2025年10月20日月曜日

自轉車 第9号 - 3

 自轉車 第9号 - 3

快進社 明治34年4月1日発行

下の口絵は、

ピーアイ会、メンバーの集合写真

東宮和歌丸氏寄贈

註、東宮和歌丸は石川商会の支配人で雑誌「自轉車」創刊の仕掛け人でもあった。

佐藤喜四郎(佐藤半山)は大正4年、創刊15周年の誌上でつぎのようなことを書いている。

 明治33年の春、ピアス輸入元の石川商会の支配人であり、その代理店四七商店の経営者でもあった東宮和歌丸という人物から呼ばれ「輪界の機関誌になるような雑誌をつくってくれ」と頼まれた。自分は自転車についてまったくの門外漢だったが妻子を抱え浪々の身だったので断わる余裕なく、必死に勉強をして雑誌づくりをはじめたのである。

 そしてさらに「東宮和歌丸はやがて四七商店を手ばなし本誌とは経済関係を絶つことになるが、その後も雑誌を育成するために、各方面に資金援助の斡旋の労をとってくれた」とし「まったくこれは東宮氏の輪界発展のために私財を散らされた任俠のたまもの。後世、輪界史を編むものはこの東宮氏の功を忘却してはならない」と強調している。

「知られざる銀輪のわだち」より


口絵

2025年10月19日日曜日

バイシクリング・タイムズ

 バイシクリング・タイムズ

THE BICYCLING TIMES.

アンド・ツーリング・ガゼット

第6巻第2号 1879年11月27日(木)

スタンリー発、先週木曜日、20日、このクラブはホロウェイのジャンクションロードにあるボストンホテルで「社交会」を開催し、他のクラブのメンバーを招待した。悪天候にもかかわらず、I・ジンガリ・クラブとアイヴァンホー・バイシクルクラブのメンバーを含む数名が招待に応じ、楽しい夜を過ごした。才能を披露してくれた方々の名前をすべて挙げる必要はないが、歌ってくれたのはI・ジンガリのトビアス氏、アイヴァンホーのプライス氏、そしてタム・オシャンターのソルター氏だった。I・ジンガリとベタートン演劇クラブのウェッブ氏は素晴らしい朗読を披露し、マスグレイブ氏とアイヴァンホーのメンバーがピアノを担当した。

会員の皆様へ、本日27日木曜日の夜はクリケットクラブの夕食会で、部屋が予約されているため、懇親会は行わない。-C. M. H. スワン、キャプテン


19頁

表紙
トーマス・スミス・アンド・サンズ
各種ランプ

2025年10月18日土曜日

自轉車瓦版 第42号

 自轉車瓦版 第42号

昭和60年6月27日発行

☆福島の真船氏からの情報、「自轉車」 (No.44、明治37.7.1発行)を読んでいたらP.24に当時の自転車雑誌のことが書かれていた。それによると、 大阪の「猟輪雑誌」は「自転車世界」と合併して「三友雑誌」に、「輪界」は1号で廃刊。 

「三友雑誌」は、東京の「輪友」と合併して「輪友銃猟写真雑誌」に、また当時の雑誌は、自転車商と結びついていたともあり、例えば、双輪商会が 「輪友」とつながっていた。

次に、出版物の情報として、「NHK婦人百科」7/18 “手軽にできる自転車の手入”P.79、380円。

 「30代からの自転車旅行のすすめ」鈴木茂夫著、けやき出版 ¥1300。

「こおりやま情報」(月刊の広報誌6月号」に自転車の記事あり

「ギャンブルドック」黒鉄ひろし、びわこ競輪完敗記、角川書店 s60.5.31発行、¥880-

☆弘南堂書店という古本屋に下記の資料あり、希望者は問い合わせを、

少年自転車競争之図 明治25年、 ¥25,000-

〒001 札幌市北区北12条西4丁目 弘南堂書店 

少年自転車競争之図
明治25年

2025年10月17日金曜日

トーマス・スティーブンス関連

 トーマス・スティーブンス関連

以下は、 トーマス・スティーブンス関連の資料

表紙
「英和商売用会話」
 第4版
明治20年発行
国会図書館所蔵
以下同じ

トーマス・スティーブンス序文



第3版への序文

今日、日本中で英語について少しでも知りたいという願望が広まっている。本書は非常に簡潔で役立つ。会話をしようとすると、発音が通じないことに気づくことがよくある。そして、日本にいるすべての英語を話す人、そして彼らと会話する可能性のあるすべての日本人は、それぞれの言語の活字を知っている。この小さな本があれば、彼らは常に自分の意思を伝え、通訳の助けを借りずに物事をうまく進めることができる。

