昨日、Sさんと大磯のデニーズで、久しぶりに歓談しました。自転車談議の中で大宮政志選手の話が出ました。
1964年(昭和39)10月22日の東京オリンピックで八王子で開催された男子ロードレースについて「大宮選手は何周目で落車したのか」という話になりました。サイトのある書き込みでは「ところがゴールまで残りわずかという地点で大量落車に巻き込まれてしまう」とあります。Sさんは「落車は2周回目ぐらいでないと1着の選手との差が約15メートル・同タイムは難しい」と言っていました。私も同様に思いましたが、結論は出ませんでした。
家に帰りさっそくグーグルで調べましたら、次のような一文が検索されました。「2周回。29km地点稲荷坂で、大宮選手は前の選手の落車をよけきれずに転倒、しかしすぐに起き上がり集団を追い34km地点で追いつく、だがその時先頭の方では、ツアニン(イタリア)、ミリホフ(ソ連)、ギュイヨ(フランス)等10人が大集団を飛び出していた。そしてこの10人、本部前では約1分の差を付けて大集団をリード。しかしその差はじりじりとせまる」(横尾双輪館所蔵資料 VELO CLUB TOKYO 編集より)
やはり2周回目のようです。このレースの結果は、強豪のベルギーのメルクスは12位、イタリアのジモンディは33位でした。大宮選手の順位は、1位のツアニンに遅れること約15メートル・同タイム36位でした。順位は36位ですが、最後のスプリント勝負は団子状の集団ゴールになりました。タイムは4時間39分51秒でした。大宮選手の健闘は素晴らしいものでした。
東京オリンピックを1年後に控えた1963年のプレオリンピック・個人ロードレースで大宮選手は優勝しています。
日本のロードの一流選手を挙げるとすれば、明治時代は鶴田勝三、戦前は出宮順一そして戦後は大宮政志であると思います。S氏も出宮と大宮を高く評価しています。