陸奔舟車
陸奔舟車の関係資料
「憲友」軍警会 [編] 1935年(昭和10年)6月10日発行
この雑誌の121頁に陸奔舟車関係の記事あり。
「憲友」121頁
国会図書館所蔵資料
以下同じ
122頁
奥付
「憲友」121、122頁
自動車の發明は日本が最初か
段々研究して行くと世界の科學的發明の最初がどれもこれも日本らしい、たゞどれもこれも完成しないのが遺憾だが著想だけは確かにいい、大毎子の報道によると自動車の發明が日本が最初らしい記録が出現したといふのである。
江州彦根藩士平石久平治時光は享保年間に於ける天文學者として知られた人だが、彦根町史編纂資料蒐集中の史蹟研究家中川泉三氏は四月二十一日時光の子息彌右衛門重實が同町長松院境内の中に埋めていた時光の遺書類中からはからずも陸奔車創製の原書を登見した、 陸奔車とは現在の自動車と同じ乗物で享保十八年に完成試乗に成功したもので、それは今から二百年前の事である。
木製自動車の陸奔車は桐材を使って作られた小舟型の長さ九尺、外面は黒塗、 中央に楫を立て、運轉者が自らその楫を執て前進する、 舟型の下には四輪車があり、二輪は中央の左右に現はれ、二輪は前後につけ車を隠し、その艗車、後車を奔車、左右二輪を遊行車と名づけ、車は大小ある、速力は一刻に七里を走ると記されてあるから、いまの時間で一時間三里半のスピードが出るわけで、進止屈曲も楫によつて自由で、その原書の賛辞を訳すると、「手に舞し足にて踏む、實にこの器ありて行かんと欲するものは足下にて往き、止まらんと欲せば直に止り、曲らんと欲すれば掌中にて曲る鳴呼奇なる哉」と賛し、機関部は簡単なれど秘して圖とせずと断って居るが、この新考案發明品も、頑冥な当時の権勢者に容れられず、「人間には足がある、危険の伴ふ乗物まかりならん」と叩き壊はされ、文書によつてのみ會心の創作品を鐵塔下に埋め遺して置いたのである。
註、この記事によると大阪毎日新聞に掲載された記事とある。
昭和10年4月であることは間違いない。
但し年月日は書いていない。
4月21日に発見とあるから、他の資料から類推して4月23日の記事と思われる。