スティーブンスの日本旅行記-⑫
彼女たちが楽しそうに運動をしている様子を見れば、ただ「お遊び」をしているだけだと明らかに分かる。野菜や果物を売る女性たちは、ノルマンディーの乳搾り娘のようにきちんとし、おしゃべりをしたり、微笑んだり、お辞儀をしたりしながら歩き回り、「野菜売り」をしている。私が骨董品商の品物をじっくりと眺めている間、炭火のついた火鉢に腰掛け、煙草をくゆらせている店主は、丁寧にお辞儀をし、甲冑を身につけた武者像を、笑いながら指さした。彼の行動には、金目当ての考えなど微塵も感じられない。明らかに何かを売る気持ちはない。ただ、この鎧に私の注意を向けさせたいだけなのだ。何も売ろうとはしないが、頼まれればきっと温厚な性格で商売をするだろう。市庁舎の脇に、古風な小さな消防車(竜吐水)が2台、何気なく停まっている。消火遊びに飽きて、おもちゃを放り投げてしまったような感じである。
私は水辺まで歩き、そこからホテルを探そうとした。水夫たちが蓑を着てくつろいでいる。彼らの態度から見て、私にボートに乗って目的地まで連れて行きたいと願っているのは明らかだ。皆、笑顔だが、誰も深刻な表情をしていない。疲れた顔も、貧困も見られない。素晴らしい人々だ!彼らは他のどの国民よりも、幸せに生きるという感じである。職業的な乞食でさえ、自分たちの貧困を面白がっているかのようだ。まるで彼らにとって人生は単なる滑稽な体験であり、真剣な思考にはほとんど役立たないかのようである。
昼頃から天気が回復し、強い北風が吹き付ける中、下関に別れを告げる。道は海岸沿いに数マイル続く。滑らかで平坦な道は、有名な瀬戸内海の荒波にさらされる丘陵の麓を縫うように続く。おおむね海岸沿いを進む道だが、時折1、2マイルほど内陸へ入り、丘陵間の小さな谷あいに点在する数多くの町や村を繋いでいる。大きな村を通り過ぎると、書店の上に掲げられた「English Books」の看板が目に留まった。この街のガイドブックのようなものを買おうと思い、神戸へ向かう道中、少なくとも英語がわかる人がいるだろうと期待して店に入った。店長の若い男性は英語を一言も話せず、置いてある「英語の本」は小学生向けの入門書やスペルブックばかりだった。
下関北部の村々の建築は、驚くほど芸術的だ。趣のある切妻屋根の家々は雪のように白く塗られ、奇妙な模様の茶色の瓦が屋根に葺かれ、これも白く縁取られている。家々の周りには、コウノトリや動物、魚などを模して刈り込まれた生垣、小さなミカンや柿の木、美しい花壇、そして日本特有の小さな庭園装飾が施されている。小さな谷を抜け、岬を越え、海岸沿いの平坦な砂利道を30マイルほど進むと、やや大きな村に着き、ここで一夜を明かす。ここの宿屋で私の世話をする若い女性は、とても面白がっているような表情で私を見る。その理由を探ろうとするが、無駄だった。もしかしたら、それは彼女の生まれ持った性格なのかもしれない。この国の一般的な習慣に従って、火鉢を囲んで小さな真鍮製の煙管を吸い、小さな茶碗の緑茶で互いの健康を祝う。しかし、愛らしい人形のような女給は、その間ずっと愉快な表情を崩さない。彼女は私を、外見が滑稽すぎて笑いを抑えることができない奇妙な人間の標本として見ているのではないかと、半ば疑っている。もっとも、礼儀上、彼女はあからさまに笑うことは禁じられているが、彼女が聞こえるほどクスクス笑ったのは一度だけだった。その時私は、多くの清教徒的観念に従って、彼女に浴場から遠ざかるように注意した。このような状況下では、もちろん、日本人の観点からも、笑うことは全く許されない。
今晩の客人の中に、光沢のあるブーツ、ぴったりとしたコーデュロイのズボン、そしてジョッキーキャップを身につけた若い紳士がいた。彼の全体的な容姿は、ここ何日か見た中で一番「馬好き」な人である。プロの騎手だと容易に想像できる。しかし、おそらく彼は生涯一度も馬に乗ったことがないが、いまは馬に夢中になっているのだろう。
231頁