2025年9月23日火曜日

「ホイール」誌

「ホイール」誌

サイクリング・トレード・レビュー

第2巻 第1号

ニューヨーク、1888年8月31日

1888 ニューメール

これ以上のグレードはない。これほど成功したダルマ自転車は市場に登場したことがない。

昨年、発売したアメリカ製のニューメールライトロードスター。

すべての部品はスチール鍛造で、完全に互換性がある。

当社が管理するトリグウェル(TRIGWELL)ボールベアリングヘッドの大幅な改良が施されている。過去2年半の実際の道路使用により、絶対的な成功が証明された。完璧に強化されたバックボーンとフォーク、そして厚くなったベースリム。自転車事業に携わって以来、昨年のNEW MAILで全国各地からこれほど多くのお褒めの言葉をいただいたことはない。これらは著名な、ライダーの意見であるため、ホイールのメリットを示すこれ以上の強力な証拠は提供できない。一部のディーラーがボールヘッドに何の利点もないと批判してきたため、トリグウェル特許の真のメリットを明確に理解していただくために、この事実を強調して言及せざるを得ない。

トリグウェルは私たちが管理しており、他社は使用できないこと。トリグウェルはボールを封じ込める唯一のボールヘッドであること。ボールヘッドを最初に採用したため、最も多くの経験を積んできた。そして、2年半使用してきたトリグウェルは大成功であると宣言する。事故の場合でも修理が簡単で、コーンよりも耐久性がある。この成功の最大の証拠は、来年、ヘッドの細部に至るまで一切変更しないと宣言していることである。すべての部品は完璧に機能しており、変更は必要ない。2月1日発売のNEW MAILの説明カタログを送るまで、新しい注文は控えください。今すぐお名前をお送りください。すべての町で優秀な代理店を募集している。以前の代理店は、継続を希望の場合はすぐに連絡していただき、早期納品のために注文してください。

WM. READ & SONS、ボストン、ワシントン通り107番地


8頁
ニュー・メールの広告

「ホイール」誌
サイクリング・トレード・レビュー
第2巻 第1号
1888年8月31日

2025年9月22日月曜日

自轉車 第6号 - 6

 自轉車 第6号 - 6

以下は興味ある記事を拾い読み。

新式泥除(四七商店輸入)
此新式泥除は図に示す如く至極簡単に結構せられたるものにして重量の上に於て價格の上に於て従来の泥除よりは数等の利益あり然かも其効力の十二分なるを聞かば誰か其一新發明 に驚かざるものあらんや

小兒用自転車(四七商店輸入)
此小兒用自轉車は最も安全に最も堅牢にて誰にても練習を要せず直ちに乗用し得るものなり總て金屬製にして男女両様の種類あり何れも高尙優美にして決して古のガタ車的のものにあらず現に女子嗜輪會々員の一人何等の練習を経ず直に之を乗用し居れるが速力の如きも十一二才の小僧疾走の度よりも速かなり


50頁
「自轉車」快進社
明治34年1月1日発行

2025年9月21日日曜日

ホイールマン誌 - 2

ホイールマン誌 - 2

第2巻 №1 1883年4月発行

ピスカタクア川でペダルを漕ぐ。

常に休むことのない歴史ある川で・・・。

近年、彼らは夏に水辺や海岸で仲間を集め、健康を保つために見知らぬ人々が押し寄せる場所に注目している。しかし、その光景はあまりにも多く、それらを辿るには潮流が速すぎる。・・・


5頁

註、ピスカタクア川(Piscataqua River)は、アメリカ合衆国のニューハンプシャー州とメイン州の境を流れる全長約19kmの河川である。歴史、地理、文化が交差するこの川は、単なる水路以上の意味を持っている。
ポーツマス港と呼ばれる河口の約10kmは、潮流が最大約4ノット(7.4 km/h)にも達し、米国東海岸で最も速い潮流のひとつとされている。

