2025年9月2日火曜日
明治期の絵葉書
2025年9月1日月曜日
自轉車瓦版 第26号
自轉車瓦版 第26号
昭和60年6月10日発行
☆真船氏からの情報、①東京(新宿)の雄松堂から送られてきた古書目録に「ホイールメン」というボストン発行の資料が掲載されていた。この資料は、1882年~1884年版の3巻で目録名は、「自転車図鑑」(日本名)、価格は17万5000円、目録の写真には、オーディナリーが写っていた。
◎福島市史を読んでいたら、次のような気になる記事が出ていた。「東湯野というところに、鈴木兵七、鈴木又七という者がいて、蚕種業を営んでいたが、明治初期に、足で蹴って走る自転車を作り、乗りまわした。ドライジーネが発明されたのが、1817年頃であるから、50年以上も遅れての日本登場ということになる。明治3年に発行された『知恵の環』に出てくる自在車を見て作ったのではないだろうか。
世界の年産、7500万台
自転車がフランスで発明されて約百七十年。先進諸国ではレジャーの手段となったものの、自転車は「依然、第三世界では民衆の不可欠な乗物である」、近年、自転車の生産は爆発的な伸びをみせ、今や世界の年間生産高は7500万台と、1970年の2倍に達する盛況だ。生産量と市場規模の両面で世界一の座を誇っているのは中国である。
☆各地方の百科事典に出てくる自転車のページ、
以上、東京、須賀氏調べ
2025年8月31日日曜日
自轉車 第6号 - 2
自轉車 第6号
自轉車 第6号 その2、
以下は興味ある記事を拾い読み。
東海道自轉車旅行記案内記
伊藤虻半居士
第3日目
午前6時45分鳴海發、午前7時25分名古屋着この間7哩半
この間道路良好なり、鳴海を發してより、約3哩にして坂あり、千竈坂と云ふ、この邊より人家軒を並べ行人絡繹として大都会の既に近きを知る。熱田市に入り右折して熱田神社に突當り、左折名古屋に向ふ、この間三哩余は市街繁熱、往来雜沓、走るに面倒なれども、行人の風采を始め、萬事の有様全く上方風なる故、始めて来りし者には面白味を感ぜしむ、大通を真直ぐに行き、電鐵線路に突当り左折すれば官線の名古屋驛及び關西線の愛知驛が南北に並立する處に至る可し。・・・・
2025年8月30日土曜日
自轉車瓦版 第25号
自轉車瓦版 第25号
昭和60年6月8日発行
☆“ガタクリ市”〔1〕「柱時計」岡本ノーリツ自転車が記念品として作らせたもの。振り子の部分に金文字で「記念」 の文字と、「能率」のマークが貼ってある。戦前のものかもしれない。外観はきれいだが、トビラ下部の板ガラスが割れている。時計は不動。¥7,000-
[2]「看板、自転車関係3枚一括」いずれもホーロー製で、サイズは高木ギヤが12×48cm。三村の看板は、25×42cm。自転車技術 9×45cm。三村の看板は程度「下」だが絵が可愛い。 3枚まとめて、6,500円
[3]「魔風恋風」小杉天外著、日本近世大悲劇名作全集第二卷、中央公論社版、昭.9.8.1発行、20,000円
送料は、それぞれ実費となります。ご希望の方は「ハガキでご連絡下さい」2名以上の方から注文があった場合は抽選になります。
☆当研究会が最近入手した資料に次のようなものがある。①『公定価格表』昭和15年7月印刷、名古屋自転車卸商業組合、42頁。②『白い自転車』朝日新聞大阪本社通信部史、昭和.52.1.1発行 非売品 。③自転車商の名刺3枚。①と③については、コピー依頼をお受けしますので「ご希望の方はご連絡下さい。」
★自転車にする情報等何でも結構ですからお寄せください。みなさまからの情報により、この瓦版も会報も成り立っています。
2025年8月29日金曜日
セルバック自転車
セルバック自転車
セルバック(Selbach)は、1920〜30年代の英国軽量自転車の黄金期を象徴する自転車の一つである。創業者モーリス・セルバック(Maurice Selbach)は、元レーサーであり、革新性と品質へのこだわりで知られたフレームビルダーであった。彼の自転車は、当時のトップライダーたちに愛用され、数々の記録やレースで活躍した。
