2025年1月17日金曜日

ニューサイ - 4

 ニューサイ - 4

月刊雑誌「ニューサイクリング」第4号 1963年4月1日発行

より、

目次、

特集 春を楽しむサイクリングコースガイド

まえがき

□ 雄大な景色に富む ー熊本県ー

□ 全県公園といえる ー番川県ー

□ すばらしい鳴門の潮 ー徳島県ー

□中部山岳地帯へ挑む ー岐阜県ー

□秘境へのあこがれ ー富山県ー

□名所旧蹟のメッカ ー愛知県ー

□温暖な気候と風土 ー静岡県ー

□文明開花発生の地 ー神奈川県ー

□千年の歴史を彩る ー京都府ー

□ 街道を外れた所に ー東京都ー

自転車百科辞典 「エンサイクルペディヤ・ヤポニカ」(つづき) 久留梅士

新しい自転車モールトンとはこんな車 など


表紙

目次

78頁
新しい自転車モールトンとはこんな車

79頁

2025年1月16日木曜日

On The Wheel 第10号

 On The Wheel 第10号

「オン・ザ・ホイール」On The Wheel 第10号、8月、9月号 1999年

クラシック サイクリストのための雑誌

目次、

デルニー「ボルドー・パリ」、ロバート・コルドン・シャン

ブライアン・ウォーカーへのインタビュー、ゲイブ・コンラッド

ジョセフ・マニャーニのヨーロッパ、リチャード・イェイツ

パリ・サイゴンツアー用装備、1948年ル・サイクル復刻版

1999年米国自転車殿堂入り、ピーター・ジョッフル・ナイ

シャルル・テロンとパリ・ブレスト・パリ、パート1、アンドリュー・リッチー

ラレー・スポーツの復活、アンドリュー・S・ニューマン

など


表紙

目次

14、15頁
内装ハブについて

2025年1月15日水曜日

F.J. オズモンド

 F.J. オズモンド

「スポーツとゲームの百科事典」

1911年 第2巻より

男性は体格が大きく、長い脚に恵まれていなければ、大きな車輪を乗りこなすことはできなかった。直径58インチまたは60インチの車輪は、もっとも効果的に機能した。

H.H.サンソム、R.J.メクレディ、P.W.シェルテマ・ヴェドインそしてF.J.オズモンドなどセーフティが登場する前のダルマ自転車レースの選手が注目されていた。

註、F.J. オズモンドは 1890年代を代表する自転車選手であった。ウィットワース サイクル社で働いていたとき、彼は時代をはるかに先取りした自転車を製造した。1894年に自分の会社を設立し、1900年までにオートバイと自動車を同社の製造ラインに導入した。ジェームス サイクル社は 1911年にオズモンド社を買収し、オズモンドの 2 ストローク オートバイの製品ラインを入手。オズモンドの名を冠したマシンは 1924年までジェームス工場で製造された。


61頁
写真はF.J.オズモンド選手

2025年1月14日火曜日

スターメー・アーチャー

 スターメー・アーチャー

スターメー・アーチャーのカタログ

スターメー・アーチャーの販売及びサービスについて、

スターメー・アーチャー
スペアパーツリスト
 1949年

スターメー・アーチャーの各種ハブ

1938年のカタログ

47頁
スポーツとゲームの百科事典
1911年 第2巻
図22

スターメー・アーチャー3速ギヤ(組み立て済み)
3足ギヤのうち最も古くもっともよく知られている
図22を参照


スポーツとゲームの百科事典
1911年 第2巻

2025年1月13日月曜日

自転車の物語

 自転車の物語

「ジョニー・オ・ウォブラーの二輪のドラゴン」

自転車物語:エドウィン・ウォー著 1869年

「車輪の中に車輪がある」- 古いことわざ

註、「車輪の中に車輪がある」とは、さまざまな事柄が絡み合っていて、複雑で対処が難しい状況、のこと。

この本には挿絵無し。


表題

3頁

ある晴れた夏の夕方、 ジョニー・オ・ウォブラーズとそのロバは、空の荷袋を持って市場から帰ってきた。ジョニーは壺をいつもより高値で全部売ってしまったからだ。 ジョニーの心は羽のように軽く、 ゆっくりと歩く仲間の横をぶらぶらと歩きながら、 むちを振り回しながら、 眠たげに古い小唄を口ずさむ。まるで、蜜をたっぷり含んだ蜂が黄金色の空を羽音を立てて家路に飛んでいるかのようだった。ジョニーは今や広々とした緑の田園地帯に着き、町の喧騒は遠くへ消え去っていた。 あの群がる産業の尖塔や高い煙突は視界から消えつつあり、 郊外にある庭園も後方に小さくなっていった。 太陽は沈みかけ、すぐ近くの木々の影が斜めに長い線を描いていた・・・

