2021年4月28日水曜日

小宮山と多田

 小宮山と多田

先般、何気なく大正14年発行の「日本輪界興信名鑑」を見ていたら、その24頁に小宮山長蔵と多田健蔵の名前が出ていた。この両名は明治後期に活躍した自転車競技選手で鶴田勝三の後継として期待された選手である。

小宮山長造は小宮山長蔵とも書かれている場合があるので、恐らく同一人物である。

東京市新材木町八 小宮山長蔵
東京市小網仲町一 多田健蔵

小宮山長造は、1907(明治40)年10月31日付け「萬朝報」に
自転車乗りの両横綱がいよいよ決戦

として、東京が小宮山長造、京都が砂田松次郎と出ている。

多田建蔵は、1907年(明治40年)の自転車長距離競走(250哩)に出場し、記録は16時間53分で優勝している。(明治40年7月2日付け横浜貿易新報)その後は、オートバイのレーサーとしても活躍し、1930年(昭和5年)には、日本人で初めてマン島TTレースにも出場している。

大正14年発行「日本輪界興信名鑑」24頁