2024年6月14日金曜日

「清輪」第6号

 「清輪」第6号

「清輪」清輪社 第2巻 第6号 1905年(明治38年)10月15日発行

この号の7頁に、

◎澤村訥升抱車夫をして自轉車の先駆をなさしむ

梨園の立物若手俳優中の恭謙温良家を以て定評ある澤村訥升子、明治櫻輸會の會長河原崎權之助氏の勸誘に從ひて神田橋外濱田自轉車店の練習場に自轉車の乗法を學び、技熟して卒業するや流石に俳優のこととて車體の塗色は素より総ての構造最も華美艶麗を極めたる自轉車を購入す、當時優は明治座に出勤し居り、自轉車を購入せしことは同人間に隠れもなき事實なるに、何故か毎日の通勤に自轉車を用ひず相變らず人力車にて通ひ来るより、河原崎氏怪みて優に何故自轉車に乗らざるやと問へは、優は何か言ひたげなりしが頭掻き掻き「ハイ、明日から屹度乗って参ります」と答へしより、翌日は明治座の某々優の乗輸姿を見んものと 路傍に待合せ居たるに、紺地に蔦の紋を染抜き襟にやさしく訥升の文字を現はしたる意氣な半纏着たる優の抱車夫は、手拭ひ鷲掴みに汗拭ひ拭ひ走せて道行く人を制せば、優は跡よりハイカラ姿を美麗なる自轉車に托しべルの音高くチリ、チリ、チリとやって来る、其様宛然昔の大名の若様を自轉車に乗せたれば斯くやと思はるる計りなるに、軈て明治座の楽屋口に到着するや跡より追懸け來りたる某々等手を拍って囃し立て、「訥升さん自轉車のお先払ひはオッでげすナ」とからかへば、優は極めて真面目で 「デモ往來は危険ございますからナ」と之より優の乘方を稱して御大名乗りとは云ふ由?


表紙
国会図書館所蔵資料
以下同じ

7頁

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奥付