自転車統計
明治41年9月25日発行「輪界」第1号 39頁~41頁
この統計資料を見ると外国車の輸入台数のうち明らかに米車から英車への移行を見ることができる。
明治38年 英車 5,308台 米車 11,975台 その他の国 2,043台
明治39年 英車 15,532台 米車 8,343台 その他の国 1,559台
明治40年 英車 29,375台 米車 3,218台 その他の国 2,929台
これを見ると明治39年がその分岐点であることが分かり、米国車から英国車へと輸入台数が逆転している。その原因は、日英同盟の締結(1902年、明治35年)を契機に英国車の価格が安くなってきたこと、品質も向上していたことなど。米車の衰退ぶりがこのような資料からも読み取れる。米車のピアス、デートン、クリーブランドから英車のラーヂ、プレミア、ハンバーなどの銘柄に人気が移っていったのである。
国産車の輸出用自転車台数を見ると、
明治37年 58台
明治38年 255台
明治39年 192台
明治40年 374台
と、未だ輸入車に比べ微々たる台数である。
「輪界」第1号 39頁
「輪界」第1号 40頁
「輪界」第1号 41頁