cycle Clubに関する出典はMerry Wheels and Spokes of Steelです。著者のRobert A. Smith氏は、今年の8月に87歳で亡くなりました。
(A・ウイリアムズ氏からのEメール)

●Xtraordinaryについて
私は、Xtraのカタログ、写真などを収集しています。そして、約30項目の Xtraリストをまとめました。さらにまだ、次の年代の資料を探しています。それは、1883、1884、1885、1887、1888及び1889年です。協力お願いします。
(Caery・ウイリアムズ氏からのEメール)

●タカラのハイエンド自転車フレーム
私は、タカラのロードレーサーを購入しました。この自転車は、1990年に、ある自転車競技チームが実際に使用したものです。パーツは、Suntour Superbeコンポです。購入価格は、800USドルでした。この自転車のフレームの品質はどの程度でしょうか?
1)3Renshoに使用されているフレームと同じくらい品質ですか?
2) それらはまだ日本で作られていますか?
(スコットさんからのEメール)

●ルフェーブルの自転車
1842年、アレクサンドル・ルフェーブルにより考案されたペダル駆動の自転車研究について(概要)。
この研究の始まりは、アンドリュー・リッチー氏の著書である一連の自転車歴史関係の記事が発端になっている。その本には歴史の概観とユニークな自転車の記述があった。(「サンノゼの隠れ場所」Bike World Magazine, 1975)
その記事の中に、サンフランシスコのアレクサンドル・ルフェーブル が製作した初期の自転車がある。彼は故郷であるフランスのセントデニスでその「奇妙な乗り物」を1843年に考案し、その後1861年にアメリカに移住した。機械工であった彼は移住先のカリフォルニアで錠前屋として働いた。
彼はベイ・エリアに住んでいる顧客のために自転車を製造した。ルフェーブルについては当時の3誌の新聞に彼が故郷フランスで自転車を考案した記録が残っている。
この自転車のユニークな特徴は、ライダーが足で垂直に一対のペダルを踏み、後輪の車軸に接続されたクランクで推進する仕組みになっている。この形式はちょうど蒸気機関車の伝達方法と同じである。この機構は後(1866-1868)のマクミランとダルゼルの自転車と対比されるが、これらの自転車は足をほぼ水平に前へ踏み出す方式で、そのペダルは前輪の車軸に固定されている。
その後、自転車のペダルはピエール・ミショー(1868年特許取得)とピエール・ラルマン(米国で1866年に特許取得)により直接前輪の車軸にクランクを介して据え付ける方式となる。
ルフェーブルと同様なペダルとレバー式構造の自転車の状況については、1838年にスコットランドのDumfries近くでカークパトリック・マクミランにより製作されたとされるが、それを裏付ける決定的な証拠資料がない。最近ではこの説は否定的でさえある。
マクミラン型の自転車は現在2台のレプリカが存在する。一つはギャビン・ダルゼルの自転車でグラスゴーの博物館に、もう一つはトーマス・マック・コールの自転車で、ロンドンの科学博物館にある。
ルフェーブルのシステムが下垂直力によってペダルに動かすのに対して、マクミラン/ダルゼル/マッコールはそれとは異なり、レバーシステムを使い前水平力によってペダルを踏み込む方式である。
ルフェーブル(1842)の三輪車は当時のそれを裏付ける資料も残っており、1842年に製作したことはほぼ間違いないものと思われる。
ジャック・グレーバー氏の論文(2002年9月)の一部を抄訳。

ルフェーブルの自転車 1842年
ジャック・グレーバー氏提供

2022年2月10日木曜日

自転車関係資料-77

 自転車関係資料-77

この資料は月刊雑誌の「サイクル」1958年7月号である。

この号は東京で開催された第3回アジア競技大会の自転車競技を特集。

以下にその本文の一部抜粋

第三回アジア競技大会は、五月二十四日、神宮外苑の主競技場に於て、盛大な開会式を挙行後、二十四日から、各競技場に於て各種の競技が参加アジア各国選手によって開始された。天候は真夏の暑さを思わせる不順の高温ではあったが、会期中幸いにも晴天続きに終始し、各競技を順調に進行せしめる上に幸であった。

自転車競技は、二十五日よりピストレースを後楽園競技場で、又最後のロードレースを八王子市を中心とする、日野、立川、昭島、拝島を七周廻する百五十三㎞のコースで行われた。参加選手は、ベトナム、パキスタン、イラン、中国、フィリッピン、韓国、日本の七カ国で日本に於てかく多数の外国選手を集めての、国際自転車レースは始めての事であり、大会役員も万全の準備を整えた。幸にピストレース場は、後楽園競技場があるため、特別の設備を要せず、発走、計時、決勝審判方法等に就ても、夫々専門的知識を有する為便利であった。

