2025年5月7日水曜日

スティーブンスの日本旅行記-⑥

 スティーブンスの日本旅行記-⑥

彼らは長い間、名前を変えて頭付きの杵を真似しようとしてきた。しかし、賢明な日本人は古臭いやり方を捨て、西洋の最新の農業技術を自国に導入するのは、もはや時間の問題であろう。

佐賀の平坦な道を走り、1マイル以上通り抜けた。何百人もの子供 たちが合唱している大きな校舎を通り過ぎ、地元佐賀の名物である大きな青銅の仏像を見ながら、道はやや起伏のある田園地帯を抜けて行く。道中は概して平穏に走れた。特徴ある杉並木の道が続く。荷馬や牛を連れた農民の列に出会う。荷馬は凶暴な印象を受けた。

日本の馬は、きつい腹帯や過積載、そして他の国の馬がおとなしく我慢している様々な 屈辱を嫌う。馬の潔癖な要求に応えるため、20フィートの紐の先端で気ままにのんびり歩くことが許され、体中が華やかな装飾で飾られている。日本の馬の非常に独特な性格は、他の国の馬殺しのオーソドックスな方法に倣って怖がらせるのではなく、見た目が気に入らないものには何でも闘志を燃やすことだ。この特異性は、私にとって時として非常に興味深いものとなる。馬が私や自転車に腹を立てる時、いつも後ろ足で立ち上がり、キーキーと鳴きながら息をはき、同時に私に近づいて噛みつきそうになるのだ。このため、農民の一団とすれ違うときは、私は常に用心深くなければならない。というのは、農民たちは、馬の行動によって絶対に必要になるまで、馬を拘束することを考えていないからだ。

人力車は今ではかなり頻繁に見られるようになった。逞しい手足の男たちが曳く人力車は、 ほとんど裸体のような身なりで、 時速9キロの速さで二輪車の車軸の間を駆け抜ける。瓦を積んだ重い手押し車を田舎の工場から街まで曳いている男たちも見かける。中国ほどではないにせよ、重労働のほとんどは人間が担っているようである。

どの町や村でも、ヨーロッパの様々な模倣品に驚かされる。滑稽な間違いが至る 所で見られる。この真面目で滑稽な人々は、名前、商標、そしてあらゆるものを完璧に模倣しようと試みてきた。今日、昼食をとった食堂の 一角には、ギンガムチェックの傘を製造して いる傘職人が数人いる。どの傘にも「ジョン・ ダグラス、マ​​ンチェスター」という社名が刻ま れている。丁寧に作られ、他の国のものとあらゆる点で遜色ないタバコに、「葉巻」と大胆にラベルが貼られている。こうした奇抜な模倣者たちは、このようにして間違いを犯すのだ。シェイクスピアが日本人を見れば、「この世は舞台であり、男も女も皆役者でしかない」という彼の言葉の意味をより深く理解できただろう。他のほとんどの国では生活が深刻な問題であるのに、日本人だけが 「生計を立てるふりをしている」ように見えるのだ。彼らはいつも、世に出て数年間生計を立てるというこの行為自体が、大きな冗談に過ぎないように私には思える。

日本では、あらゆる階層や境遇の人々の間 に、最も幸福な状況が存在しているようだ。 学校の前を通ると、手入れの行き届いた校庭で生徒たちが様々な運動をしているのが見える。それは東洋では決して見られない光景だ。 今日は中原(なかばる)の公立学校の前で少し立ち止まり、興味深い運動の様子を眺めた。 黒いフロックコートとダービーハットをかぶった教師たちの監督の下、女子のクラスは二列に並び、号令とともに枕(ボール状?)を投げたりキャッチし たりしている。男子のクラスは木製のダンベルを操り、様々な規則的な運動で筋肉を鍛えている。若者たちは大いに楽しんでおり、その様子は西洋の学校生活の最良の要素を余すところなく示唆しており、自分の目で見たものを信じるのは難しい。広い世界の中で、授業の勉強や学校生活を楽しむのは日本の子供 たちだけなのではないかと思う。先生の一人が門まで来て、丁寧にお辞儀をして挨拶してくれ た。私は英語で話しかけたが、先生は一言も 理解してくれなかった。

