2022年2月23日水曜日

バックナンバー 125

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ニュースレター(NEWSLETTER)NO.125

2003年7月11日作成 日本自転車史研究会

●日本人が自転車発明?
産業考古学会総会で、 梶原利夫氏が「1728 ~ 1732年のわが国における自転車の発明」と題し発表。
要旨は下記の毎日新聞の記事を参照。

自転車に初めて乗ったのは日本人だった?――。1861年にフランス人のミショーが発明したとされるペダル式自転車が、それより129年早い享保17(1732)年に日本で誕生していたことを示す史料を、東京の研究家が分析し、模型を復元した。当時の日本の技術水準の高さを示すものと注目される。  彦根藩士、平石久平次時光(ひらいしくへいじときみつ)(1696~1771年)の「新製陸舟奔車之記」(滋賀県彦根市立図書館所蔵)という文書で、元自転車メーカー技術顧問の梶原利夫さん(60)=東京都北区=が、同文書と添付されていた設計図を分析した。

 文書によると、武州児玉郡(現埼玉県本庄市)で農民が作った「陸船車」と呼ばれる乗り物が江戸で評判となった。坂道も上れる車だったという。江戸屋敷詰めだった彦根藩士が、天文学などで業績を上げていた平石久平次にそれを報告。「陸船車」の動力システムは不明だったため久平次は独自に設計し、享保17年に「新製陸舟車」として完成したとされる。

 「新製陸舟車」は、木枠の舟形で前輪1個、後輪2個の三輪車型。動力は、フライホイール状の円板に、クランクシャフト状の鉄棒を組み込み、ペダル(げた)をこいで進む。文書には「一時に七里(時速約14キロ)走り候」とある。

 この史料は、約20年前に中日本自動車短期大学の教授だった大須賀和美さん(故人)が「自動車前史」として発表したが注目されず、今回梶原さんが自転車としての視点から改めて分析した。

 梶原さんは「1730年代にペダル機構の自転車が日本に存在していたことで、自転車史が塗り替わる」と話している。

 梶原さんは、所属する産業考古学会理事長の川上顕治郎・多摩美術大学教授(生産デザイン)に依頼し「新製陸舟車」の5分の1(全長30センチ)の模型を復元させた。

 川上教授は「『新製陸舟車』のペダル機構はまさに自転車そのもの。安定性から三輪にしたのは当然と思われる。しかし整地が少ない当時の道路事情もあって、普及しなかったのではないか」と話している。【木村知勇】

 自転車博物館(大阪府堺市)の中村博司学芸員の話
 自転車といえば二輪だが三輪は自転車の元祖といえるもの。ペダル機構での人力三輪車は世界的にも1800年代に登場したもの。1700年代に日本でそのような乗り物が誕生していたとすれば驚きだ。日本の技術水準の高さの証明にもなる。[毎日新聞7月5日]

●河口湖でモールトン・ミーティング
10月25日~26日の2日間、山梨県の河口湖で、モールトン・ミーティングが開催される。

●中国映画の中の自転車
( Shirai,Keisuke ) 白井 啓介 「モダンは自転車に乗って」、
中国映画の中の自転車
( Cycling in the Modern Mood : Bicycles in Chinese Movies )