2025年11月2日日曜日

自轉車 第9号 - 7

 自轉車 第9号 - 7

快進社 明治34年4月1日発行

以下は拾い読み、

女子嗜輸會に臨みて

尾川松子

芳春三月十日は、吾等同志の間に成れる、女子嗜輸會の例會日に當り、三島醫學士の講話あるべく、且つは近郊散策の企もありとの通知ありければ、妾は此日午前九時半新橋發列車にて、關西地方へ公用を帯びて出張せらるる父を停車場まで見送り、連れの人々へ挨拶もそこそこに、急き會場なる神田鍋町東宮いと子氏方へ行けば、早や例刻を過ぎて時針は十時二十六分を示してあり、會員も十三名程見へ、三島先生も来られてあり、本會の爲め万端斡旋の勞を取らるる快進社の佐藤氏等を相手に、雑話を試みられてありき、やがて大學病院へ朋の見舞に行かれたりと云ふ朝夷竹子、岩堀げん子兩氏の歸場せらるるを待ら受け三島先生の講話開かれたり、其大要を摘記すれば左の如くにてありき。余が自轉車に関する知識は、僅かに一周日前程より乗車を練習しつつある位にて、是すら足痛の爲め中止しあるなれば、未だ諸子に向つて講話を爲すべきの場合に至り兼ねれど、何れ研究の後材料を得て、委しく説く所あるべし、只今日は初對面の挨拶迄に自分が斯くと心付きたる二三の点を御話せん、當初、此會を設立せらるるに當て、女子の自轉車乘用の利害如何を問ふものありしが、余は前に云ふ如く、未研究のものあるを以て利害の詳細を明言するを得ざれ共、免に角余は女子の自轉車乘用は不可あるものにあらず、獎勵すべきものなれば、强て嗜輸會の設立に向て非難の論法を向くる勿れとの注意を與へたりき、元來日本女子の体育不完全は、内に屏息するより起こるものあるを以で、此弊根を除却するの道を求むるは、日本女子体育の發達を計る上に於て最捷徑のことたるを信するの余は、諸子が奮然蹶起・・・


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