2024年4月19日金曜日

慶應義塾自轉車規約

 慶應義塾自轉車規約

「慶應義塾學報」第54号 1902年(明治35年)7月15日発行


91頁
慶應義塾自轉車規約
国会図書館所蔵資料


○義塾自轉車規約(その一部)
義塾々員及び塾生中の有志者は、過般自轉車俱樂部を組織し、時々部員の遠乗を催し居りしが、今度左の如き規約を設け、且つ左の諸氏を役員に舉げたり。

役員、
福澤一太郎、清岡那之助、松井康義、石河幹明、吉田東洋、 田村彰一、山本昌弐、山道梅太郎、星井壽助、柿本利一、中島甚三郎、瓜生雪雄

註、部長の福澤 一太郎(ふくざわ いちたろう、1863年11月22日 -1938年6月4日)は、日本の教育家。慶應義塾創始者福澤諭吉と錦夫妻の長男である。


「技事珍報号外」
明治31年頃
日本自転車史研究会所蔵資料
「技事珍報」は当時の塾生によって発行された

「技事珍報号外」、
来賓諸君の眼を注記居たる双輪倶楽部自転車競走の勝利は遂に鶴田勝三君に帰したり
次の号外は六百ヤード競走の勝敗決したる時にいたすべし


「清輪」第7号 清輪社
 1905年9月15日発行
本誌顧問子爵 松井康義氏 如蓮號
国会図書館所蔵資料

註、松井 康義(まつい やすよし、1871年7月5日 - 1915年10月15日)は、旧川越藩藩主・松井松平家14代当主。