自転車関係資料 - 260
少年園 第95號 1892年(明治25年)10月3日発行
これも「少年園」の記事、
参考までに明治25年9月22日付けの読売新聞及び明治25年9月20日付けの信濃新聞の記事も下に載せる。
このレンルと云う青年は誰なのか、そのスペルは、現在調査中である。
29頁
国会図書館所蔵資料
自轉車旅行の少年。
米人レンル氏は、二十歳未満の青年なるが、去年一月其本國を自轉車にて出發し、去る三月東京に着し、それより所々を歴遊し、此頃信州上田に到り、引き続き長野松本其他同縣下の名所舊跡を探り、専ら旅行記を編輯する材料の集輯中なりといふ。鳴呼万里の異郷に来りて山河を跋渉し、優悠是等の事を為す、其胆力の勇以て思ふべし。
明治25年9月22日付け読売新聞
1892年(明治25)9月20日付、信濃毎日新聞
米人レンル氏は本年一月其本国を自轉車にて出発し去る三月日本東京に着暫く滞在の上此頃信州內地の旅行を思立ち軽井沢に来遊し一昨々日旧軽井澤より携帯するところの自転車に乗り同日午後三時三十分上田に向け出発し同七時六分上田停車場に到着せり氏の自轉車は米国に於て二百弗內外の價值なる良好なるものなれども追分より小諸迄の道路非常にあしき為車輪に損傷を生じ修繕のため途中三十分間を空過したれば旧軽井沢より上田停車場迄即ち二十七里の里程を都合三時間と六分にて到着したり氏は本年二十歲未満の少年なるが尚此週間中に長野・松本其他本縣各地を旅行し名所舊跡を探り風色山水を尋ね其旅行記を編輯する由又同氏は目下上田松尾館に滞在中なるが聞く所によれば氏の自轉車は平地ならば一時間に十八哩を走るよしにてかって三河の豊橋より岡崎迄十里間を二時間二十分にて達し得たりと云う。
註、関連の当ブログは → こちら
ここでは名前をシレルと読んだ。