古い葉書 - 3
下は明治期の自転車関連の葉書、
拝啓各位益々御清適奉賀陳バ来ル拾弐月壱日(雨天順延)當地二於秋季自轉車大競爭會相催シ度候ニ付輪友諸氏御誘引御來會成被下度此段御案内申上候
拾壹月廿六日
扇城輪友會
宇佐郡八幡村 江上諸人 様
明治40年11月28日の消印
逓信省発行 印刷局製造
註、住所に地番が無くともこの葉書が届いたとろろを見ると、江上諸人はこの土地の名士であったと思われる。調べたところやはり当時は有名な実業家で塩田開発や後に乗合自動車会社(江上自動車合資会社)も経営していた。
自転車競走会案内状
宛名面
左下の自転車画に注目
以下の記事は、「大分県紳士録」大悟法雄太郎 編 大悟法雄太郎 明治37年発行より
江上諸人君
宇佐都八幡村住
明治三年十月生
一 君は全地方の素封家たる故江上孝重氏の三男にして仝苗廣氏の實弟なり
一 明治十七年笈を負ふて上京し直に大學豫備校に入りて二ヶ年間普通學を修め十九年八月より更に小石川全修學校に轉じて獨乙學を研究す
一 明治二十年更に獨乙協會學校に轉じて熱心法律學を研究し居りしが最初君は醫學修業の目的を以て郷里を出發せし爲め其目的相違せりとて翌廿一年暑中休暇にて歸郷の際長兄廣氏より詰問せらる於茲乎奮然洋行せんことを企て廿二年春窃に日融社の預金を引出し東京に寄留して其筋に對し旅行券下附の手續中郷里よりの迎ひに接し遂に其志を達する能はず
一 明治廿二年大阪に抵りて仝地獨乙學校に入り再び獨乙學を研究しつつありしが越へて廿四年夏歸省の際長兄 廣氏より經濟上に就て懇篤なる訓誡を受け感ずる所あり爾來修學の念を中止して専ら心を實業上に注げり
一 君は近來鹽田事業に注目して種々調査する所あり明治卅五年以來自己の所有に屬する八幡村大字乙女新田字下生嶋約十町のヶ所を埋立て専門家を聘して工事着手中の所本年に至りて全く落成を告げ完全なる鹽田業の開始を見るに至れり