誰が初めに
自転車歴史研究者の中で誰が最初に門弥の千里行車、竹田近江の陸舩車、そして久平次の陸奔舟車を自転車であると云い始めたのか少し調べたところ、如何やら福島県の自転車歴史研究家の真船高年氏のようである。
それを裏付ける一つの資料が出てきた。
それは下の年賀葉書であり、この年賀葉書が作成された1988年に同氏は自転車史研究会の会報に”江戸中期の自転車「陸舩車」”と題し投稿している。
当時「門弥の千里行車、竹田近江の陸舩車、そして久平次の陸奔舟車を自転車である」と云っていたと思われる。
1989年1月の年賀状
当研究会宛に届く
この葉書の図とキャプションに
右上から武州児玉郡・百姓門弥の陸船車 1729年
右下、彦根藩士、平石久平次の陸奔舟車 1732年
左下、璣訓蒙鏡草の陸舩車 1730年 とある。
参照、
日本自転車史研究会デジタルライブラリー
26、江戸中期の自転車「陸舩車」 真船高年