日本の木造家屋は脆く、仮設住宅のように見える。官庁、警察署、郵便局、学校などはどれも新しく、明るく、芸術的で、まるで最近 完成したばかりのように見える。

道路も、時にはまっすぐ整然としており、フランスの道路を模倣しようとしているように思われる。また、何マイルも続く、メリー・イングランドの緑の小道に似た、狭く曲がりくねったロマンチックな道を走ることもある。


149頁

「アウティング」誌 
第12巻 4月~9月 1888年(合本版)
自転車世界一周 トーマス・スティーブンス著
(アウティング誌特派員)

明治16年に建てられた佐賀県庁
佐賀県写真帳
明治44年11月11日発行
国会図書館所蔵資料

註、このページの概要
当時の日本の農業技術について触れ、西洋技術の導入が近いと示唆している。また、佐賀での経験を詳しく記述しており、学校での子供たちの活動や、特徴的な日本の馬の性質、そして人力車や手押し車を使った人力による重労働についても描写している。さらに、ヨーロッパ製品の模倣品が横行している状況や、日本の人々が幸福そうに見える様子、特に学校生活を楽しむ子供たちの姿を観察し、日本の建築物や道路の多様性にも言及。

2025年5月6日火曜日

ジロ 2025

 ジロ 2025

Giro d'Italia 2025

ジロ・デ・イタリア 

5月9日(金)に開幕。全21ステージ


昨年のジロの様子
先頭を行くタデイ・ポガチャル
公式サイトより

2025年5月5日月曜日

スティーブンスの日本旅行記-⑤

 スティーブンスの日本旅行記-⑤

支点には長い梁があり、片端に杵、もう一端に桶が付いている。杵は、外側の桶に水を満たし、自動的に水を抜くことで、臼の中の米の上に落ちる。水を満たした桶は、自重で落下し、水を抜くと、反対側の端が落下する。この動作は、一日を通して約2秒ごとに繰り返される。

嬉野周辺の丘陵地帯は茶の栽培に利用され、岩肌へと続く斜面には、うねりのある均一なお茶の木が並び 緑豊かな茶園が美しく広がっている。 嬉野とその温泉街は下関への幹線道路から少し離れたところにある。特にそこへ行く気はなかったので、武雄村へと向かった。武雄では雨のため、数時間足止めをさせられた。中国と比べて、すべてが素晴らしく優れているため、日本の村の宿屋は、私が初めて訪れた数日間は、まさに楽園のようであった。中国の村の宿屋で一 週間暮らしたら、平均的なアングロサクソン人の理性は打ち砕かれるだろう。 しかし、日本の田舎の宿屋なら、同じ時間をとても快適に過ごすことができる。武雄の周囲の地域は、自然の美しさだけではなく、小さな人工湖、島、洞窟、そしてさまざまな珍しい景観で飾られている。

武雄から牛津まで、8本の電信線が街路を縫うようにあり、数多くの村々を通り抜け、町から町へとほぼ一続きの街路をなしている。こうした街路の整備は、ヨーロッパ風の制服を着た警察官や電信官が事務所に座り、壁には必ずアメリカ風の時計が掛けられている。そして 人々の温かさに目を向けると、30年前には中国よりも危険だったとは想像しがたい。

牛津のメインストリートを通り過ぎ、一番良い宿屋を探していたら、中年の女性が 「もしもし!ワンチの部屋?ワンチのチャウチャウ?」と声をかけてきた。彼女の母親が宿屋を経営しているそうで、片言の英語で陽気におしゃべりしながら案内してくれた。彼女は片言の英語を披露する機会にとても満足しているようで、上海でイギリス人の家庭に2 年間住んでいた時に英語を学んだそうだ。彼女の名前はオハンナ(お花?)だが、友人たちは彼女をハンナと呼んでいて 接頭辞はつけなかった。私が夕食に何を一番喜んでくれるかを知っている彼女 は、手際よく手を動かし、美味しい魚、たっぷりの嬉野茶、砂糖、菓子パン、薄切りのポモロ(柑橘類)を用意してくれた。これとご飯 が牛津での美食の限界だった。

