南洋號
「旅人の友」渋谷金次郎 大正11年11月15日発行
註、下記の記事にはちょっとした日本での黎明期の自転車史を垣間見ることが出来る。
「南洋號」の屋号は、当初この店で販売していた自転車のブランド名と思われる。
大正期になると南洋號商會は自転車からオート三輪の販売へと進化している。
75頁「旅人の友」
国会図書館所蔵資料
以下同じ
76、77頁
南洋號
(高松市西新通町)
南洋號商會は輪界模範卸商といふ金銘を打ち四國の雙輪王を任じて町に立派な商店を開ひてゐる
店主橋本秀太郎氏は若い時から輪界に入って多年研究を重ねた人であるが以前から阪神に於る雙輪商と連絡を取り現代的營業振りを發揮し盛んに取引をしてゐたがその後大阪西區新町と神戸市栄町に堂々たる店舗を張つてゐる株式會社石丸商會の株主となり同商會の四國、 九州の一手販賣擴張主任として非凡の手腕を揮ひつつあるが早くも香川縣の輪業界を壓し南洋號の威名は隆々旭日の如く揚りつつある
氏は元と香川郡安原村の出身にて幼時から神童と唄はれた俊才にて併かも眉目清秀にして溢るる許りの愛嬌と一種の商才を有してゐるから氏に接する者は何れも一層その親しみを感じ 且つ人格者たることを知るであらう
抑も自轉車の輸入されたのは明治十四五年頃印刷局に三輪車の到着したのが始めでこの頃頻りに行はれたのは三輪車又は椅子形三輪車で何れも木製であつたが外人中には俗に一輪車と稱する達摩形二輪車を用ゐたものもあつた、明治二十一・二年頃丸亀聯隊など陸軍方面では木製鐵輪の雙輪車を數輛伝令用に買入れたこともあつた、二十八・九年頃空氣入安全車輪が輸入されてから大に流行し東京では二十九年の天長節に自轉車俱樂部を設け競走、遠乗など行はれ陸軍では自轉車隊を設け警察、郵便電信局でもこれを實用するに至り斯くて全國一般に盛んになり香川縣でも九年前參圓の車税が壹圓五拾錢に減稅したので俄かに其数を増加し今日の盛大を来たした譯である、要するに尚ほ前途有望なる輪界に氏のやうな勇氣と誠意ある人が縱橫商才を振ひつつあるのは心強く感じる。
輪界興信名鑑 昭和3年度版 西部日本