日本の自転車特攻隊
「オリンピックを楽しむ本」 : 歴史・競技・常識のすべて (How to books)
講談社 昭和38年10月3日発行
この本の242~244頁に興味深い記事があったので以下に紹介する。
(3) 日本の自転車特攻隊
無謀だった日本の単独参加
個人ロード・レースは、一つの国から四人まで出場できますが、ほとんどの国の選手は、四 人のうち、ふたりか三人が犠牲になって、他の国の強い選手をマークしてペースをみだし、いちばん強いひとりを勝たせようとします。個人競技といっても、じっさいには団体競技のようなものです。
日本の選手はヘルシンキ・メルボルン・ローマと三回オリンピックに出場していますが、 ロードーレースで最後まで走りぬいた選手はまだいません。
とくに気の毒だったのは、メルボルンのときの大沢鉄男選手です。監督ひとり、選手ひとり でオリンピックに派遣されて、ロードーレースとタイム・トライアルの両方に出場しました。
陸上競技で百メートルとマラソンを同じ選手に走らせるようなものです。しかし東京オリンビック大会では、地元だけにじゅうぶんな条件で出場できます。
「イタリア・ソ連・西ドイツの三強にせまる好成績をあげたい。」というのが、ローマ大会以来の日本チームの監督、林讓四郎氏の悲願です。
ていどが悪い日本製
林監督は、「自転車競技で勝つには、心・技・体と機材の四びょうしそろっていなければならない。」といっています。選手やコー チがいかにがんばっても、乗っている自転車が悪ければ勝てません。
競技用の自転車は、長さ二メートル、幅七十五センチ、タイヤは直径二十七インチときまっています。
オリンピックに参加する選手は、ひとりについて五台ぐらいの自転車を持っていきます。 ロード・レースのときには、要所要所にかわりの車を配置しておいて、こわれると乗りかえて いきます。また車の整備のために専属のメカニシャン(整備士)をつれてきています。これま でのオリンピックでは、日本選手は車は一台だけ、こわれたら自分で修理するという苦しい立ち場でがんばっていました。
競技用自転車のいいものは、イタリア製・フランス製だといわれています。日本製でまだい いのがないのもなやみのたねです。
註、大沢鉄男選手は、メルボルン・オリンピック大会の個人ロードレースでは棄権。理由はここでも記しているが、サポート体制等の不備であった。スタートから35キロ地点で運悪く落車、本来ならばすぐにサポートカーが来て素早く自転車を交換して再スタートをするのであるが、まったくそのようなサーポートは得られなかったのである。これが当時の日本の実情であった。この自転車競技は北沢監督と大沢選手の二人だけで挑戦したオリンピックでもあった。不運と言うよりも欠陥だらけの組織体制であったことが分かる。日本では今でも自転車は、野球やサッカーなどと比べ極めて人気がない。そのようでは強い選手はなかなか輩出しない。