自轉車 第9号 - 8
快進社 明治34年4月1日発行
以下は拾い読み、
豆相みやげ 遊輪生
一月以來人並に海邊漫遊と出掛け、昨今漸く歸宅したのみにて、縄張り内の八百八街巡覽も、暫く其任を欠きたれは、見聞録は次回の事とし、不取敢旅行みやげ先きの模様を、御土産までに一節揭くる事にした、蓋し後に行く人の案内にもならんかと思ふての事である。
始め出發の際、自轉車携帯は無用との忠告を興へし友人もあつたが、自轉車義勇隊の組織せらるる今日山地の凹凸道を試乗するも實驗の一つとあり、且つは平地に於ける興味と異なれる興味もあらんかと思へば友人の忠告も耳には入らず、日頃愛乗するトラックレーサーに跨り、新橋へと向ふた、小田原迄は從來数々往復したれは、此行は途中迄汽車の厄介になる事とし、東海道三島驛を下車し、此處より豆相鉄道線路を右に或は左に見て、大仁驛を目途に轉輪を始め、未た整はぬ春の景色を眺めつつ大場、南條、北條、其他の各驛各村を一直線に走り行けは、前に天城山魏然として雲間に聳ひ、後に富士函根の諸嶺天を衝いて屹立し宛然我を送迎するものの如く、其快言ふ可らず、既にして伊東修善寺、古奈等の温泉場への分れ道なる大仁驛に達したが、此處は豆相線の既設終点驛であつて、三島より四里餘の距離あり、道路平坦乗車には申分なき處である。途ある處に休足して後進行を續け、田家の庭前や垣根に半開ける梅花を眺めながら行けば、天城續きの山々起伏したる下を流るる谷川の水清く、石にむせぶ水泡の中にはやがて若鮎の交るあらん、絶景々々獨り眺むるも措しきものとつぶやきつつ途中大見驛・・・
始め出發の際、自轉車携帯は無用との忠告を興へし友人もあつたが、自轉車義勇隊の組織せらるる今日山地の凹凸道を試乗するも實驗の一つとあり、且つは平地に於ける興味と異なれる興味もあらんかと思へば友人の忠告も耳には入らず、日頃愛乗するトラックレーサーに跨り、新橋へと向ふた、小田原迄は從來数々往復したれは、此行は途中迄汽車の厄介になる事とし、東海道三島驛を下車し、此處より豆相鉄道線路を右に或は左に見て、大仁驛を目途に轉輪を始め、未た整はぬ春の景色を眺めつつ大場、南條、北條、其他の各驛各村を一直線に走り行けは、前に天城山魏然として雲間に聳ひ、後に富士函根の諸嶺天を衝いて屹立し宛然我を送迎するものの如く、其快言ふ可らず、既にして伊東修善寺、古奈等の温泉場への分れ道なる大仁驛に達したが、此處は豆相線の既設終点驛であつて、三島より四里餘の距離あり、道路平坦乗車には申分なき處である。途ある處に休足して後進行を續け、田家の庭前や垣根に半開ける梅花を眺めながら行けば、天城續きの山々起伏したる下を流るる谷川の水清く、石にむせぶ水泡の中にはやがて若鮎の交るあらん、絶景々々獨り眺むるも措しきものとつぶやきつつ途中大見驛・・・
26頁