只主競技場が、入場券の売過ぎで、入場不可能者を多く出し問題を起したとは逆に、最後のロードレースが多数の観衆を集めた以外は、後楽園競技場は殆ど連日、百名に満たぬ観客を集めたに過ぎず、二日目から主競技場に這入れなかった学生生徒を五十名乃至二三百名を収容したに過ぎない寂寥たるもので、競技者も張合抜けの体で、一向に熱の上らなかった事は淋しい極みであった。尤も自転車競技の後で、サッカーの競技を加えたとは云うものの、参加選手の少なかった事が原因ではあるが毎日の競技回数も少なく、エキシビションとして、日本選手十数名によるポイントレースを始め各種自転車競技を加えたとは云え、一時間乃至二時間程度で、一日の競技が終了する有様で、観衆の興味が薄かったによるものと思われる。

外国選手の中には、後楽園競技場の様なバンクのある競技場で走った経験が無く、不利であった者もあり、多くは日本選手の独壇上の感があり、この競技場で行われた、スクラッチ、タイムトライアル、団体追抜、タンデムの四種目は総て日本側の優勝と云う一方的の勝利に終った。

とある。この記事ではろいろな問題点も指摘されていて興味深い。

以下はこのブログでも度々登場した大沢鉄男選手の1000mタイムトライアルの結果である。

アジア大会記録
1000Mタイムトライアル

1 大沢鉄男(日本) 1’14”8(大会新)
2 ゴレタラブ(イラン) 1'15”1 ( ” )
3チャン・ヤン・ネン(ベトナム)  1’22”2
4 S・Mフアルーキ(パキスタン)  1’23"2
世界記録  1’08”5 ドウポン(仏) (1948)
日本記録  1’13”3 大沢鉄男(日本) メルボルン (1956)
アジア大会記録  1’20”2 杉原鏘一郎(日本) ニュデリー(1951)

「サイクル」1958年7月号

目次

同上


千米タイムトライアル
①大沢鉄男 (日本) 一分一四秒八 
②ゴレタラブ (イラン) 一分一五秒一
③チャン・ヤン・ネン(ベトナム) 一分二二秒二
④フアルーキ(パキスタン) 一分二三秒二

以下も本文の一部を抜粋
大沢とゴレタラブの勝負であることは、最初から予想されたが、大沢としてはゴレタラブを強敵と思わず、勝利は確信して居るので、寧ろ記録更新を目指しての出走であったが、調子が出ず、前半後半のタイムが思うように出なかったので一分一四秒八で、アジア記録杉原の一分二〇秒二を破った。ゴレタラブは大沢に破れはしたが、健実な走り方で、後半のダッシュは物凄くアワャ大沢を破るのでは無いかと思われた。大沢選手はこれによって、自転車レースとしては最初の日章旗を挙げ、表彰台に立ち、金メダルを獲得した。国旗の掲揚と君が代の奏楽は自衛隊の手によって行われた。

1000mタイムトライアルの結果

大沢選手の略歴 24頁

以下はロードの結果 韓国勢が金メダルを独占

ロードレース 153㎞(八王子ー日野ー拝島ー八王子、周回7回)
個人
1 リー・オン・プ (韓国) 4H 53’20"
2 ルー・トヴ・チュン (韓国) 4H 59'45'8
3 キム・ウー・スン (韓国) 4H 59'46'1
4 徳増武彦(日本) 4H 59'47"2
6 イム・サン・イウ(韓国) 5H 02' 41'4
7 高橋弥重蔵(日本) 5H 02'41"4
8 星 勝太郎(日本) 5H 02'41'5
9 飯田 洋(日本) 5H 02'41”9
10 ゴタンリエ (ベトナム) 5H 02'42"1
11 レヤンチョン  (ベトナム) 5H 02'43"1
12 チャン・ヤン・ネン (ベトナム) 5H 02'43”2
13 ポアン・タンチェ (中国) 5H 02'43'5
14 ラク・シューリヨン(中国) 5H 02'44"4
15 モハメド・アシク(パキスタン) 5H 06’03”
16 チュン・ボーチュン(中国) 5H 07' 44”9

団体
1 韓国        14H 52'51"7
2日本     15H 05’60"1
3 ベトナム  15H 05’11”3
4中国     15H 13’12"8

ロードレースの結果 26頁

第2周 八高線ガード付近 24頁

日野橋 山本秀男氏撮影
口絵の頁

2022年2月9日水曜日

古い絵葉書-20

 古い絵葉書-20

この絵葉書は成田山新勝寺、(成田名勝)成田山水行場である。
水行堂の前に自転車が2台見える。この自転車には荷台と両立スタンドも付いている。
この自転車からの年代推定は、昭和初期ということになりそうである。
後ろ泥除けに鑑札がついているか拡大鏡で調べたが、不鮮明で分からない。
鑑札が付いていれば昭和初期で間違いないと思われる。

