2021年4月3日土曜日

老舗さんぽ㉞

老舗さんぽ㉞

今日は自転車店ではないが小田原の旅館「片野屋」の調査である。
前回も「老舗さんぽ㉛」で触れている。この日は結局分からなかった。

先ず南町の「十字町ヒストリア」(ボランティアで小田原の歴史を解説してくれる場所)を訪ねる。担当者に要件を話すと、親切にすぐ調べてくれた。
まず、大正2年の小田原町勢一覧を見せてくれた。その地図には万年三丁目に「片野屋」という店が載っていた。これだろうか?
万年三丁目はかなり東寄りになり、いままで考えていた西寄りとはかなりずれている。それでも「片野屋」という旅館を突き止めたことになり、一応の成果であるが、念のため以前も訪ねた南町の老舗「片野屋呉服店」に向かう。直接は関係ないと思われたが、同じ片野であるから何か分かるかもしれない。
丁度、店内に人が見えたので入ってみる。
この店の中に入るのは初めてである。当然呉服店であるから衣類が置いてあるが、店の左側には豆相人車鉄道関係などの写真や図書類が置いてあり、ちょっとしたミニ資料館のようになっている。これはと期待し、店の人に尋ねたところ、この店のご主人は歴史に詳しいとのことで、忙しいのにわざわざ店主を呼んできてくれた。気さくな方で、以前にも「片野屋」旅館について調べに来た人がいたという。そして、その片野屋の写真が載っている本を出してきて調べてくれた。この本は、以前私も見ている「一枚の古い写真、小田原近代史の光と影」小田原市立図書館、平成10年10月1日発行で、この中に確かに片野屋旅館が出ていた。この写真は台風による高波で店が倒壊した時のもので、下の写真がそれである。
だがよくみると場所は旧十字町とあり、先ほどの資料とは違っている。
恐らく旧十字町にあった旅館はその後、万年三丁目に再建されたものと思われる。そうであれば何となくつじつまが合う気がする。被害にあった場所に再建することは躊躇するであろう。
旧十字町は現在の小田原市南町で考えていたとおり西寄りである。

自転車無銭旅行者の中村春吉はこの旧十字町の「片野屋」旅館に泊まったのである。
時は明治34年12月10日である。一年後にこの店は倒壊することになるのであるが、中村春吉はこの夜どのような夢を見たのであろうか?

下が、雑誌「輪友」第3号、明治35年1月1日発行の中村春吉氏直話の旅館「片野屋」が出てくる部分である。再度掲載する。

明治34年12月9日、7時30分に宿を発ち、なにごとも無く沼津に着く。松本和平という大きな旅舎へ行き、宿泊を依頼したらすぐに快諾してくれた。

明治34年12月10日、朝警察署を尋ねる。署長さんから無銭では手紙を出すのも不自由するだろうと言って、切手をいただく。また宿屋に戻り、箱根のくだりで使用する自転車の背負子を作る。9時20分に宿を発ち、箱根を上る。箱根を越すときに一滴の水もなくなり苦労する。茶店に着き渇きを癒す。下り坂は自転車を背負って下る。ところがその途中空腹に耐えられなくなり、一軒の茅屋を尋ねる。無銭旅行を説明したところ、こころよく食事を提供してくれた。この親切な人は、神奈川県足柄下郡湯本村字須雲川の安藤寅吉という人だった。元気になったところで、湯本へ下る。福住という旅館を訪ね宿泊を依頼したら、主人は留守で、取込んでいるからという理由で断られる。しかたなく駐在所を尋ねる。ところが後から追ってきた福住旅館の若者が来て、いま主人が帰って来て、なぜ断ったと叱られ、おつれもうしてこいということで来たという。しかし、婚礼があり取込中のことだからと私は辞退した。そして、小田原へ向けて湯本を発つ。小田原に着いたのは22時頃になっていた。旅館片野屋を尋ねて宿泊を依頼したところ、混雑しているのにもかかわらずこころよく歓待してくれた。


明治35年9月28日の台風の影響による高波で
倒壊した小田原の旧十字町にあった片野屋旅館
立派な唐破風の玄関屋根が見える
典拠、「一枚の古い写真」平成10年10月1日発行

万年三「片野屋」二四六
大正2年12月25日発行 小田原町勢一覧

萬年三丁目付近
昭和13年8月8日発行の地図
静岡市 山田製図社