「輪界」第3号
「輪界」第3号 輪界雑誌社 1908年(明治41年)11月25日発行
この号の22~26頁に「自轉車の發達史」の記事あり、
雜錄
自轉車の發達史
輸々居士
一体遊びと旅行とは密接の関係があり旅行は遊びに負所決して少なくない今假りに金錢で支払うものとしたならば世上の銀行が合同しても払い尽くす所ではあるまい今日では文明の利器となって居る速度の早い乗物が其始め只速かに走ると云ふ簡單なる玩具から段々發達し來りし事は一寸人の気の付かぬ様である人類は天性からして急速に歩行するものなるも嗜好は之に止まらず出来る丈け能ふ丈け早く走りたひらしい此の性質乃ち慾望を満さんが為めに遂に實業社會否活社會に驚く可を事實を貢献する事となった即ち人間の活動が日一日覚ましく成って来た早い話が汽船に飛び込めば五日餘りで千五百里もオッ走り晨に「ニューヨーク」を見捨つれば夕は早「シカゴに晩餐の快を得るのは誰れでも知ってる事であるが却設之が 無ひ昔から考へて見ると不思議とも何ともいや早驚く可き事實ではあるまいか而して之が市中を走り行く自轉車の発達が間接に其緒を作ったと申せば諸君は驚愕或いは暫く息を絶するかも知らね然し乍ら順序は真實に以上の次第である去れば此の自轉車及自動車が小児の玩具たる遊劇車よ發達せる事實を研め引きて今日文明の利器を済せる経路を窮へば實に興味ある話である
自轉車及自動車は以上述ぶる通り突然發明された訳のものでない即ち歐米の玩具製造人が多年非常の若心を嘗め種々の形を變造しなりて来りて遂に今日の形式を見出すに至つた次第である今其變遷の較概を述べて見よふ
第一 古代乘車期
驚く可し我神武天皇以前彼の埃及では既に蒸気を応用して乗車を操った事實がある即ち三個の輪を連結して自由に行進する乗車を発明せりとあり発明者の名は「ヒーロー」と傳ふ然れども埃及の自動車は今日何人も之を知らず又精しく説明するの材料もなきが如きも之を以て去る事實なしとは打ち消す可らず彼の「ミーラー」の製法が今日傳へて無いのと一般時代の變遷は時に一事を葬るもの決して珍くない二三の古き記事で只其存在を確めて置く
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