2024年4月24日水曜日

陸奔舟車関連 - 4

 陸奔舟車関連 - 4

「大分県警察史」 2/2 大分県警察部 昭和18年7月30日発行

これも陸奔舟車関連の記事、


1290頁
「大分県警察史」 
国会図書館所蔵資料


驚ク勿レ自動車ノ元祖ハ我日本二在?

標題を一見した丈では誰しも驚くであらうが實は今を去る二百年も前に今や交通機関の寵兒たる自動車に似た「陸奔車」なるものを創製した話、之は大正十三年四月二十五日付大阪朝日新聞に掲載されたものであるが自動車に対する一の智識でもあり又面白くもあるので其の記事を茲に紹介することにした。

「二百年も前に、自動車に似た”陸奔車”、天文學者の彦根藩士が創製」

江州彦根藩士平石久平治時光は享保年間に於ける天文學者として知られた人であるが彦根町史編纂史料蒐集中の史蹟研究家中川泉三氏はこのほど時光の子息彌右門重實が同町長松院境内の鉄塔中に埋めていた時光の遺書類中からはからずも陸奔車創製の原書を發見した、陸奔車とは現在の自動車と同じ代物で享保十八年に完成試乗に成功したもので大正初期に舶来の自動車を我国に輸入し騒いだが、すでにそれより二百年前に邦人の發明した木製自動車のある事を知つては一驚せざるを得ない愉快事で、当の中川氏 は「全く今日迄隠れて居た發明で邦人の誇りである」と雀躍して喜んで居る、木製自動車の陸奔車は桐材を使って作られた小舟型に長さ九尺で外面は黒塗、中央に楫を立て、運転者が自ら其楫棒を執って前進する、舟型の下には四輪車があり、二輪は中央の左右に現はれ、二輪は前後につけ車を隠し、その前車、後車を奔車、左右二輪を遊行車と名づけ車は大小ある、速力は一刻に七里を走ると記されているからいまの時間で一時間三里半のスピードが出るわけで進止屈曲も楫によつて自由でその原書の賛辞を訳すると 「手に舞し足にて踏む、實にこの器ありて行かんと欲するものは足下にて往き、止まらんと欲せば直ぐに止まり、曲らんと欲せば掌中にて曲る鳴呼奇たる哉」と賛し機関部は簡單なれど秘して図とせずと断って居るが。

この新考案發明品も常時の権勢者に容れられず「人間には足がある、危険の伴う乗物まかりならん」と叩き壊され漸く文書によってのみその會心の創製を鉄塔下に埋め遣したものである。

註、大阪朝日新聞は、1935 年(昭和 10年) 4 月 23 日付である。
平石久平治は平石久平次。