3頁
上記関連
ピスカタクア川河口付近の地図

グーグルマップより

「ホイールマン」誌
第2巻 №1 1883年4月発行

2025年9月20日土曜日

自轉車瓦版 第33号

自轉車瓦版 第33号

昭和60年6月19日発行

☆第6回神鍋カップサンツアーロードが8/17~8/18 に兵庫県国定公園神鍋高原の一般公道で開催される。 今年のよびものは、あのスパースター、エディー・メルクスが来会するということだ。レースの前夜祭や当日にはサイン入りのオリジナルグッズの販売も行なわれる。 エディー・ メルクスについては、いまさら説明する必要もないが、一応そのプロフィールを紹介しておく、 ツール・ド・フランス5回、ジロデ・イタリア5回、世界選手権4回、インタ-ナショナルクラシック32回、6日間レース17回の他、 ロードレースで524回の優勝。72年メキシコで行われたアワーレコードでも49.431キロというすばらしい記録を出している。世界最高殊勲スポーツマン (ワールド・モースト・アウトスタンディングスポーツマン) 1969年,1971年,1974年という超人的サイクリスト。現在は一線を引退、自転車のメルクス工房を経営している。

★”8時だヨ!全員集合”にダルマ自転車が登場 (60.6.15 TBSテレビ放映)、いつもバカバカしいと思いながら、子供が見ていたのでなにげなく眺めていたら、ドリフの一人加藤茶がダルマ自転車に乗って現われた。一瞬だったのでその形状はよく分らなかったが、どうも“瓦版“NO.15で紹介したダルマ自転車のようであった。ブリジストンや山口で以前ダルマ自転車のデコを製作したことは知っているが、それではなかった。あるいはアメリカから輸入されたレプリカかもしれない。

☆メーカー事始シリーズとして、瓦版第35号より、遂次特集する。始めのうちは、外国のメーカーの簡単な起源を紹介し、なれたところで本番である日本のメーカーに進んで行きたい。なにぶんにも資料がないのでどのようなものが出来るか不安であるが、なにはともあれスタートする。シリーズの第1回として、“トライアンフ”を予定。


トライアンフ
SOUBEITEZのダイナモ・ライトは
後で取り付け

2025年9月19日金曜日

自轉車 第6号 - 5

 自轉車 第6号 - 5

以下は興味ある記事を拾い読み。

ハツセーハンドル

(四七商店輸入)

此のハンドルは只一挺のスパナさへあれば天地縦横自在に變換し得るものにしてその變換数45通あると製造者は云へり圖は變換の模機を示したる處のものなり

一、ハッセー氏の發明にかかるを以てハッセーハンドルの名あり

一、圖の如く先へ把手の出て居るを以て如何に下げるとも決して膝頭に障る如き憂るし

一、變化多ければ破損し易からんと杞憂するものあらんが堅牢なること普通ハンドルに優るとも劣らないは米國輪界の實驗に於て保證する處なり

49頁
「自轉車」第6号  快進社
 明治34年1月1日発行

2025年9月18日木曜日

自轉車瓦版 第32号

 自轉車瓦版 第32号

昭和60年6月18日発行

☆先週の土曜日(昭60.6.15) リー・フランシスが見たくて、関戸自転車店(横浜市西区戸部)を尋ねた。この自転車のことは以前、雑誌、「サイクルスポーツ」(昭50.1.1発行)で紹介された。この自転車は、大正15年ごろ、既に関戸商店にあったというから、60年以上にもなる。恐らく日本では、この一台が唯一のものであろうか?リー・フランシスについては、まだ分からない部分が多い。イギリスには資料もかなり残っているだろうが、日本には殆どないと云った状況だ。ただし、自動車関係の本の中に、このリー・フランシスについて、書かれたものがあるので参考までに次に紹介したい。

リー・フランシス (Lea-Francis)もまた、ラレー・シンガー、ローヴァーなどと同じく、19世紀末のサイクル・ブーム期に自転車の製造によって身を起こした英国の小メーカーである。ただ、他の成功したメーカーとは異なり、リー・フランシスはこの揺籃期を脱するのに時間を要しただけでなく、絶えずつきまとう財政難のため、自動車生産を幾度か中断せざるをえなかった。・・・

リー・フランシスの歴史は、1895年、リチャード・ヘンリー・リーとグラハム・イングルスビー・フランシスが、コヴェントリーに高級自転車工場を開設したときに始まる。因みに、R・H・リーは独立するまでの17年間を、同じくコヴェントリーの自転車メーカー、シンガーで過ごし、最後の7年間は工場長を務めた。自転車製造が軌道に乗ると、リー・フランシスは御多分に漏れず自動車とオートバイの製造に関心を向ける。・・・

(世界の自動車№20、ラレー、E・R・A、リー・フランシス、ニ玄社 74.6.10より)

自動車の生産は、1962年まで続いたようだが、自転車については、よく分からない。今後調べたいところである。


リー・フランシスは、
リチャード·ヘンリー·リーと
グラハム・イングルスビー・フランシスにより、
1895年にイギリスのコヴェントリーで創業した自転車メーカー
後に自動車やオートバイも生産