オハンナは誇らしげに本物のアメリカ製灯油ランプを見せ、アメリカ製のストーブがないことを詫びた。私が食事をしていると、 彼女は可愛らしい小さな日本のプードルを連れてきた。ライオンのような形にトリミングされ、大きなフリルの首輪をつけている。「ヨモト」と呼ぶと、すぐに数々の面白い芸を披露し始めた。ヨモトは非常に賢く、才能のある犬である。ケーキを少し分けてもらうと、 前足と頭で立ち上がり、くるくると素早く回転し、闊歩し、「チンチン」と声をかけると足で蹴り上げる。その他にも犬らしい 芸をいくつか披露した。この日本のプードルたちは、驚くほどハンサムで賢い小さな友達のようである。

翌朝は白い霜が降り、道は平坦で状態も良く、宿屋の人たちは、この季節にふさわしい、ボリュームたっぷりの朝食が用意されているのを見て喜んでいる。ブーツまでもが、きれいに磨かれていた。オハンナは「ブラシがないのよ」と、ピジン・イングリッシュ(中国訛りの英語)で靴ブラシと靴墨がないことを詫びていた。

中国とは対照的に、ここでは「道路工夫」と呼ばれる人々が道路の整備にあたる。大きな白い「ブルズアイ」のついた青い制服を着た男たちで、天上の友であるヤメニ・ランナーのような面々だ。学校へ向かう子供たちの集団 が、本やソロバンを脇に抱えて道路を行き交う。彼らは時折、道路脇に列をなして並んでいる。私が 自転車で通り過ぎると、彼らは一斉に膝の高さまで頭を下げ、「オハヨー」と丁寧に挨拶してくれる。

この辺りの土地は豊かで人口も多く、人々は裕福そうに見える。茶室、農家、そして小さな米俵でさえ、芸術的な効果を狙っているようだ。西洋の機械技術の進歩が徐々に浸透してきたことが、この地でも見て取れる。 今朝、ヨーロッパを出て以来、初めて両手持ちの鋤を目にした。しかし、その横には、先祖伝来のような日本の耕作農具を使う男たちや、上半身裸の男女が籾殻を取り除いている。


148頁

「アウティング」誌 
第12巻 4月~9月 1888年(合本版)
自転車世界一周 トーマス・スティーブンス著
(アウティング誌特派員)

「嬉野茶園」
 佐賀県写真帳
明治44年11月11日発行
国会図書館所蔵資料

「佐賀県杵島郡武雄温泉誌
 山下友右衛門
明治24年11月30日発行
国会図書館所蔵資料

2025年5月4日日曜日

老舗さんぽ-57

 老舗さんぽ-57

サイクルセンターシマダ

註、シマダの元の商売はガラス屋のような感じであった。島田大助商店と云って、最初に訪問した時に店の中で目についたのは大きな板ガラスであった。

最盛期には「そごう横浜店」にも出店していたが、現在は廃業。 

当時のメモから

197439日(土)午後から雨

横浜駅西口の島田商店へ。プジョーを買うためである。

ヤマハが輸入した安物のプジョーである。ちょうどショールームにその自転車は展示されていた。即決これを買うことにした。これからこのプジョーに乗り、茅ケ崎まで帰る予定であったが、雨が降ってきたことと、ライトがないので、明日、取にくることにした。

