自転車資料関係-190
下の図は江戸期に発行された「考工記」からである。車輪の起源を調べると、紀元前3500年頃に古代メソポタミアのシュメールで木製の円板に軸を挿しただけの車輪が使われていたと云われている。
日本の車輪の歴史では、やはり中国の「考工記」に触れる必要があるだろう。
2000年以上も前の文献であるから、いまとなっては雲の遥か彼方と云った感はある。
正確な年代は分明ならずであるが、おそらく春秋戦国時代あたりから編纂されたと云われている。
日本にこの「考工記」が渡来したのは何時ごろであったのか、これについても定かではないが、おそらくは儒教あるいは仏教が伝来した5世紀~6世紀頃ではと考えられる。
2000年以上も前の文献であるから、いまとなっては雲の遥か彼方と云った感はある。
正確な年代は分明ならずであるが、おそらく春秋戦国時代あたりから編纂されたと云われている。
日本にこの「考工記」が渡来したのは何時ごろであったのか、これについても定かではないが、おそらくは儒教あるいは仏教が伝来した5世紀~6世紀頃ではと考えられる。
この「考工記」について、日本大百科全書(ニッポニカ)の解説によると次のようにある。
考工記(こうこうき)
武器(戟(げき)・剣・弓・矢など)・車輿(しゃよ)・礼器・楽器・容器・宮器・城市などの構造・寸法規格・製作または建築の方法や、皮革加工・練糸・染色などの技法に関する中国の文献。編者不詳。『周礼(しゅらい)』中の一篇(ぺん)として伝存する。前漢時代、秦(しん)の始皇帝以来の禁書令が解かれ、河漢献王劉徳(かかんのけんおうりゅうとく)(在位前155~前130)に民間から『周官』(『周礼』の原名)5篇が献じられたが、すでに第6篇「冬官」が欠けており、王は『考工記』でこれを補ったと伝えられ、もとは『周礼』とは別の独立した書物であった。内容・用語の考証や近年の考古学的発掘研究によれば、春秋時代後期の斉(せい)の国の人が記録したと推定され、先秦時代の手工業技術に関する貴重な資料である。
武器(戟(げき)・剣・弓・矢など)・車輿(しゃよ)・礼器・楽器・容器・宮器・城市などの構造・寸法規格・製作または建築の方法や、皮革加工・練糸・染色などの技法に関する中国の文献。編者不詳。『周礼(しゅらい)』中の一篇(ぺん)として伝存する。前漢時代、秦(しん)の始皇帝以来の禁書令が解かれ、河漢献王劉徳(かかんのけんおうりゅうとく)(在位前155~前130)に民間から『周官』(『周礼』の原名)5篇が献じられたが、すでに第6篇「冬官」が欠けており、王は『考工記』でこれを補ったと伝えられ、もとは『周礼』とは別の独立した書物であった。内容・用語の考証や近年の考古学的発掘研究によれば、春秋時代後期の斉(せい)の国の人が記録したと推定され、先秦時代の手工業技術に関する貴重な資料である。
この江戸期に発行された「考工記」を見ると詳しく車輪や車軸などの製作方法が解説されている。
考工記管籥 2巻 1752年(宝暦2)
国会図書館所蔵
考工記図解 1796年(寛政8)
国文学研究資料館所蔵