2025年5月20日火曜日

スティーブンスの日本旅行記-⑭

 スティーブンスの日本旅行記-⑭

都会育ちの日本人の急速なヨーロッパ化、政府の進歩主義政策、青い制服を着た憲兵隊、そして国全体の革命化にもかかわらず、これらの山間の人たちが祖先のやり方や方法、そして古風な衣装を捨て去るまでには、長い時間がかかるだろう。今後数十年にわたり、日本は山間の人の保守主義と超自由主義的な都市生活の興味深い研究対象となるだろう。一方は外国の衣服を着て、外国の習慣を真似し、あらゆる物事を外国のやり方で取り入れるだろう。他方は、藤色の野良着、菅笠、草履、そして「古き良き日本」の伝統に執着するだろう。


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上の図、日本の連絡船(門司から下関までの渡し舟)
下の図、午後の催事(三島で相撲の興行を見る)

2025年5月19日月曜日

輪史会のサイト

 輪史会のサイト

「輪史会」GoogleのWebサイト(ホームページ)を更新しました。




ヴェロシペード関連

 ヴェロシペード関連

「ダス・ヴェロシペデ」グスタフ・スタインマン著 1870年発行より

ブラウン社の四輪車

ステアリングは後車軸を回転させることによって可能。ドライバーはレバーとプルロッドを使用してこれを制御できる。後車軸の上にも荷物ラックが付いている。・・・


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図2. ブラウン社の四輪車
「ダス・ヴェロシペデ」グスタフ・スタインマン著
1870年発行


2025年5月18日日曜日

スティーブンスの日本旅行記-⑬

 スティーブンスの日本旅行記-⑬

同じような人生を送るうちに、彼はロンドン・グラフィック紙を研究してこのスタイルの洋服に夢中になり、横浜からその服を仕入れるために多大な苦労と費用を費やし、今や故郷の田舎町の人々の前で、自分を最も上品な人物として印象づけている。彼はダルマ 自転車に強い関心を示し―平均的な日本人よりもはるかに―西洋のスポーツ観念を吸収し、未熟で理解力のない同胞の前で、陸上競技の達人として振る舞いたがっているのだろうと推測する。全体として、この馬好きの若い紳士は、私がこれまで出会った「新日本人」の最も驚くべき代表例である。

冷たい霧雨が降り、次の日の旅の始まりである。あまりにも快適だった旅は終わり、雨と泥濘、そしてそれに伴う遅れがあったにもかかわらず、中国での経験の後では、日本での最初の数日はまさに楽園のようであった。中国に嫌悪感を抱く私の感覚に、太陽が輝き、天候と道路状況が好調だった日本での目新しさを初めて見た時、日本と人々からどんな印象を受けただろうか。

馬に乗った若い紳士が友人と別れを告げ、出発を見届けに来た。お茶係の女性は、私が到着した時から変わらぬ、とても楽しそうな表情で私に挨拶をし、他の客数人が私がサドルにまたがる間、自転車を支えると申し出てくれた。

下関より北の地域は山岳地帯で、いくつかの峰の頂上には雪が積もっている。道路は時折丘陵地帯で、曲がりくねった道を走る。

すべてがとても清潔で心地よい10ヤード四方ほどの小さな庭園には、小さな湖、洞窟、趣のある石灯籠、ブロンズのコウノトリ、花、そして矮小な木々が点在していた。しかしながら、長崎から続く不愉快な天候は、まるで復讐するかのように、私の旅の完遂を阻もうとしていた。

小さな谷から谷へと、それほど長い丘もなく、ゆっくりと進んでいく。薪と米を積んで、小馬を曳いた山間の農民たちが出迎える。蓑、菅笠、粗末な草鞋という彼らの古風な日本の衣装は、ダービーハットや騎手服を着た「新日本人」の同胞とは際立った対照をなしている。


