2024年5月26日日曜日

岡山と自転車

 岡山と自転車

「岡山の交通」藤沢 晋 著 1972年5月1日発行

自転車

自転車は明治のはじめ錦絵に画かれているものもあるが、それは三輪の前輪につらなる棒を 手で前後に動かすことによって前進する型で、 実用にはならなかった。これとはちがって、明治3年ごろから二輪で前輪にハンドルとペダルをつけたものが、西洋人使用の自転車からつくられた。当時この種の自転車について記してい るところをみると、「ガラガラゴロゴロ四衢二馳駆シ八街二奔走、(中略)之二乗ル者ハ大率ネ下等人ノ剔返野郎二属シ、未ダ上等人ノ乗ル者有ルヲ見ザルナリ。初メ之二乗ル者ハ未ダ之ニ慣レザルニ由テ皆怪我有リ、一転一倒、再転再倒」(石井研堂『明治事物起原』)とあり、 あまり実用化されなかった。明治10年代の後半から前輪のみ大きい「達磨」自転車があらわれ、これはかなり普及していった。はじめは全部鉄製であったが、そののち輪にゴムをつけ、明治30年ごろからは前後輪とも同じ大きさで空気入りゴムをつけたので、乗り心地もよく、人力車とちがって他人の労働によらないから安あがりで往来できるので、都会にも田舎にも重宝がられて普及していった。 岡山に自転車がはじめてあらわれたのは明治18年であったが、実用に使われだしたのは日露戦争ごろからのようで、市内の自転車数も明治37年302台、同42年1,068台、大正2年2、026台とふえ、庶民の近距離交通機関として今日まで重用されている。


59頁の図と写真
「岡山の交通」 藤沢 晋 著
国会図書館所蔵資料
以下同じ

58頁