2009年3月14日土曜日

水茶屋

 1876年(明治9)3月5日(日曜日)付け 花の都女新聞 第44号に次のような記事があります。

 下谷広小路の山本と云える水茶屋にて三輪の自転車を借(貸し)しますが、広小路を一返乗廻す賃は、一銭五厘だと申しました。

この記事で注目したい点は

水茶屋にて貸し自転車業をしていたということ

自転車は三輪車であったこと

賃料は一銭五厘だったということ

 下谷広小路は、現在の台東区上野3丁目で、いまは上野広小路と呼ばれています。松坂屋から上野公園入口あたりです。このあたりは江戸時代から寛永寺と不忍池を中心に栄えた場所で、料理茶屋、水茶屋、出会茶屋、芝居茶屋などの歓楽街を形成していました。水茶屋はいまでいう喫茶店のようなものです。貸し自転車業までやるほどですから、山本という水茶屋は大きな店を構えていたと思われます。写真は上野の水茶屋を写したものですが、撮影した年月は、恐らく明治25年の4月上旬ではなかったかと思えます。理由は、オーディナリー(ダルマ自転車)が右側隅にあることと、季節は桜が満開のようですから4月上旬でしょう。
 自転車がなぜ三輪車なのか。そして三輪車はどのようなタイプか。当時の資料等で推定ししますと、自転車とは一般的に三輪車を指します。なぜなら明治10年以前にミショー型自転車は、日本になかった可能性があるからです。恐らくあったとしても横浜居留地に住む外国人が持ち込んでいた程度で、その台数は数台だったと思います。しかし、ミショー型自転車が横浜にあったという具体的資料はいまのところ皆無です。ですから水茶屋の貸し自転車は三輪車なのです。
 それでは、この三輪車のタイプはといいますと、当時の錦絵に描かれた三輪車を見ますとどれもラントン型です。現在見るような子供用の三輪車のような形は見ません。このような三輪車が現れるのは、明治20年代に入ってからです。そのような形を描いた錦絵やイラスト、写真を見ないからです。早く見積もっても現在見るような形の三輪車は明治15年あたりからでしょう。

 賃料の一銭五厘が、現在の貨幣価値からしてどのくらいなのか分かりませんが、一般庶民大衆を相手の商売ですから、500円以下ではないでしょうか。米の値段から換算しますと、米1表(60キロ)が明治9年ごろですと1円18銭ですから10キロ20銭になります。現在のお米の値段が10キロ4,000円ぐらいですから1銭は200円になります。そうすると300円ぐらいでしょうか。

写真提供:梶原利夫氏