自転車関係資料⑨
下の資料はチラシの切り抜きのようである。はじめは新聞の広告と思ったが裏側に何も記事がないところをみると、そうではない。
いつごろのものかもよくわからないが、広告の内容からして大正初期と思われる。
更に広告主である森野自転車商店について、当時の名鑑を調べてみると、
偶々以前この資料を撮影した写真があるのでそれも下に載せる。
この広告にあるラーヂ自転車のメーカーは、ラッヂ・ホイットワース社(Rudge- Whitworth Cycles)で、1894年10月9日にラッヂとホイットワース社が合併したイギリスの自転車メーカーである。
日米商店略歴(明治期のみ)
1899年(明治32)11月、創業者の岡崎久次郎は、店名を日米商店として、京橋区竹河岸で米国製懐中電灯の輸入販売を始める。
1903年(明治36)3月に、本店を京橋から銀座三丁目九番地に移転。
同年4月2日付け時事新報に祝博覧会開設非常大割引、写真器及び自転車界へ大突貫 日米商店として広告を載せる。
同年4月5日付けの毎日新聞にも同様の広告を載せる。
同年8月14日発行の日米商店商品目録に取り扱い銘柄車として、スターリング、ウルフアメリカン、スタンホード、アメリカンを掲載。
1904年(明治37)8月23日付け東京朝日新聞に、陸軍御用スターリング自転車の広告 東京銀座三丁目 日米商店とある。
1905年(明治38)4月大阪東区大川町に大阪支店を開店。
同年9月28日付け時事新報の広告に、1905年最新形スターリング自転車とある。
1907年(明治40)日米商店ラッヂ・ホイットワースのカタログを発行。
大正5年の日本輪界名鑑と大正14年の日本輪界興信名鑑には載っているが、明治44年の帝国輪商案内には出ていない。
これらから類推しても大正初期であることは間違いない。
ところでこの資料、今日たまたま取り出したら劣化が更に進み、ビリビリと切れてしまった。そこでとりあえずコピー用紙に張り付ける。偶々以前この資料を撮影した写真があるのでそれも下に載せる。
この広告にあるラーヂ自転車のメーカーは、ラッヂ・ホイットワース社(Rudge- Whitworth Cycles)で、1894年10月9日にラッヂとホイットワース社が合併したイギリスの自転車メーカーである。
日米商店との直輸入販売契約は、1906年(明治39)1月に締結され、それ以来、日米商店の主力販売銘柄になる。もともと日米商店は、その会社名でも分かるとおり、米国製品の輸入販売から始まっている。
日米商店略歴(明治期のみ)
1899年(明治32)11月、創業者の岡崎久次郎は、店名を日米商店として、京橋区竹河岸で米国製懐中電灯の輸入販売を始める。
1903年(明治36)3月に、本店を京橋から銀座三丁目九番地に移転。
同年4月2日付け時事新報に祝博覧会開設非常大割引、写真器及び自転車界へ大突貫 日米商店として広告を載せる。
同年4月5日付けの毎日新聞にも同様の広告を載せる。
同年8月14日発行の日米商店商品目録に取り扱い銘柄車として、スターリング、ウルフアメリカン、スタンホード、アメリカンを掲載。
1904年(明治37)8月23日付け東京朝日新聞に、陸軍御用スターリング自転車の広告 東京銀座三丁目 日米商店とある。
1905年(明治38)4月大阪東区大川町に大阪支店を開店。
同年9月28日付け時事新報の広告に、1905年最新形スターリング自転車とある。
1906年(明治39)1月にラッヂ・ホイットワース社とラーヂ自転車の直輸入販売契約を締結。
1907年(明治40)日米商店ラッヂ・ホイットワースのカタログを発行。
本日の状態
以前に撮影したときの状態
日本輪界名鑑 大正5年
国会図書館所蔵
日本輪界興信名鑑 大正14年
国会図書館所蔵