2025年9月24日水曜日

自轉車 第6号 - 7

 自轉車 第6号 - 7

以下は興味ある記事を拾い読み。

最近米国学術雑誌に記載せられたる軍用自転車
(双輪商會寄稿)
今や自轉車は軍隊編成上欠く可らさる機關の一にして各國陸軍に大に其声価を認められ其發達の度の又極めて速かなりし事は實際驚くべき程なるが、數ヶ年以前になりて自轉車の未だ玩弄物視され其實用的運命を見る能はざりし時代にありては、是を軍事に使用して斯も著しき效果を収むべきものとは到底思も依らざりし所なりしが、近來漸く其名声を高め甞て一度は輕蔑の眼を以て之を度外視したる人士の今はなかなかに之を實戰に使用すべく説いて止まざるに至ては不思儀なる一現象とこそ云ふへけれ、實際自轉車は斥候或は傳令等の軍務に關しては他に比敵するの機関なしといふべし、盖し自轉車は軽快にして處理し易く、快速力を有して些少の音をも發せざる。馬上に於けるが如く敵の視線に触れ易き憂なき等の四点より之を論するに到底他に是と對等すべきものなきは明白なる事なり。近來英の陸軍に於ては種々試験の結果総員二千名よりなれる自轉車隊を編成せしが、これは斥侯傳令等の軍務に従事するにあらずして、今之を假に日本に譬へんに一個の敵軍横濱港より上陸なし鉄道を破砕しつつ、漸時東京へ進軍しつつある場合に際し、陸軍は先ず兼て準備したる此自轉車隊を發して神奈川附近に於て一時前進しつつある敵兵を喰止め、后本隊を發して之と替らしめなば、敵は其目的を達する事能はざるべしといふ軍務に備へられたりといへり、佛、獨、露等の諸強國の陸軍にして既に自轉車隊を編成せさるは殆どなきぼとの發達を見るに至りしが、其使用する自轉車は概ね外見は普通車の如く見ゆるも蝶つがひの作用によりて山岳等行通の不便なる路を進行するに際し・・・


51頁
「自轉車」第6号  快進社
 明治34年1月1日発行

52頁

53頁

54頁

註、この図にあるダーズリー・ペダーセンは日本でも既に情報が伝えられていたことが分かる。
 Pedersen自転車は、カンチレバー構造とハンモック型サドルを持つ軽量フレーム。1893年にイギリスで特許を取得し、1897年からDursley(イングランド)で製造された。

2025年9月23日火曜日

「ホイール」誌

「ホイール」誌

サイクリング・トレード・レビュー

第2巻 第1号

ニューヨーク、1888年8月31日

1888 ニューメール

これ以上のグレードはない。これほど成功したダルマ自転車は市場に登場したことがない。

昨年、発売したアメリカ製のニューメールライトロードスター。

すべての部品はスチール鍛造で、完全に互換性がある。

当社が管理するトリグウェル(TRIGWELL)ボールベアリングヘッドの大幅な改良が施されている。過去2年半の実際の道路使用により、絶対的な成功が証明された。完璧に強化されたバックボーンとフォーク、そして厚くなったベースリム。自転車事業に携わって以来、昨年のNEW MAILで全国各地からこれほど多くのお褒めの言葉をいただいたことはない。これらは著名な、ライダーの意見であるため、ホイールのメリットを示すこれ以上の強力な証拠は提供できない。一部のディーラーがボールヘッドに何の利点もないと批判してきたため、トリグウェル特許の真のメリットを明確に理解していただくために、この事実を強調して言及せざるを得ない。

トリグウェルは私たちが管理しており、他社は使用できないこと。トリグウェルはボールを封じ込める唯一のボールヘッドであること。ボールヘッドを最初に採用したため、最も多くの経験を積んできた。そして、2年半使用してきたトリグウェルは大成功であると宣言する。事故の場合でも修理が簡単で、コーンよりも耐久性がある。この成功の最大の証拠は、来年、ヘッドの細部に至るまで一切変更しないと宣言していることである。すべての部品は完璧に機能しており、変更は必要ない。2月1日発売のNEW MAILの説明カタログを送るまで、新しい注文は控えください。今すぐお名前をお送りください。すべての町で優秀な代理店を募集している。以前の代理店は、継続を希望の場合はすぐに連絡していただき、早期納品のために注文してください。

WM. READ & SONS、ボストン、ワシントン通り107番地


8頁
ニュー・メールの広告

「ホイール」誌
サイクリング・トレード・レビュー
第2巻 第1号
1888年8月31日

2025年9月22日月曜日

自轉車 第6号 - 6

 自轉車 第6号 - 6

以下は興味ある記事を拾い読み。

新式泥除(四七商店輸入)
此新式泥除は図に示す如く至極簡単に結構せられたるものにして重量の上に於て價格の上に於て従来の泥除よりは数等の利益あり然かも其効力の十二分なるを聞かば誰か其一新發明 に驚かざるものあらんや

小兒用自転車(四七商店輸入)
此小兒用自轉車は最も安全に最も堅牢にて誰にても練習を要せず直ちに乗用し得るものなり總て金屬製にして男女両様の種類あり何れも高尙優美にして決して古のガタ車的のものにあらず現に女子嗜輪會々員の一人何等の練習を経ず直に之を乗用し居れるが速力の如きも十一二才の小僧疾走の度よりも速かなり


50頁
「自轉車」快進社
明治34年1月1日発行

2025年9月21日日曜日

ホイールマン誌 - 2

ホイールマン誌 - 2

第2巻 №1 1883年4月発行

ピスカタクア川でペダルを漕ぐ。

常に休むことのない歴史ある川で・・・。

近年、彼らは夏に水辺や海岸で仲間を集め、健康を保つために見知らぬ人々が押し寄せる場所に注目している。しかし、その光景はあまりにも多く、それらを辿るには潮流が速すぎる。・・・


