自転車関係資料-192
この資料は「日本金属玩具史」日本金属玩具史編纂委員会 1950年(昭和35年)8月25日発行
この本の中に陸船車の記述があるので一部紹介する。
からくり本の刊行
竹田近江の始めたからくり人形芝居は、元禄にはいるとその技術が東へ伝わり、江戸のからくり熱も急激に高まった。その後の享保の世にはいってもブームはつづいた。二代目竹田近江の大活躍で、道頓堀や両国の小屋はいつも満員の盛況だった。したがって、それらのからくりがどんなものであるのか、人々は深い関心をもち、寄るとそのうわさをしたにちがいない。そういう雰囲気がたまったとき、その機を逃がさず享保には陸続とからくり本が現われた。それらのなかで、享保十五年、京都で刊行され『璣訓蒙鏡草』は現存しいまなお光彩を放っている。その一部を紹介しよう。
陸船車
船に車をつけて陸上を走るもの。内部は図によってわかるように大きな歯車仕掛けになっている。どちらかといえば自転車の原理に近い。「山坂もかくのごとく走りまする。凡一日に四十里余はまいりまする。それ故、陸船車と名づく」との説明がある。さらに解説には、陸船車は車三つあり。あと二つ先一つ、先一つは自由に横へも廻るやうにする。この車にて自由に角を廻りたり、車のかじをとるなり。さてあと二つに時計のごとく大車をこしらへはみ こみをしてこの大車のうら表にたがいちがひ小足ののる木あり、この木を足にてふめば大車前へ廻るゆへ小車二つさきへ巡る故船むかふへ行くなり」と出ている。自転車や自動車のない時代には驚異であったろう。これは見世物だが、玩具化したらりっぱな江戸の自動車玩具となったところだ。
註、1950年にこの陸船車を「どちらかといえば自転車の原理に近い」と指摘している点に注目したい。