陸奔舟車関連 - 5
「時代文化記録集成」4月分 20号 時代文化研究会 1935年5月15日発行
これも陸奔舟車の記事、
139頁
「時代文化記録集成」
国会図書館所蔵資料
(昭和10年4月23日 火曜日 大阪朝日新聞発行 19210號所載)
天文學者の彦根藩士が創製、遺書中から原書發見
江州彦根藩士平石久平治時光は享保年間におる天文學者として知られた人であるが彥根町史編纂史科蒐集中の史蹟研究家中川泉三氏は二十一日時光の子息彌右衛門重實が同町長松院境内の鐵塔中に埋めていた時光の遺書類中からはからずも陸奔車創製の原書を發見した、陸奔車とは現在の自動車と同じ乗物で享保十八年に完成試乗に成功したもので、大正初期に舶来の自動車をわが國に輸入し騒いだがそれより二百年前に邦人の発明した木製自動車のあることを知つては一驚せざるをえない愉快事で、当の中川氏は「全く今日まで隠れてゐた發明で邦人の誇りである」と雀躍して喜んでゐる。
江州彦根藩士平石久平治時光は享保年間におる天文學者として知られた人であるが彥根町史編纂史科蒐集中の史蹟研究家中川泉三氏は二十一日時光の子息彌右衛門重實が同町長松院境内の鐵塔中に埋めていた時光の遺書類中からはからずも陸奔車創製の原書を發見した、陸奔車とは現在の自動車と同じ乗物で享保十八年に完成試乗に成功したもので、大正初期に舶来の自動車をわが國に輸入し騒いだがそれより二百年前に邦人の発明した木製自動車のあることを知つては一驚せざるをえない愉快事で、当の中川氏は「全く今日まで隠れてゐた發明で邦人の誇りである」と雀躍して喜んでゐる。
木製自動車の陸奔車は桐材を使って作られた小舟型の長さ九尺、外面は黒塗、中央に楫を立て、運轉者が自らその楫を執って前進する、舟型の下には四輪車があり二輪は中央の左右に現はれ、二輪は前後につけ車を隠し、その前車、後車を奔車、左右二輪を遊行車と名づけ車は大小ある、速力は一刻に七里を走ると記されてゐるからいまの時間で一時間三里半のスピードが出るわけで進止屈曲も楫によつて自由でその原書の賛辞を訳読すると「手に舞し足にて踏む、實にこの器あり行かんとするものは足下にて住き止まらんと欲せば直に止り、曲らんと欲すれば掌中にて曲る鳴呼奇なる哉」と賛し、機關部は簡単なれど秘して図とせずと斷つてゐるがこの新考案發明品も頑迷な常時の権勢者に容れられず「人間には足がある危險の伴ふ乗物まかりならん」と叩き壊され漸く文書によってのみその会心の創製を鐵塔下に埋め遺したものである。