有名な「ラントーン」①
このところ「ラントーン」にこだわっている。理由は既に何回も触れているが、日本に初めて渡来した確証ある自転車(三輪車)だからである。
このラントーンは日本の自転車史に於いて、大いに影響を与えた自転車の一台だ。それと明治19年に日本を旅行したトーマス・スチーブンスを忘れてはならない。トーマス・スチーブンスはコロンビア製のオーディナリー自転車に乗り東海道を旅した。この反響は当時の庶民や最後の将軍である徳川慶喜の脳裏に焼き付いた。
オーディナリー自転車はさておき、今回はもう少し詳しく「ラントーン」に迫ってみたい。「ラントーン」についての一番の資料は何といってもロジャー・ストリートが「ボーンシェーカー」誌に投稿した表題のタイトル記事である。(THE BONESHAKER、№122 SPRING 1990)
どこまで正確に訳せるかは疑問だが、とりあえずたたき台として何回かに分けて紹介してみたい。当然誤りはあると思うが、分かった段階で修正する。
有名な「ラントーン」
ロジャー・ストリート
(THE CELEBRATED "RANTOONE" by Roger Street)
私は有名な「ラントーン」を所有している。これは、ハンドレバーと足踏みの最高かつ最も強力な「特許取得済み」の組み合わせである。2つの大きなホイールと1つの小さなホイール(ステアリング用)があり、大きなホイールの1つは固定されているクランク付きアクスル(運転用)で、もう一方には遊びがある。これによりあらゆる方向に操舵することができる。 (マシンのイラストは、1868年のペイトン&ペイトン社のカタログに載っている)
ウィリアム・ヘンリー・パーカー(1869年4月30日の「イングリッシュ・メカニック」にその手紙が掲載)は、ボトムリー・ファースが「おそらくクランク軸のベロシペードの完成型」と述べている。「ベロシペード その過去、その現在」("The Velocipede, its past, its present and its future", 1869)。そしてその1869年3月13日の「The Mechanic」の記事によると、「Rantooneは最も広く愛用されており、昨年の夏のシーズンには、ビジネスと楽しい目的の両方で主に利用された」とあり、このマシンが広域的に流行したことがわかる。
インド中部のムボウに駐屯している王立工兵隊のレッドフォード中尉は、次のように述べている。
「急な丘の登りでは、通常のベロシペードでは足を動かすことができないが、良い道では少しも疲れることなく20マイル走ることができる」
Rantooneは、1880年8月号、B.T.C「サイクリング」の編集者も同様に以下のように賞賛している。
「私たちの少年時代の古いベロシペードには、ハンドル用のレバーが2つ、足用の踏み板が2つあり、ライダーはアニメの乗り物のように釘付けになった」しかし今日、この重要な初期のマシンについて、自転車の歴史家はほとんど忘却している。
私の話は1863年に始まる。この年、ウィラード・ソーヤーはまだドーバーで彼の素晴らしい四輪車を販売していたが、商業的に生産されているベロシペードは他に殆ど無かった。
ミショー社はパリでその一歩を踏み出し、後に「ボーンシェイカー」として知られるようなるマシンを製造していたが、プロトタイプを除いては一握りのアマチュア・メカニックであり、イギリスでは目新しいことは何も行われていなかった。しかし、1863年5月21日、「メカニシャンで、サリー郡のブラックフライアーズ・ロードに住むジョセフ・グッドマン」は、ベロシペードの改良についての特許(1863年の1280号)を取得した。
図1と図2(特許からのコピー)は、それぞれマシンの側面図と平面図を示している。