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図の説明:みんなに別れを告げる

2025年5月17日土曜日

書籍案内

 書籍案内

「ダス・ヴェロシペデ」グスタフ・スタインマン 1870年発行

書籍名 Das Velocipede: seine Geschichte, Construction, Gebrauch und Verbreitung

著者 Gustav Steinmann

出版社 Weber, 1870

ページ数 91 ページ


18頁
図7、初期のドライジーネ
足で地面をけりスケートのようなステップで

表題

2025年5月16日金曜日

スティーブンスの日本旅行記-⑫

 スティーブンスの日本旅行記-⑫

彼女たちが楽しそうに運動をしている様子を見れば、ただ「お遊び」をしているだけだと明らかに分かる。野菜や果物を売る女性たちは、ノルマンディーの乳搾り娘のようにきちんとし、おしゃべりをしたり、微笑んだり、お辞儀をしたりしながら歩き回り、「野菜売り」をしている。私が骨董品商の品物をじっくりと眺めている間、炭火のついた火鉢に腰掛け、煙草をくゆらせている店主は、丁寧にお辞儀をし、甲冑を身につけた武者像を、笑いながら指さした。彼の行動には、金目当ての考えなど微塵も感じられない。明らかに何かを売る気持ちはない。ただ、この鎧に私の注意を向けさせたいだけなのだ。何も売ろうとはしないが、頼まれればきっと温厚な性格で商売をするだろう。市庁舎の脇に、古風な小さな消防車(竜吐水)が2台、何気なく停まっている。消火遊びに飽きて、おもちゃを放り投げてしまったような感じである。

私は水辺まで歩き、そこからホテルを探そうとした。水夫たちが蓑を着てくつろいでいる。彼らの態度から見て、私にボートに乗って目的地まで連れて行きたいと願っているのは明らかだ。皆、笑顔だが、誰も深刻な表情をしていない。疲れた顔も、貧困も見られない。素晴らしい人々だ!彼らは他のどの国民よりも、幸せに生きるという感じである。職業的な乞食でさえ、自分たちの貧困を面白がっているかのようだ。まるで彼らにとって人生は単なる滑稽な体験であり、真剣な思考にはほとんど役立たないかのようである。

昼頃から天気が回復し、強い北風が吹き付ける中、下関に別れを告げる。道は海岸沿いに数マイル続く。滑らかで平坦な道は、有名な瀬戸内海の荒波にさらされる丘陵の麓を縫うように続く。おおむね海岸沿いを進む道だが、時折1、2マイルほど内陸へ入り、丘陵間の小さな谷あいに点在する数多くの町や村を繋いでいる。大きな村を通り過ぎると、書店の上に掲げられた「English Books」の看板が目に留まった。この街のガイドブックのようなものを買おうと思い、神戸へ向かう道中、少なくとも英語がわかる人がいるだろうと期待して店に入った。店長の若い男性は英語を一言も話せず、置いてある「英語の本」は小学生向けの入門書やスペルブックばかりだった。

下関北部の村々の建築は、驚くほど芸術的だ。趣のある切妻屋根の家々は雪のように白く塗られ、奇妙な模様の茶色の瓦が屋根に葺かれ、これも白く縁取られている。家々の周りには、コウノトリや動物、魚などを模して刈り込まれた生垣、小さなミカンや柿の木、美しい花壇、そして日本特有の小さな庭園装飾が施されている。小さな谷を抜け、岬を越え、海岸沿いの平坦な砂利道を30マイルほど進むと、やや大きな村に着き、ここで一夜を明かす。ここの宿屋で私の世話をする若い女性は、とても面白がっているような表情で私を見る。その理由を探ろうとするが、無駄だった。もしかしたら、それは彼女の生まれ持った性格なのかもしれない。この国の一般的な習慣に従って、火鉢を囲んで小さな真鍮製の煙管を吸い、小さな茶碗の緑茶で互いの健康を祝う。しかし、愛らしい人形のような女給は、その間ずっと愉快な表情を崩さない。彼女は私を、外見が滑稽すぎて笑いを抑えることができない奇妙な人間の標本として見ているのではないかと、半ば疑っている。もっとも、礼儀上、彼女はあからさまに笑うことは禁じられているが、彼女が聞こえるほどクスクス笑ったのは一度だけだった。その時私は、多くの清教徒的観念に従って、彼女に浴場から遠ざかるように注意した。このような状況下では、もちろん、日本人の観点からも、笑うことは全く許されない。