2025年1月12日日曜日

ニューサイ- 3

 ニューサイ- 3

月刊雑誌「ニューサイクリング」第3号 1963年2月1日発行

より、

表紙

目次

96頁

87頁

宇都宮付近を走る自転車大尉

自転車百科事典 久留梅士 より
自転車大尉 だるま型のオーディナリー車の時代に軍人にも無類の愛輪家が現われた。中島康直歩兵大尉がそれで、海外留学中、自転車を伝令に用いているのを見て、帰朝後、自宅の中に工作場を設けて自ら組立に当ったというから余ほどのマニアに違いない。 明治二五年秋宇都宮附近で大演習があったので大尉は愛車三両を携えて参加した。当時の新聞(時事新報)記事によると「単二輪車(目下欧米諸国にて行はるる式)、片鎖安全車(同中尉の発明せしもの)、単安全車(仏国軍用式)以上の三車中、単二輪車の中径は四尺六寸、片鎖安全車は三尺七寸、 単安全車は二尺六寸」の三種で「片鎖二輪車は専本邦の如き凹凸多き地形に適用する為めに構造せるものにて、安全車の如きは安全の点に於ては殆ど完全なるが如しと雖も、多くは平坦地に限り、斜形の地に臨んで与ふる力は、単に我が体量の二分の一に過ぎず二輪車は一時の速力前両車に及ばずして多少危険のありと雖も、稍や熟錬せば最も疲労少うして愉快亦た三割方低廉なりといふ」とある。大尉はこの演習中、明治天皇御所望によって走行ぶりをお目にかけその後も陸地測量部に勤務しつつ、軍用化に腐心して「自転車大尉」の異名をとったのであったが、明治二八年日清戦役の折、台湾で病死された。陸軍では車型がセーフティ車に移った明治三〇年代には自転車車事取調委員会を組織した。 その委員長は陸軍戸山学校の梅津元晴歩兵大尉で、大尉は明治三五年の春、川越附近で行なわれた慶応義塾の機動演習には、わが国ではじめて軍事演習に参加した自転車隊の指導に当るなど当時の権威者として推重されていたので「自転車十傑」にも博識家の部に選ばれ第二の自転車大尉である。

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2025年1月11日土曜日

On The Wheel 第9号

  On The Wheel 第9号

「オン・ザ・ホイール」On The Wheel 第9号、6月、7月号 1999年

クラシック サイクリストのための雑誌

目次、

ラファエル・ジェミニアーニ(Raphael Geminiani) について、リチャード・イェーツ 

オランダの自転車デザイン、アラン・パーカーによる環境計画

人力ジェットコースターに乗る、ラリー・ストラングとボードに乗る

メイソン・セントクレアとの会話、キャシー・ディオンによるインタビュー

ウィリー・ホーンマン(Willie Honeman)

カンパニョーロのタイムライン、チャック・シュミット提供

カンパニョーロの最初の特許、ロン・シェパードによる翻訳

巨大なコペーク自転車オークション、カール・バークワード

アナーバー/セイライン クラシック自転車スワップミート、ゲイブ・コンラッド

あの花咲くニッカボッカー、レス・ウッドランド

など、


表紙

目次

カンパニョーロのタイムライン


カンパニョーロのタイムライン
カンパニョーロのタイムラインは、1995年 5月に開始され、年月とともに継続し、初期から Super Record の終わりまで Campagnolo のビンテージ製品の年代を記した唯一の情報源となった。 1997年にタイムラインを引き継いだ Chuck Schmidt 氏は、情報の正確性と詳細性を向上させるという素晴らしい仕事をした。Chuck 氏は Velo-Retro の経営者で、自転車カタログや書籍の復刻版など、品揃えでビンテージ自転車愛好家にサービスを提供しようと努めている。彼の最新の出版物に関する情報については、タイムラインの最後に記載された住所または Web サイトで Velo-Retro にお問い合わせを。OTW は、この進行中のプロジェクトに注いだ Chuck 氏の多大な努力に感謝の意を表す。

1901年 8月 26日、トゥリオ・カンパニョーロは生まれた。1922年にトゥリオ・カンパニョーロはアマチュア レースを開始し、1930年までそのキャリアを続けた。1927年11月4日、アウネ クロス峠を越えるレース中、トゥリオ・カンパニョーロの手は凍えてしまい、ホイールのウィングナットを緩めて別のスプロケットに変えることができなかった。彼はこの問題を解決するために新たな製品を発明することを誓い、クイックリリース ハブの開発を開始した。1930年2月8日、クイック リリース ハブの特許を取得。これは135件を超える特許の最初のものであった。1933年、トゥリオは父親の金物店の奥の部屋で部品を製造した後、リリース ハブの製造でカンパニョーロ社を設立した。スライド ハブ、デュアル ロッド操作、バック ペダル ディレイラーは5月4日に特許を取得し、8月に発表された。ディレイラーの部品はすべて手作りで、膨大な時間と労力を要した。
1940年、Tullio Campagnolo が最初のフルタイム従業員 Enrico Piccolo を雇用。
1946年、カンビオ・コルサ(Cambio Corsa) スライドハブ、デュアルロッド操作、バックペダルディレイラーを発表。
1947年、部品の輸出開始。
1948、カンパニョーロの最初の海外工場(組み立てと仕上げ) がフランスのコニャンに建設された。・・・