2009年3月29日日曜日

アイバンホー

 当時、三浦 環が乗っていました自転車は、いったいどのような銘柄の自転車だったのでしょうか。
 明治36年(1903年)2月~9月まで読売新聞に連載されました小説「魔風恋風」は、次のような文章からはじまります。「鈴(ベル)の音高く、見(あら)はれたのはすらりとした肩の滑り、デードン色の自転車に海老茶の袴、髪は結流しにして白いリボン清く、着物は矢絣の風通、袖長ければ風に靡いて、色美しく品高き十八九の令嬢である。」
 この小説のヒロイン萩野初野は、当時、上野の音楽学校に通っていたころの三浦 環がモデルになったと言われています。このようなことから三浦 環が乗っていた自転車はアメリカ製のデートンではないかというイメージもありますが、私は下記の理由からカナダ製のアイバンホーであると思っています。
 明治33年11月25日に日本ではじめての女性だけの自転車倶楽部である「女子嗜輪会」が誕生しています。このクラブの本部はスポンサーである京橋の四七商会にありました。女子嗜輪会の発足当日に、近くの写真館でメンバー全員が記念撮影した写真が残っていまが、この写真の中央に三浦 環と自転車が写っています。三浦 環の前に置かれたこの自転車はアイバンホーであることも分かっています。
 四七商店は、石川商会の代理店であり、当時デートンを扱っていませんでした。その後も取り扱った形跡がありません。デートンは双輪商会が一手販売していました。 「魔風恋風」が新聞掲載された明治36年頃は、確かにデートンが人気でした。
 三浦 環がその後もデートンに乗ったという形跡もみあたりません。女史嗜輪会に所属していれば、スポンサーである四七商会で扱っていない自転車にわざわざ乗る必要もありません。三浦環が乗っていた自転車は、アイバンホーなのです。

参考資料:
「佐藤半山の遺稿 輪界追憶録抄 明治中期の自転車事情」高橋 達
日本自転車史研究会 会報”自轉車”№67 平成4年11月15日発行

アイバンホー (IVANHOE Canada Cycle and Motor Company, Toronto)
デートン (Davis Sewing Machine Company, Dayton オハイオ州)