自轉車瓦版 第48号
昭和60年7月8日発行
☆須賀氏からの情報。
江戸川区民センター、郷土資料室発行の“資料室だより(№5、S.42.6.1)に次の記事があった。
「明治初期の三輪車、宮崎鎮雄氏宅から発見される。この三輪車は明治10年代に鍛治屋と車大工の手で作られたものと思われる」三輪車では、三元車が有名だが、いったいこの三輪車はどのようなものであろうか?興味あるところである。
☆八神氏からの情報、
"SPOKEN' WORD の表紙コピーをいただく。この機関紙は、自転車切手収集愛好家の会報で定期的に発行されているもの。会員は、本部のイギリスをはじめ、アメリカ、ニュージーランド、西独など世界各国に及び、日本では八神氏がただ一人のメンバーになっている。
★真船氏からの情報、
「洋学史辞典」日南学会(昭59.9.20 雄松学より復刻出版)発行の記事の中で、”後踏自転車”と“前踏自転車”というのがあるが、これは当時(明治4年)の糸車の名称で、今日で云う自転車に付けた名称ではない。先の斉藤氏の論文では、寅次郎が自転車の名づけ親であると書かれていたが、あるいは寅次郎がこの糸車の名称を借りて来て、自分の製造した自転車に採用したのかもしれない。まだ、これを証明する確かな資料が現われていないので結論づけることは出来ないが、今後調べたいところである。
糸車 神奈川県山北の古民家で撮影
