2023年4月2日日曜日

スティーブンス静岡へ

 スティーブンス静岡へ

スティーブンスは、四日市~桑名~藤枝~岡部~鞠子~安倍川を渡り静岡に入る。

本文の挿絵は無いが、この静岡は割愛できない。なぜなら静岡の街を例のダルマ自転車で走るスティーブンスを大勢の野次馬から少し離れた場所で最後の将軍である徳川慶喜が注意深くこの光景を眺めていたからである。或いは近くに寄りスティーブンスと会話をしたかもしれない。好奇心旺盛の彼なら躊躇せずに色々と質問したと思われる。だがこれは私の希望的な推察であり、実際はやはり目立たないように遠くから眺めていたはずである。なぜならスティーブンスはこの旅行記で一行も触れていないからである。或いは誰なのか分からなかった可能性も否定できない。しかし、その後の慶喜の行動を見ると余程このダルマ自転車に興味を持ったのである。なぜなら次の年(1887年)の2月にこのダルマ自転車を購入して乗っているからである。僅か3か月足らずでコロンビア・オーディナリーを入手している。恐らくはスティーブンスが乗っていたコロンビア・エキスパートであったはずである。派手好きの彼はニッケル鍍金を施した銀色に輝くダルマ自転車であったであろう。彼にはブラックよりもシルバーが相応しい。

当時の雰囲気が偲ばれる東海道
この写真の場所は岩淵である
スティーブンスも富士山を眺めながこの道を走っている
小川 一真 撮影 撮影年月日不詳
長崎大学付属図書館


(一部抄訳)

平野を抜け、そして安倍川を渡り、人口三万の静岡に近づく。
離れたところに見える富士山は、とても綺麗である。平坦な道は浜辺に沿って行く。沖の船は青い海原に点在している。村や茶屋が三日月形の海岸線に沿って何マイルも先まで続いている。そして雪を頂いた富士山が雄大に聳え、その頂上から海に向かって優雅に傾斜している。
興津、由比、蒲原、岩渕の海辺の集落を通り、三日月湾を巡るのはまさに壮観である。優雅に広がる場所に小さな街の吉原がある。このあたりの海岸線は、富士山の独特な美しい景色から、和歌などで田子の浦として歌われている。
この驚くべき山は日本で最も高く、おそらく現存する円錐形の山で最も優美な見本ともいえる。
伝説では、その起源は、京都の近くの琵琶湖の形成と同時期であると伝えられている。山と湖の両方が一晩で形成され、一方は平野から上昇し、もう一方は海面に達するまで沈下した。
また富士山頂は修験道の巡礼地でもある。

かつて活火山だった富士山は、今も山頂付近の隙間から蒸気を発しており、吉原や近隣の集落に住む人々は、その力強さを感じている。 
富士山は日本人の特別な誇りであり、その景観は国民の美意識に強く訴えかけている。
それについて彼らの詩人は次のように歌っている。
「汝は死すべき者に与えられた宝、日本を見守る守護神 、永遠に我が目を楽しませてくれ」

吉原から16マイル離れたとき、次の目的地である三島へ・・・

コロンビア・エキスパート
1885年
 Columbia Expert High wheel bicycle

スティーブンスが携帯した
「マレーのハンドブック」
1884年版

107頁
富士山と琵琶湖の伝説は、
このあたりの記事をスティーブンスは
参考にしている

「マレーのハンドブック」
添付の地図
87頁

新選明治道中記 明治16年9月25日出版
国会図書館所蔵