フレーム素材:Reynolds Aグレードチューブ、後にはReynolds 531やテーパー・チュービングも採用。
ジオメトリー:68°前後のヘッド&シート角、バナナ型のフォークレイクが特徴的。
ブレーキ:初期はPelissierやConstrictor製キャリパーブレーキ、後にはMorden製のCrownセンタープルブレーキも採用。
ベアリング:Timken製テーパーローラーベアリングをヘッドセット、ボトムブラケット、ハブに採用。
代表的モデルであるDP(Dual Purpose)は、6日間トラックレースやロードに使用された高性能自転車である。
国民投票の結果、セルバックの1932年の改良は18,133票を獲得。
モーリス・G・セルバック
英国屈指の軽量サイクル&タンデムメーカー
ケニントン通り316番地
2025年8月28日木曜日
「自轉車瓦版」 第24号
「自轉車瓦版」 第24号
昭和60年6月5日発行
☆斎藤俊彦氏(人力車・乗合馬車の研究家として著名、NHK勤務)からの書籍情報 。
『舗装と下水道の文化』岡 並木著、論創社 1985.3月刊、2000円
岡氏から頂戴して早速拝見したが、ヨーロッパの自転車(オーディナリー)と道路の関係について、193~207頁に記述してあり、面白い内容である。
現在斉藤先生は、『九州大学、退官記念論文集』に寄稿すべく、目下、明治10年代前半の自転車状況の一つとして、寅次郎や鈴木三元たちのことについて、まとめつつあるとのこと。 なお『文通史研究』第13号(交通史研究会発行、昭60.4.25)には“寅次郎"に関する論文が掲載されている。
★岡 並木氏には、他に次のような著書がある。
『自動事は永遠の乗り物か』 『くらしと交通』『新しい交通』(昭和54年度交通図書賞)『新・自転車の時代』『都市と交通』(岩波新書、黄版 NO.155)など。
2025年8月27日水曜日
ハドンの自転車について
ハドンの自転車について
先ほど、ハドンの自転車について、英国車に精通している小池さんから以下のコメントをいただきました。
ヘッドバッジを見てわかりましたが、このバッジは”お店”のバッジです。メーカーのバッジではありません。うちにまったく同じヘッドバッジの、ケンブリッジの店ダウのものがあります。
おそらくフレームはブラウン・ブラザース製。VindecというところにつくらせていたModel BB light tourist というフレームセットとチェーンケースではないかと思います。写真で見るとそのものズバリです。1951~1952年ごろではないかと思います。
バッジを見てわかったというのは、East Angliaという語で、英語では必ず、ラレーはNottingham、サンビームはWolverhamptonという具合に都市名が入ります。East Anglia というのは都市名でも州の名前ですらなく、日本で言えば『山陰』みたいなもので、おそらくは何店舗かが、ノーフォーク州、サセックス州、ケンブリッジ州、エセックス州(イースト・アングリアのいくつか)に点在していたので、それらのいずれの店でも使えるようにEAST ANGLIAという風にバッジを作ったのだろうと思います。アームストロングはBirminghamと都市名、ノーマンはケント州と書いてあります。
うちのどこかにダウのバッジがあるはずですが、ハドンのバッジと質感も字体もそっくりです。
ブラウン・ブラザースのモデルVindecは下の写真です。カタログによると、ショップの要望によっていろいろやっていた。たぶん、ダイノハブをやめるなどして、コストを下げ店のバッジを付けたのだろうと思います。クラウンは飾りのプレスを省いたやすいものもありました。