T. スティーブンス

自転車旅行者

1886年12月、横浜のクラブホテルにて

人力車に乗る時の会話

2025年10月16日木曜日

「ホイール」誌 - 11

 「ホイール」誌 - 11

サイクリング・トレード・レビュー

第2巻 第1号

ニューヨーク、1888年8月31日

スプリングフィールド・ロードスターの広告

50インチ、ギア比は52インチのオーディナリーと同じ。

1888年6月19日、ボルチモアで開催されたL. A. W. ランで、150台の車のうち、丘を登りきったのはわずか3台。そのうち2台はハリス氏とデッカー氏が乗ったスプリングフィールド・ロードスターだった。1888年6月19日、ボルチモアで開催されたL. A. W. レースで、スプリングフィールド・ロードスターは3勝を挙げた。1マイル・セーフティ(J. フレッド・ミッドリー)、ハーフマイル・ダッシュと3マイル・ハンディキャップ(W. E. マッキューン)。

スプリングフィールド・バイシクル・マニュファクチャリング・カンパニー
マサチューセッツ州ボストン、コーンヒル9番地

46頁

スター自転車の広告
最高の万能自転車、完全に安全、「ヘッダー」なし。スピーディー
最高のヒルクライマーとツーリングマシン
H.B.スミスマシン社
ニューヨーク営業所、リバティ通り115番地
ニュージャージー州スミスビル

註、「ヘッダー」( ”Headers.”)とは、ダルマ型自転車に乗車中、転倒した場合に頭部を打つ危険があったこと。
俗称でダルマ自転車のことを「ヘッダー」とも呼ばれていた。その後の安全型自転車(セーフティ・バイシクル)が登場するまでは、乗車位置の高いダルマ自転車には常に危険が伴っていた。

2025年10月15日水曜日

自轉車瓦版 第41号

 自轉車瓦版 第41号

昭和60年6月26日発行

★須賀氏からの情報

「辞書漫歩」(昭.53.7、惣郷正明、朝日イブニング社発行)を見ていたら、そのページ25に京都で出版された「英字訓蒙図解」(明治4年頃発行) という本が紹介されていた。この本は、小川金助書店から、児童の一般啓蒙書として出されたもので、乗り物や都市、学校その他が図解入でわかり安くと書かれている。これに自在車として自転車の絵が出ている。また、明治4年文部省が発行した、「泰西訓蒙図解」(上下2巻)のP.24でも「英字訓蒙図解」の絵が紹介されている。ここに描かれている絵は錦絵よりもすっきりした絵で馬車、人力事、自在車など当時の乗り物の様子が分かる。明治の初期には、このような図解入りの英単語集や教師の手引書が出ており、このような中からも自転車を見つけだすことができる。

・同じ「辞書漫歩」P.210にサイクリングの移り変わりというのがあり、次のように書かれている。「明治9 年(1876)大阪で刊行された『開明節用集』(山本与助編)には自転車の単語が載せてあり、「明治初年には日本にも現物が渡来した」、「新橋横浜間を汽車と競走して自転車の方が早く着いた、というから自転車はスピードのシンボルでもあった」 自転車と汽車が競争したとは、驚きである。どのような文献からの引用であろうか?