一応、代金の85.000円は前払いした。


プジョーのカタログより

領収書 

1974310日(日)雨、午後から晴れ
1150分に家を出る。横浜のシマダまで自転車を取りに行く。
横浜駅のジョイナスで腹ごしらいして、島田自転車店に向かう。
昨日、購入したプジョーPR10を受け取る。
帰路のコースは、国道1号線で保土ヶ谷~戸塚~藤沢まで順調にきたが、ここで交通事故に遭遇。
場所は大鋸付近、前方にバンの軽自動車が走っていて、急に左折、その横腹にあたり転倒、プジョーは折れ曲がり、自分の体は、顔面打撲と腕や足に擦過傷を負う。丁度、近くでも交通事故があったらしく、実況見分中の警察官がいて「また反対側でも事故だ」とばかり、すぐにこちらに飛んでくる。何とか起き上がったが、彼方此方が痛い。警察官はすぐに救急車を要請、間もなく救急車が到着して、それに乗込む。藤沢市内の病院で診てもらい。どうやら打撲と擦過傷だけで、骨には異常がないとのこと。その後、藤沢の警察署に行き、事情を聴取された。そして今後の示談の話などをする。家に帰ったのは夕方になってしまった。顔が腫れているので、家族はびっくり、「もう自転車には乗るな。これで懲りたはず」と云った。
プジョーは1時間半乗っただけでオシャカになってしまった。
手痛い買い物であった。
1ヶ月を過ぎたあたりから、また自転車が欲しくなる。まだ懲りていない)
 
1995626
自転車文化センターの帰り、渋谷氏と横浜のシマダへ。
非公開のシマダ・コレクションを見てきた。これは、凄い。まさに地下の秘宝館であった。特にフランスのクラシック・パーツ類が充実していた。

2025年5月3日土曜日

第 43 回 IVCA ラリー

 第 43 回 IVCA ラリー

2025 年 5 月28 日~ 6 月 1 日、フランスのシュリー・ シュル・ ロワール城で開催。

世界のヴィンテージ自転車の愛好家が集うイベント。

註、2000年にメーヌ川からシュリー・シュル・ロワールまでの渓谷がユネスコの世界遺産に登録されている。


関連サイトより

2025年5月2日金曜日

スティーブンスの日本旅行記-④

 スティーブンスの日本旅行記-④

この比類なき人々は、自分たちの行動が 卑屈だと考える余地を一切与えない。日本人は 素晴らしい民族だ。彼らは誰よりも幸せそうに見え、いつも笑顔で人当たりがよく、礼儀正しく穏やかで、いつもお辞儀をして、相手に優しく接する。

魚介類の料理とご飯がたっぷり並んだ夕食の後、宿の主人は頭を下げ、日本人特有の 過剰な礼儀正しさで私のパスポートを受け取ろうとした。宿の主人 は、警察署でパスポートを受け取って検査してもらわなければならないと云った。

日本政府は、国の制度改善に努める中で、 様々な国の改革制度を導入してきた。 西欧諸国に委員を派遣し、教育、警察、陸軍、 海軍、郵政、司法制度などの制度を調査し、 報告させた。そして、様々な制度の中で最良と考えられたものが、日本の新たな出発と西洋文明 の導入のモデルとして選ばれた。 例えば、警察制度はフランス、司法制度は イギリス、学校制度はアメリカをモデル としている。こうした改善策を導入した日本人 は、物質的なものを模倣する際に見せるような 細心の注意を払って、そのモデルを忠実に守ろうとしているようである。おそらく、日本では他のどの国でも同様に、精緻な警察制度はほとんど 役に立たないだろう。しかし、フランスの素晴らしい警察制度を手本に選んだことで、今や欠点のない警察 制度を誇ることができる。

夜遅く、店主が二人の若い男を連れてきた。彼らは温かい酒を飲み過ぎて、既に幾分陽気だった。魅惑的な酒の香りは彼らの活力を増し、舌鋒を緩めると同時に、礼儀正しさにも影響を与えた。その結果、彼らは床に頭を下げ続け、微笑みながら質問する。最後にまた頭を下げ、階下へ引っ込む前に、立ち上がり、長崎で見られる有名な踊りをはじめた。優雅なステップ、滑るような動き、 揺らめきなどを、無言で芸者の滑稽な芝居として披露し、私を楽しませ てくれた。

店主は少しの間私のところにいて、酒を飲んでいた。

彼は若い客たちに酒をかなり気前よく振る舞い、頭を上下に振るという行動 で、私を楽しませてくれた。半時間ほどの間、彼は母国語で短い秘密の会話をしてくれましたが、全く理解できないと言われると、 すぐに頭を床に伏せてしまった。しかし、 それでも彼はすぐにまた私に話しかけ、頭を上下に振るのをやめなかった。 舌が自由に動き回り、私の無知さが分かってくると、会話は短い質問や、頭を上下 に振る動作を交えながら話した。