一番下の写真は現在の水行堂の様子である。二つの写真を比べると殆ど変わっていない。
右側に二宮尊徳が修業したという石碑(二宮尊徳翁開眼之地)と二つの白い案内板があることがその違いか。二宮尊徳は成田山で水行や断食をしたと伝えられている。

白い案内板の一つには、
水行場
天保六年(一八三五)建立
昭和四十一年改築、本尊に祈誓をこめて水行をするところであり、古くは道誉上人、二宮尊徳翁なども、ここの水に浴し貴い霊験を授かっている。

と書いてある。

水行堂を囲む石塀には寄進した者の名前に「雨宮近義」と書いてあるのも微かに読める。今でも同じ場所に2台の自転車を置けば過去にタイムスリップしたような感じになるはずだ。

(成田名勝)成田山水行場 昭和初期

現在の水行堂
Googleストリートビューより

2022年2月8日火曜日

老舗さんぽ-52

 老舗さんぽ-52

先日、何気なく静岡市内の自転車店を調べていたら、以前に尋ねたことがある「関川自転車店」を思い出した。この店を尋ねたのは1982年頃で、既に自転車店はやめていた。偶々店にいた人に聞いたところ「うちが静岡で一番古い自転車店であった」と言っていた。何か古い資料でも無いか聞いてみたが、無いとのことであった。この店を後にして周辺を歩いていたらちょうど古書店が目に留まり覗いてみた。自転車関係の古い資料を探したところ、「静岡県榛原郡吉田村の各種諸届 」をまとめたものがあった。早速、購入することにした。値段を忘れてしまったか、5,000円ぐらいはしたはずである。

この資料についてはその後、日本自転車史研究会の会報で紹介している。

「吉田村における鑑札下附の状況」”自転車”14号 1984年3月15日発行から”自転車” 17号 1984年9月15日の4回に分けて投稿。

現在の関川自転車店がどのような状況かネットで調べたところ、

以下の写真とその歴史が出てきた。

関川自転車店の年賀はがき

関川商会の歴史(同社のHPより)
関川自転車店は今の4代前、関川虎吉が明治20年頃静岡で一番最初に「愛輪舎」という名前で開き、現在の伝馬町には明治28年頃移って来たと記されております。そして初代の県自転車組合長に就任し、静岡県の自転車業界をリードしていた様に聞いております。
自転車屋を開業する前は、西洋小物輸入販売業、そしてその前は、江戸時代の中期より「茶碗屋惣兵衛」として商いを行っていて、初代惣兵衛から数えて私で11代目です。
そして昭和の30年代にガレージ業(駐車場業)を初め、昭和59年に伝馬町の再開発に協力し立体駐車場に建替えました。また、平成の6年には宅地建物取引業を加え、後にコンサルトの資格も取得し、現在主に不動産活用コンサルタントとして地域に根づいております。

と書いてあり、写真のキャプションには、関川自転車店の写真年賀状(昭和の初め)

とある。
この記事と写真について、触れてみると、明治20年代に「愛輪舎」という名で自転車店を始めたとあるが、これが事実であれば非常に古く、静岡で一番古いということも頷ける。明治20年代と云えばまだ安全型の自転車は殆どなく、ダルマ自転車が主流であった。
更にこの写真は昭和初期とあるが、見たところ明治後期から大正初期に見える。
年賀葉書であれば年代を特定できそうであるが、その現物は無いのかもしれない。
写真は不鮮明だが拡大鏡で眺めてみると人物が三人おり、子供のすぐ後ろには店主の関川虎吉さんと思われる人もいる。自転車も30台以上はありそうである。当時の盛況ぶりがうかがえる。
軒上の大きいな看板には「静岡市伝馬町 関川自転車店」や「Rudge Whitworth 」と書いた文字も微かに見える。「Rudge Whitworth」の看板からこの絵葉書の撮影された年代は明治40年前後ということがわかる。

昭和初期の関川自転車店は、国産自転車の「光輝号」の発売元(卸商)であった。
そうであれば、看板にも「光輝号」を掲げたはずである。
どうみてもこの写真は古い。

いつものようにGoogleストリートビューで静岡市葵区伝馬町周辺を散歩する。
「関川パーキング」と書いた看板も見える。

Googleストリートビューより

主な取扱い自転車はラーヂ号
帝国輪商案内 明治44年10月13日発行
国会図書館所蔵資料 コマ番号60