2025年9月17日水曜日

ウィーン自転車新聞 -2

 ウィーン自転車新聞 -2

ミシンと自転車産業の振興を目的とした業界誌。

ウィーン、1895年7月 第10巻。

毎月25日発行。

すべての自転車メーカー、製造業者、販売業者、代理店。英国、ドイツ、イギリス、フランスなど。また、オーストリアの自転車クラブ、イタリアの自転車クラブ、ロシア、セルビア、ルーマニア、ブルガリア、トルコ、ギリシャ、エジプトなど、6000社以上の自転車メーカーがこの新聞に掲載されている。

下の挿絵は、「渇き」、ルイス・スタインの記念論文集より、


ウィーン自転車新聞



註、 『WIENER FAHRRAD-ZEITUNG』とは?
  この新聞は、ウィーンの自転車愛好家や技術者、販売業者、クラブメンバーに向けて発行された専門誌で、製品レビュー、レース結果、技術解説、クラブ活動報告などが掲載されていた。

2025年9月16日火曜日

自轉車瓦版 第31号

 自轉車瓦版 第31号

昭和60年6月17日発行

☆須賀氏からの情報。合気道の開祖植芝盛平のエピソード、「終戦後、稽古場への行き帰りに先生を自転車のうしろにお乗せしたものだ。ところが五尺そこそこの小柄なかたなのに、自転車のハンドルが地上に浮くような重量感があるのでびっくりした」戦後まもなく教えをうけた弟子の思い出話より。

☆「週刊読売」の6月2日に、竹沢特許事務所の人のサイクリング人生が掲載されている。おそらく竹沢荘一氏のことではないかと思われる。竹沢氏は当研究会の会員でもある。高橋達氏からの情報。

☆ぼくの父は、若いころ、自転車乗りだったらしい。らしいと書いたのは亡くなってからかなり月日が 経ってしまったし、その話を父から僕は直接聞いていないからだ。父の故郷は愛知県の瀬戸だ。明治生まれだから、青年のころ、田舎の町で自転車に出会うことは西洋​​人に会ったような感覚だったと思う。彼は三つ揃いの背広に山高帽で自転車に乗っていた。自転車に乗ることはモダーンだったのである。浅井慎平、昭60.6.10付朝日新聞(夕刊)より

☆古本屋(株)アドニスで雑誌「自転車競技」①~㉝号揃いで売られている。価格は、全部で4千円、希望者は、下記へ連絡を。

〒104 東京都中央区八丁堀2-18-8 


日本アドベンチャー・サイクリストクラブ(JACC)
情報誌
1983年 夏号 №4
竹沢荘一氏はこの組織の代表も務めた


2025年9月15日月曜日

ヴィクター号関連

 ヴィクター号関連

A. G. スポルディング&ブラザーズの広告

3つのリーダー

ヴィクターセーフティ、ヴィクタージュニア、ヴィクターライトロードスター

すべてのヴィクターホイールと同様に、これも最高の素材と職人技が使用されている。すべてのホイールマンは、そしてすべての購入者は、振動が悩みの種であることを知っており、知っておくべきである。これまでに発明された最高の防振装置であるスプリングフォークを使用することで、ヴィクターセーフティは荒れた路面でも滑らかに動き、あらゆる振動を完全に排除する。


89頁

「ホイール」誌
第2巻 第3号
ニューヨーク、1888年9月14日

2025年9月14日日曜日

ウィーン自転車新聞

ウィーン自転車新聞

広告、

シュタイアー兵器工場のスイフト軍用自転車

オーストリアのシュタイアー兵器工場は、英国の一流企業に倣い、自転車の製造を開始し、最高品質の自転車を手頃な価格で一般の人々に提供することを目指している。素材は厳選され、それぞれの用途に応じて綿密にテストされている。鍛造から始まるすべての部品は、自社工場で極めて精密に製造され、完全な互換性を確保している。光沢のある部品はすべて銅メッキが施され、錆びを極限まで防ぐ。他の部品は、非常に高温で3回ホーロー加工されている。この厳格な製造工程により、高品質で耐久性のある自転車を製造しており、皆様に自信を持ってお勧めできる。1895年モデルには、自転車業界のあらゆる最新技術が取り入れられている。

