NCTCの分派
昭和28年8月号の「新ハイキング誌」に鳥山新一氏のヨーロッパの旅が連載されていてその中の記述が大波乱の元となった。
NCTCから通産省の欧州の自転車事情調査員鳥山新一氏が派遣された。
戦前から和田文平氏の英国流のサイクリングスタイルの指導を受けてきたNCTCのメンバー達にとってフランスの自転車の豊富な車種が優れていて我が国に採り入れるべきとの記述は会長の和田氏の逆鱗に触れ結果鳥山氏が退会し新たにJCCを立ち上げた。
鳥山氏はNCTCから調査員として派遣された事になっているので和田氏の戦前から英国流のサイクリングの指導に集まってきたメンバー構成で英国以外の情報は皆無でした。
注目したいのは昭和27年の渡欧で英国よりフランス流サイクリングが優れ我が国に相応しいと認識したのではなく、戦前からフランスの自転車文化の幅広い利用に注目していた。したがって旅行記で英国流クラブモデル一辺倒のNCTCのスタイルを公に批判した。
鳥山氏は戦前岩波書店から昭和14年に発行されている「フランス通信」瀧澤敬一氏著など数少ないフランスの自転車情報を読み英国流に疑問を持っていた。
27年渡欧の際鳥山氏はリヨンの瀧澤氏を訪問している。瀧澤氏は横浜正銀銀行(東京銀行の前身)リヨン支店勤務で複数の自転車を所有するサイクリストであった。
鳥山氏のこの分派行動は従来のイギリス一辺倒、特にCTCを模範としたサイクリング文化やその機材に対して単に批判したのではなく、新たにフランスの自転車文化を紹介・導入したことに大きな意義がある。日本のサイクリングの質と量を向上させたその功績を現在のサイクリストの記憶の中に留めてもらえればと思っている。(渋谷良二)
以下に関連記事の一部を抜粋、
「続ヨーロッパの旅、78頁」
日本の自転車は五十年前の英国の植民地向けの自転車の型をそのまま鵜呑みにして一向にこうした点を考えることなしに唯々後生大事に昔のままに保って来たわけです。
同じサイクリングツアーの盛んな国でも、それぞれの国によって、車の設計、部品の設計工作が異なっており、夫々の特色を持っているのはさすがにサイクリングの歴史も古く、有力な団体、指導者、メイカーのある国だけに教えられる点が多い。
フランス の車はツァー用車に限らず日常の用に使う、通勤用車でも、英国の様にサドルに鞄をつけずに、後の泥除けの上の小さな鞄受台に振り分けに左右にぶら下げたバニヤーバッグを常用しております。
これもプラスティック製、キャンバス製、革製の大小いろいろの大きさのものがあり、旅行用には前の泥除けの上につけるものもあります。又ハンドルの直前につける物もあって、こうした荷物のつけ方は英国よりも合理的です。
これは日本の自転車業界のためばかりでなく、クラブにとっても極めて有意義なことだった。
それと同時に、それまで戦時下の情報不足という事情のため、和田文平氏の指導の「英国流サイクリング」を唯一の手本と信じてきたNCTCのサイクリストにとってサイクリングの本家はむしろフランスであり、イギリスには本格的なサイクリング用車もないというヨーロッパの事情が明らかになった。
サイクリングのソフトとハードに関する各種の情報、例えばツーリングとクラブ・ランの本質的相違や、乗車姿勢を始めとする膨大な「新しい知識」や、名前さえ聞いたことのなかったフランスの本格的旅行用車を筆頭に、600点以上のフランス・イタリー部品を目のあたりにすると、クラブ員のショックな大変なものだった。
その反面それまでの指導に対しての不満ともいえる方も出てきたため、和田氏としては、鳥山君がクラブを辞めるか、あるいは自分が辞めるかだといいだした。
和田氏が辞めては困るので、結局鳥山君がクラブを辞める形で事態を収拾した。
鳥山君は「日本サイクリング・クラブ」(JCC)を設立し、「フロント・バックとバニァ・バック」というフランス流のサイクリングを中心に新しいサイクリングの道を開拓した。