2024年6月29日土曜日

「兵事雑誌」第26号

 「兵事雑誌」第26号

「兵事雑誌」第26号 兵事雑誌社 編 兵事雑誌社 1897年(明治30年)9月23日発行

自轉車世界

大觀堂主人

自轉車流行の氣焔殆ど今日より盛んなるはなし只だ我国に於ていまだこれを以て有益の用途に充のるもの頗る稀れにして多くは遊子の玩具たるに過ぎず随って其流行の盛衰は甚しく國家事業と相關係せざるなり余輩は自轉車をなるものが将来に於て果して國家事業と相關すべき資質を備ふるものなるや否やを知らず。今茲に自轉車世界の消息を紹介せむと欲する如きは要するに余輩亦流行風に孕まれたるが為めならむのみ、乃ち左に列挙せむ。

○水上自轉車の發明
 近世期に至り自轉車世界に流行してより或いは空中自轉車の發明あり水上自轉車の發明あり(水上自轉車の設計一二にして止まらず)中に近頃英人某の工夫に成るものにて(本人自からは)水上自轉車中の完全あるものは本車ありと誇稱するものなり其形狀は葉卷煙草に似たるものにて是れにては直ちに顛覆するが如きも下部には深き龍骨ありて其危険を防ぐ全體の長さ殆んど十呎なり悉く『アルミニアム』を以て造りあれば差して重からず上部の諸裝置は凡て陸上(即ち我國にてる仕用しある自轉車に)異ならず鐙を踏めば例の如く鏈車を回轉せしめ鏈車の運動は傳へて葉卷形の船體を回轉せしめ此にて自轉車は自由に水上を駛走し行くものなり。

○米國に於ける自轉車の遠乗
合衆國の一步兵士官は過般自轉車の軍事的効用に就き頗る有益ある試験を行へり今其大要を記さんに路程はオマハ堡とシカゴ間往復一千八百四十六キロメートルにして出發前一二週間自轉車手として教育したる士官二名を伴い八日間にして右の大距離を通過せり各自轉車は乗手の外其携帯せし荷物總計二十二吉瓦半の重量を負擔せしが道路之出發前十有八日に亘れる霖雨の為め地面泥濘甚だ深く殆んど想像も及ばざる悪路なりしのみならず或いは鐵道堤の上に行きて幾多の横材を越或は騎兵ならんに馬脚を泥中に没して進退不如意となるべき水流を渡り或いは谷間の独本橋を渡河せし事啻に一再のみならず然れども此等は自轉車の為敢て著るしき障碍物に非らず今回試験する所に依れば何等の植物をも發生せざる踈鬆の砂地幷びに毫も疑固せざる降雪は自轉車の為め最も恐るべき障碍物なりと。

〇工兵隊に自轉車を使用せんとす
軍隊に於ける自轉車の使用は輓近大に進歩し來り途に技術隊及び工兵隊にも之れを用ふるに至れり凡て演習等に於て技術作業を始めんするや必ず先づ廣大なる捜索を行はざるべからず自轉車の大なる効用を奏するは即ち此場合にありとす。
戰時並に平時演習に際し諸兵連合の隊に工兵大隊を區分して配合するときは中隊も亦た獨立隊となりて自から會計及び經理の事に任ぜざる故に各工兵中隊には豫かじめ練習用自轉車一輛と戰時用自轉車一輛とを備、以て野外勤務の用に供せざるべからず即ち下士或いは兵卒をして之れに乗らしめ乗馬せる將校に隨從して測量又たは経始の事業を補佐せしむべし。
以上の外陸軍電信學校にも亦た兵卒訓練用の爲め練習用自轉車二輛と大演習等に用うる爲め戰時用自轉車二輛とを備ふ又た電信事務を取りては電文配送線路巡視等の爲め自轉車の必要を感ぞる事最も多し。 
悉く自轉車を備ふるに至りたるあり而して其自轉車は充實護謨輪製を用うるか或は空氣入護謨輪を用うるかは尙ほ未定なり然れども多分は第二者を採用するに至るならん。

40、41頁
国会図書館所蔵資料