軍用自転車の広告
ウィーン、1895年


註、シュタイアー兵器工場について
1864年、  ヨーゼフ・ヴェアンドルがオーストリア・シュタイアー市に設立した小銃工場。
初期の製品:  
  - 後装式単発ライフル(M1867など)  
  - 1894年からは自転車製造も開始  
  - 1915年には自動車製造に進出
シュタイアー兵器工場は、単なる兵器製造企業ではなく、オーストリアの産業史・技術革新・軍事文化の重要な拠点であった。自転車から自動車、銃器、軍用車両まで、製品群は多岐にわたる。

2025年9月13日土曜日

書籍案内

 書籍案内

風に描く : 自転車と絵画 加藤一 著 文芸春秋

1987年3月1日発行

一部抜粋、

21 少年の夢

屋外での楽しい遊びは家の商売用の自転車を持出して、三角乗りをすることだった。子供用の自転車などはなかなか買ってもらえないのだ。今の子供にはわからないだろうが、三角乗りというのは、大人用の26インチの自転車では子供の足が届かない、そこで三角のフレームに足をつっこんで反対側のペダルをまわす、というより踏んで自転車を動かす乗り方である。

ニコライ堂脇の坂を上り下りするのはすばらしく楽しい遊びだった。Sの字にゆっくりカーヴする坂はたいしてきつくはない。それでも三角乗りで上まで登りきるのはかなり大変なのだ。途中から自転車を下りて押して上がらなければならないこともあった。しかし二階建ての自転車に乗ったような気持で、一気に下降するときの爽快なスピード感はこたえられず、二度、三度と性懲りもなく重い自転車を坂の上まであげたものだ。・・・


表題
国会図書館所蔵

奥付

2025年9月12日金曜日

三輪車関連

 三輪車関連

以下はドイツ語版の「ヴェロシペード」の本

ヴェロシペード:その歴史、構造、使用、そして流通

ボン・グスタフ、シュタインマン著

38 点のイラスト入り

I. I. Weberのライプツィヒ出版社 1870年

16頁の図6、

パリの女性用三輪車(図6)その優雅な形状は目立つ。

構造は以前のものと大きくは変わらないが、車輪を接続する部分が地面より高いため、運転者はより上方から駆動力を加えることができる。


16頁

図6を拡大

表題

2025年9月11日木曜日

自轉車瓦版 第30号

 自轉車瓦版 第30号

昭和60年6月16日発行

☆須賀氏からの情報。①瓦版の第26号で中国の自転車記事にあったが、自転車技術同好会発行のBiaニュース(85年3月号)に海外自転車情報として中国の自転車工業の現状リポートがある。②「世界の国民スポーツ」(上巻、木味堂新書、昭和52年5月)のP.303に中国の自転車記事あり。③「中国新しい風」(NHK取材班編、日本放送出版協会、昭59.12発行)P.129~152に自転車物語という記事があり、かなり詳しく書かれている。④「値段の明治、大正、昭和風俗史」(週刊朝日編、昭56年刊)P.128~P.132には、自転車の値段とちょっとした記事あり。同じ「値段の明治、大正、昭和風俗史」週刊朝日編(昭59年刊)のP.144-148には、三輪車の記事がある。⑤「アサヒグラフに見る昭和前史」Ⅱ(大正13~15年)のP.213、P.228、P.229、P.170、P.69に自転車のグラビアと記事あり。⑥京浜急行の広報誌「なぎさ」は月1回発行されるが、4号にサイクリング特集。「なぎさ」は京急の主な駅で無料配布されている。⑦「われらの世界」(4月号、外務省発行)には、「オランダ王国のくらしと文化と題し、自転車が国民の足であることが書かれている。⑧「東京風俗志」(復刻版、昭58.3発行、平出鏗二郎、初版は明治32年)P.100.P.116.P.102に不忍池での競争の模様が書かれている。

(誌面の関係で今日はこの辺にする)

