清輪 - 10
「清輪」清輪社 1905年(明治38年)3月10日発行
◎自轉車輸入の趨勢
自轉車の輸入は二十九年度にありては拾萬圓に過ぎざりしが遂年増進の趨勢を呈し三十六年に至ては九十七萬五千圓に上れり是れ同品が近年都鄙一般に流行し來りて使用者の増加せるに拘らず内地に於ける製造業の振はざるに基因するが如し而して之れが産地は英米なれども其大部分は米國なり
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「清輪」清輪社
国会図書館所蔵資料
以下同じ
明治櫻輪会 会員諸君撮影
(明治櫻輪會員) 俳優間乘輪熱心家相集りて
會を成せるもの即ち明治櫻輪會と稱す中段右
より四人目は副會長高橋榮次郎君(市川莚升)
同五人目は會長河原崎権之助君なり
●明治櫻輪会
劇場の明治座を中心につくられたもので、河原崎權之助君が主唱者だった。河原崎君は「とかく柔弱に流れやすい俳優は体育にはとくに意を注がねばならない。自転車に乗って郊外に出て新鮮な空気を注入することは妙を得たもので、この見地から倶楽部を起したわけだ」と話していた。市川左団次君は結成当初から熱心な共鳴者であった。(「輪界追憶録」大正期より)
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