就寝時間になると、押し入れから布団が取り出され、床に 広げられる。硬くて寝心地の悪い木の枕が用意さ れ、頭のそばに炭火のストーブと大きな行燈が置かれる。服は畳んでしまい、頭を下げ、膝を床につけて 「おやすみ」の挨拶をする。これらはすべて、可愛らしい二人の仲居がやってくれた。彼女たちはおしゃべりをし、微笑み、お辞儀をし、まるで躾けられた二人の小さな子供が 夜のために人形や持ち物を片付けるようにそれぞれの仕事をこなした。

大村からは、立派な針葉樹の並木道があり、非常に良い道路が通っている。左手には大村湾が広がり、道路は 時折そのすぐ淵を通る。一箇所、 荒々しい岩の土手道から島にある寺院 が見えた。この小さな島は暗い松とギザ ギザの岩に覆われており、その中に寺院を建てている。中国人も 日本人も、礼拝や宗教施設の建設には、最も ロマンチックな場所を選ぶのが好きなようである。

日中は暖かく、夜中の激しい雨で道はところどころでぬかっているが、大部分は雨の影響を受けていないきれいな砂利道だ。長崎街道は丘陵地帯を越え、谷を下って、鉱泉と 温泉で有名な嬉野へと続く。途中、苔むした崖の斜面から小さな滝が流れ落ちる魅力的な小さな渓谷を通り過ぎていく。そこは、茅葺き屋根の小屋、寺院、森、そしてせせらぎの小川が点在する。

小川には、巧みな水流操作によって稼働する 無数の水車が設置されている。小さな水車小屋 には、米を入れた臼が置かれている。


147頁

「アウティング」誌 
第12巻 4月~9月 1888年(合本版)
自転車世界一周 トーマス・スティーブンス著
(アウティング誌特派員)

デジタル・ライブラリー(更新)

  日本自転車史研究会デジタル・ライブラリー 

現在、日本自転車史研究会では会報などに掲載された投稿記事のデジタル化を進めている。

今後、デジタル編集が終わったものから逐次ネットにUPを予定。

(他のサイトからの記事もあり)

