アニーロンドンデーリーのところで、アトラス山脈を自転車で越えたファニー・ブロック・ワークマンについて書きましたが、彼女の略歴は次のとおりです。
ファニー・ブロック・ワークマン(1859-1925) は、1859年1月8日にマサチューセッツ州ウスターで知事の娘として生まれました。学生時代は、フランスやドイツへ留学しています。1881年に地理学者、探検家であったウィリアム・ハンター・ワークマンと結婚しました。その後、夫妻は1890年から自転車を使っての世界旅行を開始しています。この旅行はその後10年間も続きました。1895年には、アルジェリアなどを旅行した後、その旅行記を出版しています。この旅行記に自転車でアトラス山脈の峠を越えサハラ砂漠へ至ったことが書かれています。その後も夫妻は精力的に自転車で世界各国をまわっています。
1898年から1912年の間には8回もヒマラヤ遠征をしています。そしてピナクル山(標高5,766m)などの登頂にも成功しています。極東やアジア各国もサイクリングしているようですが、日本に立ち寄った形跡はいまのところ不明です。当時の新聞などをこまめに調べればでてくるかもしれません。
「A Bicycle Tour over the Atlas to the Sahara」
By Fanny Bullock Workman and William Hunter Workman
London, T. Fisher Unwin, Paternoster Square.1895