5頁

註、ピスカタクア川(Piscataqua River)は、アメリカ合衆国のニューハンプシャー州とメイン州の境を流れる全長約19kmの河川である。歴史、地理、文化が交差するこの川は、単なる水路以上の意味を持っている。
ポーツマス港と呼ばれる河口の約10kmは、潮流が最大約4ノット(7.4 km/h)にも達し、米国東海岸で最も速い潮流のひとつとされている。

3頁
上記関連
ピスカタクア川河口付近の地図

グーグルマップより

「ホイールマン」誌
第2巻 №1 1883年4月発行

2025年9月20日土曜日

自轉車瓦版 第33号

自轉車瓦版 第33号

昭和60年6月19日発行

☆第6回神鍋カップサンツアーロードが8/17~8/18 に兵庫県国定公園神鍋高原の一般公道で開催される。 今年のよびものは、あのスパースター、エディー・メルクスが来会するということだ。レースの前夜祭や当日にはサイン入りのオリジナルグッズの販売も行なわれる。 エディー・ メルクスについては、いまさら説明する必要もないが、一応そのプロフィールを紹介しておく、 ツール・ド・フランス5回、ジロデ・イタリア5回、世界選手権4回、インタ-ナショナルクラシック32回、6日間レース17回の他、 ロードレースで524回の優勝。72年メキシコで行われたアワーレコードでも49.431キロというすばらしい記録を出している。世界最高殊勲スポーツマン (ワールド・モースト・アウトスタンディングスポーツマン) 1969年,1971年,1974年という超人的サイクリスト。現在は一線を引退、自転車のメルクス工房を経営している。

★”8時だヨ!全員集合”にダルマ自転車が登場 (60.6.15 TBSテレビ放映)、いつもバカバカしいと思いながら、子供が見ていたのでなにげなく眺めていたら、ドリフの一人加藤茶がダルマ自転車に乗って現われた。一瞬だったのでその形状はよく分らなかったが、どうも“瓦版“NO.15で紹介したダルマ自転車のようであった。ブリジストンや山口で以前ダルマ自転車のデコを製作したことは知っているが、それではなかった。あるいはアメリカから輸入されたレプリカかもしれない。

☆メーカー事始シリーズとして、瓦版第35号より、遂次特集する。始めのうちは、外国のメーカーの簡単な起源を紹介し、なれたところで本番である日本のメーカーに進んで行きたい。なにぶんにも資料がないのでどのようなものが出来るか不安であるが、なにはともあれスタートする。シリーズの第1回として、“トライアンフ”を予定。


トライアンフ
SOUBEITEZのダイナモ・ライトは
後で取り付け

2025年9月19日金曜日

自轉車 第6号 - 5

 自轉車 第6号 - 5

以下は興味ある記事を拾い読み。

ハツセーハンドル

(四七商店輸入)

此のハンドルは只一挺のスパナさへあれば天地縦横自在に變換し得るものにしてその變換数45通あると製造者は云へり圖は變換の模機を示したる處のものなり

一、ハッセー氏の發明にかかるを以てハッセーハンドルの名あり

一、圖の如く先へ把手の出て居るを以て如何に下げるとも決して膝頭に障る如き憂るし

一、變化多ければ破損し易からんと杞憂するものあらんが堅牢なること普通ハンドルに優るとも劣らないは米國輪界の實驗に於て保證する處なり

49頁
「自轉車」第6号  快進社
 明治34年1月1日発行

2025年9月18日木曜日

自轉車瓦版 第32号

 自轉車瓦版 第32号

昭和60年6月18日発行

☆先週の土曜日(昭60.6.15) リー・フランシスが見たくて、関戸自転車店(横浜市西区戸部)を尋ねた。この自転車のことは以前、雑誌、「サイクルスポーツ」(昭50.1.1発行)で紹介された。この自転車は、大正15年ごろ、既に関戸商店にあったというから、60年以上にもなる。恐らく日本では、この一台が唯一のものであろうか?リー・フランシスについては、まだ分からない部分が多い。イギリスには資料もかなり残っているだろうが、日本には殆どないと云った状況だ。ただし、自動車関係の本の中に、このリー・フランシスについて、書かれたものがあるので参考までに次に紹介したい。

リー・フランシス (Lea-Francis)もまた、ラレー・シンガー、ローヴァーなどと同じく、19世紀末のサイクル・ブーム期に自転車の製造によって身を起こした英国の小メーカーである。ただ、他の成功したメーカーとは異なり、リー・フランシスはこの揺籃期を脱するのに時間を要しただけでなく、絶えずつきまとう財政難のため、自動車生産を幾度か中断せざるをえなかった。・・・

リー・フランシスの歴史は、1895年、リチャード・ヘンリー・リーとグラハム・イングルスビー・フランシスが、コヴェントリーに高級自転車工場を開設したときに始まる。因みに、R・H・リーは独立するまでの17年間を、同じくコヴェントリーの自転車メーカー、シンガーで過ごし、最後の7年間は工場長を務めた。自転車製造が軌道に乗ると、リー・フランシスは御多分に漏れず自動車とオートバイの製造に関心を向ける。・・・

(世界の自動車№20、ラレー、E・R・A、リー・フランシス、ニ玄社 74.6.10より)

自動車の生産は、1962年まで続いたようだが、自転車については、よく分からない。今後調べたいところである。


リー・フランシスは、
リチャード·ヘンリー·リーと
グラハム・イングルスビー・フランシスにより、
1895年にイギリスのコヴェントリーで創業した自転車メーカー
後に自動車やオートバイも生産