自轉車瓦版 第45号
昭和60年7月2日発行
新聞記事より
神奈川スポーツ史 昭和戦前 41
自転車、地元競走会は大盛況 全国大会で小原らが活躍
あぜを崩して走路
大正時代から続いた実用車に競走会は、昭和に入ってますます熱気をおびてきた。そんな競走会もいつものことながら、 グラウンド造りには苦労が多かった。手っ取り早い方法としては、神社の境内や学校の校庭を利用していたが、時には刈入れの済んだ田んぼの畦 を崩して走路を造った。わき水が出れば、もみ殻を敷き、でこぼこになれば、ドラムかんにセメントを流し込んだローラーで整地したという。・・・(読売新聞、昭和53年3月11日付け)
自転車⓷雑学教室
「乗る者ははね返り野郎―」悪評だった明治初年
わが国に自転車が渡来したは、どうやら慶応年間(1865一68)らしい。はっきりしだ記録はないが、東京の市街に登場したのは明治3年とか。・・・(読売新聞、年月日不明)
この新聞スクラップは、横浜・戸部の関戸自転車店から送られて来たもの。写真中央の選手が、関戸自転車店のご注人、関戸恒一氏、当時はアマチュアの自転車競技選手であった。
自轉車瓦版 第45号
昭和15年、都道府県対抗選手権大会の県代表
左から神藤国男、関戸恒一、小原幸一の三選手
平田忠心氏提供

