自轉車瓦版 第53号
昭和60年7月12日発行
★宮武外骨と明治6年にフランスで自転車のサーカスを見たという成島柳北(航西日乗)と関係があったらしい。人と人との巡り合わせとは不思議なものである。当福島県でも不思議な巡り合わせがあった、と言うのは、鈴木三元の出身地桑折町に雑誌「自轉車」を発刊した佐藤喜四郎(ペンネーム・半山)が明治元年10月20日に生まれていたからだ。彼は、明治21年に上京し、東京法学院(現、中央大学)に学び、24年7月卒業、26年に立憲改進党本部に入り、同報局に3年間勤務、30年10月神田区書記となり、33年7月には月刊雑誌「自轉車」を創刊している。初代三元との関係は現在不明だが時期的に、三代三元とは何等かの関係があったものと思われる。・・・(真船高年氏)
☆高橋 勇氏からの情報、
先日、知り合いの古物商より、松下幸之助氏が勤めていた、大阪・船場の五代商会のカタ ログと封筒を入手した。このカタログは、B5 判で48ページ、完成車や部品が写真入りで載っている。この店は、当時(大正8年)すでに台湾や中国とも取引きがあったようである。
松下相談役が大阪の五代商会にデッチ奉公していた記録と、五代商会の奥さんと撮った写真は有名だが、肝心の五代商会のことは殆んど何も残っていない。このカタログが一つの手掛かりになるのではと思っている。
シンガー三輪車と宮武外骨
1884年(明治17年)
航西日乗
1873年(明治6年)3月4日の部分
店主の五代五兵衛氏夫人と松下幸之助




