2009年3月2日月曜日

名取市ダルマ自転車-3

 また名取市サイクルスポーツセンターのダルマ自転車のことですが、この自転車はいままでマスコミに取り上げられたことがあったのでしょうか?と言いますのは、私の記憶では、過去に新聞報道など無かったように思えるからです。ダルマ自転車に関する新聞記事は、殆んどスクラップしているからです。地方紙まではなかなか及びませんが、3大紙(朝日、毎日、読売)の記事はだいたいあると思います。
 これらの新聞スクラップなどを参考に昭和59年に開催された、明治自転車文化展(自転車文化センター)は、全国から13台のダルマ自転車が集合しました。いまでもこのときに発行された小冊子「明治自転車文化展」(昭和59年3月9日自転車文化センター発行)が唯一、全国に現存するダルマ自転車を網羅した資料になっています。実は私も微力ながらこのイベントに協力いたしました。恐らく名取のダルマ車が昭和59年以前に発見され、新聞報道されていれば当然この展示会にも姿を見せたことでしょう。江戸東京博物館にある国友のダルマ自転車が、発見されたのは1988年(昭和63)でしたから、この展示会にはまにあいませんでした。
 ところでこの名取のダルマ自転車はどうような経路で、現在の場所に収まったのでしょうか。製作地が新潟県の新発田ですから、誰がこの自転車を購入したのかも、興味あるところです。いずれにしても、生産地と製作者それに製作年月が分かる明治の国産自転車は他にありません。極めて稀な自転車と言えます。それからこれを製作した者が刀匠であることも重要です。いままでは推定で、鉄砲鍛冶師
や刀鍛冶師ではないかと言われてきました。鉄砲鍛冶の方はすでに国友からでた江戸東京博物館のものがありますが刀鍛冶はこの名取が初めてなのです。刀鍛冶が作ったことをこの自転車は証明しています。
 刀鍛冶師特有の名前の添え名もあります。

明治ニ十五年七月吉日 相携共作之
北越新発田鍛冶町○○村  森川徳四郎兼寿
同沼村             坂井 元 康好

 ここでは、兼寿と康好(この康の字は不鮮明)にあたります。

 有名な日本の名刀の名前を列記しますと、
陸奥守吉行(土佐吉行)、相州五郎入道正宗、菊一文字則宗、備前国長船光忠、長曾祢輿里入道虎徹(古鉄・虎徹・乕鉄)、伊勢千子村正、和泉守藤原兼定、肥後同田貫正国、三日月三条宗近、大般若長光、大典太光世、童子切安綱、日光助眞、津田越前守助廣
などがあります。