2024年6月21日金曜日

「輪界」第3号

 「輪界」第3号

「輪界」第3号 輪界雑誌社 1908年(明治41年)11月25日発行

この号の22~26頁に「自轉車の發達史」の記事あり、


表紙
国会図書館所蔵資料
以下同じ

目次

目次
論議
○ 商工業者に望む・・・前農商務次官 久米金彌
○ 衛生上より観たる自轉車の效用 ドクトル DY 先生
○歐洲の紳士 佐々友房
○日本の工業 某実業家
文苑
○なさけの綻び 金峰
○秋季雜題 加賀美晴能
雑錄
○自轉車發達史 輪々居士
地方通信
○輸界記者に望む 一輪業者
○競爭記事三件
紹介欄
○自轉車ホーク止外三件
鈴の音
○中村氏の世界自轉車族行談外一件
應問
○數件

22、23頁
自轉車の發達史

24、25頁

26頁

雜錄

自轉車の發達史

輸々居士

 一体遊びと旅行とは密接の関係があり旅行は遊びに負所決して少なくない今假りに金錢で支払うものとしたならば世上の銀行が合同しても払い尽くす所ではあるまい今日では文明の利器となって居る速度の早い乗物が其始め只速かに走ると云ふ簡單なる玩具から段々發達し來りし事は一寸人の気の付かぬ様である人類は天性からして急速に歩行するものなるも嗜好は之に止まらず出来る丈け能ふ丈け早く走りたひらしい此の性質乃ち慾望を満さんが為めに遂に實業社會否活社會に驚く可を事實を貢献する事となった即ち人間の活動が日一日覚ましく成って来た早い話が汽船に飛び込めば五日餘りで千五百里もオッ走り晨に「ニューヨーク」を見捨つれば夕は早「シカゴに晩餐の快を得るのは誰れでも知ってる事であるが却設之が 無ひ昔から考へて見ると不思議とも何ともいや早驚く可き事實ではあるまいか而して之が市中を走り行く自轉車の発達が間接に其緒を作ったと申せば諸君は驚愕或いは暫く息を絶するかも知らね然し乍ら順序は真實に以上の次第である去れば此の自轉車及自動車が小児の玩具たる遊劇車よ發達せる事實を研め引きて今日文明の利器を済せる経路を窮へば實に興味ある話である

自轉車及自動車は以上述ぶる通り突然發明された訳のものでない即ち歐米の玩具製造人が多年非常の若心を嘗め種々の形を變造しなりて来りて遂に今日の形式を見出すに至つた次第である今其變遷の較概を述べて見よふ

第一 古代乘車期

驚く可し我神武天皇以前彼の埃及では既に蒸気を応用して乗車を操った事實がある即ち三個の輪を連結して自由に行進する乗車を発明せりとあり発明者の名は「ヒーロー」と傳ふ然れども埃及の自動車は今日何人も之を知らず又精しく説明するの材料もなきが如きも之を以て去る事實なしとは打ち消す可らず彼の「ミーラー」の製法が今日傳へて無いのと一般時代の變遷は時に一事を葬るもの決して珍くない二三の古き記事で只其存在を確めて置く

・・・


34、35頁
自転車ホーク止
特許登録、明治41年8月26日
宮田栄助

36、37頁

38、39頁
中村氏の世界自転車旅行談(続き)

41、42頁