平石久平次関連 - 2
「彦根案内」 彦根実業同志会 編 大正6年発行
下の記事も平石久平次について、
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「彦根案内」
国会図書館所蔵資料
以下同じ
平石久平次
平石久平次は彦根藩士平石彌右衛門の子にして、田祿二百石を領す、名は時光深焉子と號す、久平次幼にして算數を好み京に行て中根玄珪の門に入り天文曆道算數を研鑽講究すること數年何れも精通して一家を爲す、享保八年皇極運曆一卷を著し朝廷の御府に入る九年彥根より天體を観測したる天文分野図を作る、又屢具注曆を作成して曆博士幸德井家に送り博士の檢閱を経て世に行はる、其他曆道に関する著書多く算數にては算法天元弐百問を校閱し互用變換(此内に叢駢算覈を附記せり)を編纂せり、藩士中久平次に就き天文算數を學べるものあり、井伊直中の時より稽古館中に天文方算學方ありて天文算數を教授するを得たるは久平次其礎を置きしに由る、明和八年八月死す、七十六、墓は彥根長松院に在り。
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創業 享保拾七年五月
営業品 砂糖 麦粉 石油
竹村商店
本店 滋賀県彦根
支店 大阪市
店舗前の写真を拡大
不鮮明だが5人ほどの店員と
2台の大正期の自転車が見える