私の平田忠心さんの思い出といいますと、何度かクラブや競技場でお会いしたことです。当時、平塚に平心クラブという自転車競技を主体としたクラブがありました。私は、このクラブに昭和51年6月27日に入会しました。クラブの監督は萩原友二郎さんでした。会費は1,000円で入会金は500円でした。いまもその領収書が残っています。
もっぱらクラブの練習場は平塚競輪場でした。ここで毎週、周回練習や1000メートルのタイムトライアルなどの練習をしました。
最初に出場したレースは、第10回神奈川県アマチュア自転車競技選手権大会で昭和51年8月15日(日曜日)に開催されたレースです。場所はホームグランドでもある平塚競輪場でした。この競技大会の役員は会長が河野謙三さん、大会委員長が平田忠心さんでした。私は、2000メートルの速度競走と1000メートルのタイムトライアルに出場しましたが、何れも予選落ちでした。速度競走は、スタート時点で出遅れ、慌てたために前を走る選手の後輪に追突し、落車してしまいました。結果はビリでした。タイムトライアルも1分23秒で予選落ちになりました。速度競走は、予選の5組でしたが、この中に藤巻兄弟の一人である藤巻進さんがいました。確か予選1位で通過したと思います。予選1組には当時ロードで活躍していた森幸春さんがいました。特に10000メートルのポイントレースは彼の独壇場でした。
レースはビリでしたが、自転車は自慢でした。練習をしているときなど、競輪選手が近づいてきて「お前、いい自転車に乗っているなー」とよく言われました。この自転車は、金沢文庫にある木下サイクルスポーツで買ったイギリス製バンテル社のシューポーターピストでした。仕様はハンドルバーが3T、ステム・チネリ、リム・二ジーのトラック36穴、ハブ・カンパ、チェーンホイール・カンパ50、固定ギア・カンパ16ピスト、チェーン・レイノルド、サドルとピラーは3T、ペダル・カンパ、ストラップはビンダでした。少しトップチューブ(英レイノルズ製)の長いのが気になりましたが、他は完璧に近いものでした。特に前フォークは堅牢で、車に当っても曲がりませんでした。実は、茅ヶ崎の湘南道路で事故を起こし、BMWとぶつかってしまいました。ちょうどコンビニから出ようとしたBMWに衝突したのです。幸い腕を少し打った程度でしたが、自転車は壊れたと思いました。特に前フォークが曲がったと一瞬思いました。ところが、まったく無事でした。この時に凄いフレームだとつくづく思いました。BMWを運転した男はえらいけんまくで怒りました。傷をつけてしまったからです。被害者になるところが、加害者のような状態になりました。示談で結局修理代として4万円とられてしまいました。これは、自転車のフォークがあまりにも丈夫であったためです。
平心クラブの話からだいぶそれてしまいました。
平心クラブの名前は、すでにご推察のとおり、平田さんの名前からきています。