「107、自転車店の老舗探訪」を追加

 2025年5月2日現在、

1、知られざる銀輪の”わだち 大津幸雄

2、日本の自転車史と鑑札 高橋 勇

3、歴史を大事にしたい 今井彬彦

4、カレンダーに見る山王とロン・キッチンそして鳥山新一 渋谷良二

5、ドライジーネとミショー型の歴史 小林恵三

6、梶野仁之助伝(改訂版) 大津幸雄

7、日本の自転車史・その疑問点(改訂版) 大津幸雄

8、日本における自転車の製造・ 販売の始め 齊藤俊彦

9、自転車の歴史探訪 大津幸雄

10、「自転車学」の提唱 佐野裕二

11、日本のオーディナリー型自転車の歴史 大津幸雄

12、資料で読む中村春吉 大津幸雄

13、NCTCの分派 渋谷良二

14、自転車産業技術の変遷に関する一考察 渡邉喜久

15、「第三フランス通信」について 渋谷良二

16、彦根藩士「人力自走車」創製の記録 大須賀和美

17、自転車全書 松居松葉

18、ロンドン・ペダリング 大津幸雄

19、アンチック自転車 高橋 勇

20、創立20周年を迎えて 石原政雄

21、日本の自転車製造業の歴史 大津幸雄

22、パリの古本屋をたずねて 瀧川美佐緒

23、初めてのサイクリング 大津幸雄 

24、日本の自転車灯火 梶原利夫

25、オーディナリー自転車について 大津幸雄

26、江戸中期の自転車「陸舩車」  真船高年

27、日本の自転車の歴史(遺稿) 佐野裕二

28、History of The Ordinary in Japan Yukio Ootsu

29、歴史は繰返す”スポークの折損より 井上重則

30、お寺にあったダルマ自転車 大津幸雄

31、旅と自転車史 植原 郭

32、日本輪友会について 大津幸雄

33、自転車発展の途をたどる 高木六弥

34、日本自転車史の脇役たち 高橋 達

35、自転車はどこを走ればよいのか? 大津幸雄

36、Around the world on a bicycle  ThomasStevens

37、自轉車利用論 金澤来藏

38、Bicycles & tricycles  Archibald Sharp

39、Across Asia on aBicycle Allen and Sachtleben

40、各地の自転車小史 須賀繁雄

1The Modern Bicycle  Charles Spencer

2Round the World on a Wheel John Foster Fraser

43、自転車発明の始祖に思う 奈良重幸

44、自転車術 渡辺修二郎

45、名古屋デザイン博の自転車イベント 大津幸雄

46、「 自転車」のスポーツ史的考察 奈良重幸

47、日本の自転車製造業の歴史(改訂版) 大津幸雄

48、遠いフィンドレー 大津幸雄

49、ドライジーネの原書コピー 八神史郎

50、郵便と自転車 斧 隆夫

51、自転車史研究ノート 稲垣正浩

52、明治12年と自転車 齊藤俊彦

53、人力飛行の夢を追って 稲垣正浩

54、明治末の鳥取における自転車競走 大熊広明

55、ジャパンパンチ・ワーグマン 高橋 勇

56、ニュースレター・バックナンバー 大津幸雄

57、娯楽俱楽部 民友社

58、日本の自転車製造業の歴史(改訂新版) 大津幸雄

59、郵便と自転車 大津幸雄

60、明治期の埼玉における自転車事情 佐竹慎太郎

61、名車 "Rene・HERSE" 上野修一

62、スティーブンスの自転車世界一周 大津幸雄

63、簡易写真術 扶桑商会

64、1985年版資料目録 日本自転車史研究会

65、Velocipedes  Bicycles and Tricycles  1869 Velox

66、日本で最初の自転車旅行 大津幸雄

67,輪界追憶録 佐藤半山遺稿

68、輪界追憶録について 高橋 達

69,佐藤半山の遺稿 高橋 達

70、スティーブンスの日本での旅程 大津幸雄

71、アメリカン・スターについて 大津幸雄

72、堺の自転車 堺輪業協会

73、外装変速機のすべて 前田鉄工所

74、簡易自転車修繕法 佐藤喜四郎

75、ホルストマンの日本滞在記 大津幸雄

76、フランク・レンツとビクター号 大津幸雄

77、陸奔車の中川泉三  大津幸雄

78、正田門弥の千里行車について 大津幸雄

79、ヴェロシペードの時代 大津幸雄

80、ラントーン(RANTOONE)について 大津幸雄

81、「提督の物語」のヴェロシペード 大津幸雄

82、ヴェロシペードの時代(増補版) 大津幸雄

83、「ジャパン・パンチの自転車」-1 真船高年

84、自転車の復権 大津幸雄

85、千里行車と陸奔舟車の駆動方式 大津幸雄

86、自転車の切手について 大津幸雄

87、日本最初のサイクリング? 小林恵三

88、やはり明治の自転車リロイ号 大津幸雄

89、ジャパン・パンチの自転車 -2 真船高年

90、ジャパン・パンチの自転車 続編 真船高年

91、埴 亀齢の三輪車 大津幸雄

92、郵便と自転車の出会い 大津幸雄

93、足柄・箱根サイクリング 大津幸雄

94、南アルプススーパー林道サイクリング 渋谷良二

95、世附サイクリング 大津幸雄

96、第1回ポリージャポン 大津幸雄

97、門弥が先か? 大津幸雄

98、ラレーの思い出 山中唯裕

99、自転車年表 大津幸雄

100、サンビームのレストア記録 小池一介

101、リンゲのボーンシェーカー 大津幸雄

102、日本自転車史 大津幸雄

103、会報「自轉車」創刊号 日本自転車史研究会

104、自転車の起源はどこにあるのか 小池一介

105、モトゥス 陸奔舟車  日本自転車史研究会

106、レンツの日本自転車旅行 大津幸雄 編

107、自転車店の老舗探訪 大津幸雄