今晩の客人の中に、光沢のあるブーツ、ぴったりとしたコーデュロイのズボン、そしてジョッキーキャップを身につけた若い紳士がいた。彼の全体的な容姿は、ここ何日か見た中で一番「馬好き」な人である。プロの騎手だと容易に想像できる。しかし、おそらく彼は生涯一度も馬に乗ったことがないが、いまは馬に夢中になっているのだろう。


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2025年5月15日木曜日

スティーブンスの日本旅行記-⑪

 スティーブンスの日本旅行記-⑪

朝、窓の外に、年老いた日本人漁師の姿が映る。彼は祈りを捧げているのだ。人間として考えられる限りの真剣さである。しかし、日本人は祈りを捧げている時でさえ滑稽に見える。時折、両手をぴしゃりと叩き、頭髪はほぼ垂直に立っている。彼の考えが多かれ少なかれ劇的であることは誰の目にも明らかだ。

近くの小さな丘の頂上には大きな神社があり、石段が続いている。石段の入り口に、そして斜面を登る途中にも、独特の鳥居、いわゆる「鳥の止まり木」が立ち並び、神社の象徴となっている。境内には数多くの社が鎮座している。神社は主に木造で、それぞれに祀られている様々な神々が安置されている。それぞれの神社の前には、金銭を入れるための賽銭箱がある。日本の信者は神社の前で一分間、頭を下げて両手を合わせる。それから小銭を一、二枚、賽銭箱に投げ入れ、次にまた参拝したい神社へと向かう。本殿には、数多くの絵画、弓矢、刀剣、そして明らかに奉納物と思われる様々な品々が置かれている。漁師の運命を司る神の神社は、巨大な銀紙の魚と、多数の三叉の魚槍が際立っている。日本の神話に通じていない旅行者には意味が理解できない奇妙な物の中には、少なくとも3フィート(約90センチ)の鼻を持つ怪物のような人間の顔(天狗)がある。

散歩の途中、私は店や通りの迷路の中で一時的に迷子になったが、それでも、日本の街の斬新で興味深い光景と、どこもかしこも礼儀正しく感じの良い人々に囲まれて、しばしの時間を過ごした。商店街の南端の方にある仏教寺院の庭に、朝の礼拝に訪れる一団の後をついていくと、入り口に立って、黄色い袈裟をまとった僧侶たちが、お経を唱え、銅鑼を鳴らしながら、ぐるぐると回りながら、俗世を忘れようと努めているのを目にした。寺院の中を興味深く覗いてみると、金箔と豪華な装飾が輝いている。外には経蔵庫があり、中には経典を収めた蔵書がある。別の建物には木の格子の後ろに仏像がある。入口には通常、賽銭を入れる箱があるが、仏像は外界との接触を遮断する格子の内側にある。茣蓙の上に、捧げられた供物が置かれている。畳の上に小さな二厘硬貨(中国の貨幣)があったが、その表情を特徴づける愉快な笑みは、寄付されたお金の少なさにあるようだ。厨子に入れられた赤い仏像をしばし眺めた後、振り返ると、百人もの女性の笑顔が目に飛び込んできた。近所の女性たちが、私が寺の門をくぐるのを見て、噂話を広め始めた。その結果、周囲には女性が大勢集まり、私の訪問の目的を聞き出そうと躍起になっている。彼女たちは、ここにいる皆と同じ、都会的な笑みと楽しそうな表情を浮かべている。私が寺に興味を持つことが、彼女たちにとってとても面白いことのように思えるのだ。

自分の現在位置を確認しようとぶらぶら歩いていると、大きな校舎を通り過ぎた。校舎では子供たちが朗読に励んでいた。下駄と和傘は、入り口に設置された専用のラックに収納されていた。


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