2023年10月30日月曜日

中村春吉自転車世界一周無浅旅行記

 中村春吉自転車世界一周無浅旅行記

下の資料は、NCTC 双輪旅行 №4 昭和26年12月20日発行
である。
先般、瀧川美佐緒氏からこの資料を入手。
 
中村春吉自転車世界一周無銭旅行記
菅沼達太郎

表題の旅行については恐らく知らぬ人が多い事と思ふし、我々のサイクリングとまんざら縁遠いものでもないので、貴重な紙面であるが昔の記憶を呼起して其大要を記す事としやう。
此の旅行記は明治四十五年頃博文館から出版された四六判五〇〇頁くらいの単行本で、表紙の絵は小杉未酔(放庵)画伯筆の漫画風の絵で、ヤシの木が茂り遠景に印度寺院の屋根が見える、四十度位の急斜面を自転車で下っている構図である。
巻頭に四・五枚の写真がある。
明治四十年代は自転車が一般には実用と娯楽との半々位の時で、当時の青年雑誌「探検世界」には時々自転車旅行法などといふ記事も出て、自転車旅行に関する興味は知識階級へ相当普及していたやうである。登山よりも徒歩旅行と称して山岳高原を歩く事が学生層に流行し、それと兼ねて無銭旅行と云ふ方式も採用された。無銭旅行と云っても乞食式の旅行ではなく、今日の登山に似たもので、自炊し野営しつつ旅行するものが多かった。
中村春吉氏は何も自転車愛好家と言ふ訳ではなく将来貿易を業として大いに活躍する為には一と通り世界各国の状況を一見する必要ありと感じたが、その旅費が無いので道々労働しつつ旅行する所謂無銭旅行の形式をとり、最初は徒歩旅行と考へたが、歩いていたのでは無暗に時日を要するので、当時流行の自転車を使用する事に決めた。
横浜の生糸貿易商某氏が中村氏の壮挙を知って後援する事となり、自転車一台と横浜カルカッタ間の切符を寄贈した。その車は私の記憶ではランブラーと云った。巻頭挿入の写真では英車か米車か独車か判断がつかない。しかし当時の車ゆえ舶来品に相違あるまいか・・・。
浅い曲りのノースロード型のハンドルバー、 前車ブレーキは前輪タイヤを押して制動す式で後車にはブレーキが無いので固定ギヤであろう。チェーンホイールは四十四枚らしい、泥除けはあるがギヤケースは無くペダルはラットトラップ、頑丈そうに見へぬが中村氏考案の荷掛けが付いているがスタンドは無い。当時我が国には荷掛けやスタンドは販売されていなかった。
ランプについては面白い事が書いてある、当時はダイナモランプは無く、石油ランプかアセチレンガスであったので中村氏は珍考案をしている。プリキ缶へ高野豆腐を石油に浸したものを入れてこれに点火する。火持ちも良く普通の石油ランプよりも明るいと云ふのである。 無論ブリキ缶と簡単に書いてあったが自転車用ランプとしての型式は揃っている訳で、自転車に取付けてある所を見ると普通の石油ランプと大差ない型である。
然し長い旅行中高野豆腐を何処で補充するかは明記されていない。
出発当時の荷物は後車上の荷掛けのみに一括して付けてあるのみで余り嵩張っていないが、内容は天幕、毛布、炊事用具、修理用具、応急食料、急救医薬品、其の他現在我々がキャンピングに行く時に携行する程度の備品名が掲げられている。
中村氏の発出当時の服装は明治時代のニュールックで、耳覆付のハンチング、黒っぽい四つ釦シングルの上衣とネズミ色のズボン、白ズックのレッギング(日露戦争当時の軍用ゲートル)に編上・・・・

註、自転車はランブラーで間違いない。押川春浪の冒険小説『中村春吉自転車世界無銭旅行』にある写真のチェーンホイールの模様と本文にもランブラーとの記載がある。


表紙
資料提供:瀧川美佐緒氏
以下同じ

40頁

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42頁

43頁

44頁