102頁
「東京風俗志」 中巻
 平出鏗二郎 著 富山房 明治35年
国会図書館所蔵
以下同じ

115頁
「東京風俗志」 下巻
 平出鏗二郎 著 富山房 明治35年

116頁

2025年9月10日水曜日

自轉車 第6号 - 4

 自轉車 第6号  その4、

以下は興味ある記事を拾い読み。

女子嗜輪會月報
◎明治三十三年十一月二十五日午後一時より日本橋區吳服町高橋方に於て發起會を開く會者八人規約十條内規五ヶ條を左の如く議決す
女子嗜輪會規約

第一條本會は女子嗜輪會と稱す
第二條 本會は愛輪同志女子相互の懇親を要め兼て一般女子体育の進歩を謀るを以て目的となす
第三條 本會員たるものは淑徳を重んじ常に質素を旨とすべし
第四條 本会の趣旨目的を賛するものは、内外の人を問はず入会することを得る
入会せんどするものは、役員二名以上の紹介に依り、幹事の承諾を經べし
第五條 本会を退会せんと欲するものはその事由を具し事務所へ届出すべし
第六條 本会の事務所を東京市(當分神田區小川町一番地 自轉車發行所快進社に囑托す)に置く
第七條 本会に左の役員を配置し、會務を一切理せしむ
幹事長一名
幹事七名
幹事長は幹事中より互撰し、幹事は春季大會にて撰挙す
幹事長幹事の任期は1年とす但再任すること得
第八條本書の目的を達せんが爲め毎月1回・・・


42頁

43頁

44頁
寄贈 アイバンホー婦人乗自転車 一輛 横浜 石川商会


女子嗜輪會のメンバーとアイバンホー自転車


2025年9月9日火曜日

自轉車瓦版 第29号

 自轉車瓦版 第29号

昭和60年6月5日発行

☆「雑誌、創刊号蔵書目録」という一風変わった自費出版物が出た。明治以来の雑誌の創刊号ばかりを集めた「大塚文庫」の刊行で、収録されている雑誌の数は約6千点。国会図書館でさえ保存されている創刊雑誌は約5千点なので質量とも、わが国で最大規模と言える内容となっている。「大塚文庫」は、大塚正基氏の個人コレクション、東京世田谷区上用賀の自宅に所蔵されている。昭、60.6.9付け朝日新聞、日曜版より。はたして、自転車関係は、どのような雑誌が何点所蔵されているであろうか。

☆真船氏からの情報、先日、例の35万円で購入した「ヴェロシペード」を眺めていたら、図5の「RANTOONE」という三輪車が目に止まった。この三輪事の駆動方法は、足踏み式と手動を併用したもので、どこかで見た絵である。なかなか思い出すことが出来なかったが、それはジャパン・パンチに出てくる三輪車の絵であった。年代も1869年(明治2年)と全く一致していた。細部には若干の違いはあるがほとんど同じである。ジャバンパンチの絵が、実際に東京で見たところを描いたのか、或いは、文献で見た三輪車をこの絵に入れたのか断定することはできないが、前者である可能性が大きい。


   図5、「THE RANTOONE」

原書のコピー
表題

復刻本の図5

復刻本

ランセット総合広告
(1866年1月20日)
「ラントーン」

江戸開市 1869年
『ジャパン・パンチ』C・ワーグマン編 

2025年9月8日月曜日

スター関連

 スター関連

以下はアメリカンスター関連。

新しいスターセーフティ

坂道では他のどの自転車にも負けず、一般道路でも負けないスピードである。

簡単に習得でき、快適な乗り心地。

後輪ドライバーの直径は39インチ、前輪は24インチ。

H. B. スミスマシン社 スターバイシクルズの製造元

ニュージャージー州スミスビル


2頁の広告

表題
「ホイール」誌
第2巻 第1号
ニューヨーク、1888年8月31日

2025年9月7日日曜日

自轉車版 第28号

 自轉車版 第28号

昭和60年6月14日発行

☆中村安良太氏(宮田工業勤務)からの情報、宮田工業の本社がある茅ヶ崎工場の一室に、資料室があることは、余り知られていない。そこには次のようなものが展示されている。①ミヤペット50cc 2サイクル、製造昭和33年~昭和37年・モペット全盛期のもの、②フラッシュバット熔接自転車、製造昭和26年~昭和37年③1870年頃のミショー型自転車(外国製?) ④ダルマ自転車、製作年代不明(ステアリングの形状が変わっている) ⑤折たたみ式自転車⑥実用車・国華号、大正期、⑦DIPロー付フレーム製造・昭和39年~昭和45年。など、

☆ビットリアの24インチ・チューブラータイヤ販売中、VITTORIA CORSA CG SERVIZIO CORSE 24インチ。ご希望の場合は、下記へご注文下さい。〒116 東京都荒川区東尾久1-33-2オリエント工業



④ ダルマ自転車、ステアリグポストの形状が変わっている。外国製のようでもあり、あるいは模造品かもしれない。

③ ミショー型自転車 オーソドックスなスタイル、恐らく外国製であろう、後輪のサスペンションの取付位置に注意。

⑥国華号、大正期の製造とあるが?

宮田の広告
日本新聞広告史
 電通創立四十周年紀念
昭和15年発行
国会図書館所蔵

國華號
写真提供:中村安良太氏

2025年9月6日土曜日

ジュゼッペ・ペラ

 ジュゼッペ・ペラ

下の写真は、先般メタなどのサイトにアップされたペラ製作の自転車。

ジュゼッペ・ペラ(Giuseppe Pelà)は、イタリア・トリノを拠点に活躍した伝説的なフレームビルダー。1950年代から1970年代初頭にかけて、数々のプロチームや名選手のために高品質な自転車フレームを製作した。彼の名はフレームに刻まれることはほとんどなく、むしろ「影の職人」として知られている。

ペラは自身の名をフレームに刻むことを避け、チームやブランドの商業的利益を優先した。

只、彼はあるしるしをフレームに施している。それが彼が製作したしたかどうかという証であり、見る人が見ると、そのしるしで彼が製作したフレームだとわかる。

それはどこかといえば、ヘッドラグ或いはフォーククラウンのラインと〇のポイントの組み合わせ、BB下部の4つのカットなどである。


ペラ製作のロード
メタ等のサイトより
以下同じ

フォーククラウンの青ラインと〇

elioのロード 1964年

フォーククラウンの赤ラインと〇

ペラのガルモジ
2021年5月頃にヤフオクで見る

ヘッド部
上下に〇とライン

ペラのBENOTTO(ベノット)

ペラとメルクス 1970年

2025年9月5日金曜日

自轉車 第6号 -3

 自轉車 第6号 

自轉車 第6号  その3、

以下は興味ある記事を拾い読み。

梅津大尉の自轉車談
半 山 生
 余一日陸軍戶山學校敎官梅津大尉の自轉車談を聞くことを得た。左に掲くものは其の一節である。頗る有益の談であれども、字句甚だ不穩當にして十分真を伝ふるを得ざるは余の大に耻づる處である。

近時自轉車の流行長足の進歩を爲したるは余の深く喜ぶ處であるが、余は世の乗用者に向って大に注告を與へたき事がある。夫れは外でもない自轉車乘用後一定の運動を勉むべき事である。元來自轉車なるものは之を体育上より見て適當の器械であるが、乃至衛生上より見て利害如何の問題につき考量するに、自轉車其物のみを以ては運動器として多大の効益を有するものではなく、寧ろ今日世の乗用者の如き風を以てするときは利害相償はざるに至るやも知れないのである。併し其の然ると否とは皆是れ乘用者の用意如何に依って岐るるものにして、自轉車其物に免かる可かざる欠點ではないのである。之れ余が世の乗用者に向けて注告せんと欲する所以の起點である。ツマリ自轉車なるものは他の運動器具の如く偏重偏軽なく満身の運動を取り得るものなるや否やに考えひ及ぼすときは、黒人の研究を待つまでもなく否定せらるるは固よりである。即ち腰部以下は十分運動を爲せども腰部以上は僅かに御相伴的の波動を受くるに過ぎないのみならず、その腰部以上も只ペダルを踏む一方である故に、他の運動器具に依る如く規則的の運動を取ることは甚だ難いものである。斯く云へば余は自轉車を以て些の効益なきものと論するものの如くに聞ゆるやも知れねど、決して左にあらず。空気の強圧に依り肺部を健強ならしめる如き、視力を發達せしむる如き、数へ来れば幾多の利益あるを信ずると人後に落ちざるものなれども、只専門の運動器に比しては遺憾多きものであり。不規則なものであると云はんと欲するものである。・・・


22頁

23頁

2025年9月4日木曜日

ホイールマン誌

 ホイールマン誌

以下の図はホイールマン誌の挿絵より。

ホイールマン誌 合本版 1883年発行


83頁

門のところで立ち止まり、朝目覚める瞬間に耳を澄ませる 人生の喧騒を後にして

85頁

今、彼は頭上のユリの杯から、夏空の水晶の露を飲んでいる

87頁

崖の上で、言葉を失い、驚嘆しながら、ついに立ち止まり、轟音と水の流れに耳を澄ませた

表題
ザ・ホイールマン
サイクリングに関する文献とニュース
を掲載したイラスト入り雑誌
第1巻
1882年10月~1883年3月
ボストン・ザ・ホイールマン・カンパニー
 ワシントン通り608番地
 1883年