★幕末ごろに翻訳された辞書の中にも或いは自転車という単語が出て来るかもしれない。その辺から自転車という用語がいつごろから使われたか判断できよう。


210,211頁
「辞書漫歩」惣郷正明著
朝日イブニング社
昭和53年
国会図書館所蔵

212頁
同上

19頁
「泰西訓蒙図解」 下巻
 文部省 明治4年
国会図書館所蔵
以下同じ

20頁

21頁

2025年10月14日火曜日

「ホイール」誌 - 10

「ホイール」誌 - 10

サイクリング・トレード・レビュー

第2巻 第1号

ニューヨーク、1888年8月31日

プレミア・タンデムについて(一部抜粋)

先日の土曜日の午後、L・H・ジョンソン氏と共にプレミア・タンデムで3マイル(約4.8キロメートル)を走る。この自転車はイーグルロックからオレンジのメインストリートにあるジョンソン氏の店まで、時速15マイル(約24キロメートル)の速度で走行した。

プレミア・セーフティの重量は85ポンド(約36キロ)、価格は200ドル(ボールペダルは別途)。前部座席のライダーが揺れることはなく、男性でも女性でも前部座席に乗ることができる。


33頁
プレミア・タンデムセーフティ
輸入業者:L. H. ジョンソン
ニュージャージー州オレンジ

2025年10月13日月曜日

自轉車瓦版 第40号

自轉車瓦版 第40号

昭和60年6月25日発行

☆福島の真船氏からの情報。瓦版の15号で紹介した、ダルマ自転車の件でこの度、大阪のサイクルショップ・トモダに問い合せたところ、次のような回答があった。「当時あのダルマ自転車は、全然買手がつかなかった。結局1台だけ入れただけで、その車も現在、店に飾ってある。今はこれを売る気はない」トモダが輸入したダルマ自転車が1台ということになるとあの磐城にあったダルマ自転車は、どこから入てきたのであろうか。あるいはトモダとは別に輸入されたのかもしれない。いづれにしても、当初考えていたより、その台数は入っていないことになる。2~3台と云ったところか。

・郡山の古本屋で「続々世界商買往来、紀元 2533年第2月(明治6年)」を入手した。この本は、英語の辞書のような体裁で、内容は当時の貿易手引書といった感じのもの。項目の中には、自転車もあり、ドライジーネやミショーのような自転車のイラストもある。また、風車自転車といた語句もあり、いったいどのような自転車か興味あるところである。

・バイク・アンド・ライダーズという米国の本に、ラントーンの自転車のイラストが載っていた。恐らくこのイラストは「The Velocipede、1869」から引用されたもののようだ。
ところでラントーンの駆動方式だが、最近いろいろな本を見て考えたところ、足踏みと右手との3点で駆動するものでないかと思われる。左手のレバーは方向転換時に動かすだけで、通常は、 ささえるだけのようだ。しかしまだ結論を出すのは早い。もうすこし研究してみたい。


世界商賣往來 續々
青山堂 1873年(明治6年)発行
表紙
国会図書館所蔵
以下同じ

1頁

13頁
自転車の絵に注目
ドライジーネとミショー型が合体?

ラントーンの広告 1865年 
「イングリッシュ・メカニック」17頁
(ENGLISH MECHANIC、 1865-1870)より

2025年10月11日土曜日

自轉車 第9号 - 2

 自轉車 第9号 - 2

快進社 明治34年4月1日発行

以下は第8号の目次、

口絵 陸海軍連合自転車遠乗会、輪界の大家脇屋三郎氏
自転車百話(其六)
陸海軍自轉車遠乘記
梅津大尉自轉車談
北清派遣軍の自轉車
タイヤーの良否に就て
ワイ、デーリング氏第二信
初乗初失敗の記
経験なるサイクリストに資す
雑報陳列場倶楽部彙報問答各地たより
玉石混合例に依って記事豊富
自転車少年(承前)
詩句

「自轉車」第8号の目次


エルク自轉車の広告、
快速堅牢
優美高尙
千九百一年式新荷着す構造は精巧を極め速力頗る迅速目今米國輪界の王たり殊に婦人乗の
優美なるは貴婦人用として恥ぢず「タイヤ」は世界有名のハートフォルド、ダンロップ式に
て掛け外し自在故實用に適す愛輪諸君是非御試乗之上御愛顧を賜らん事を
実用紳士乗 正価120円
同 婦人乘 正価120円

日本特約店橫濱相生町一丁目公園地前
根津本舖

2025年10月10日金曜日

「ホイール」誌 - 9

 「ホイール」誌 - 9

サイクリング・トレード・レビュー

第2巻 第1号

ニューヨーク、1888年8月31日

スプリングフィールド・ロードスターとボールベアリングの広告

1888年6月19日、ボルチモア、L. A. W. ランで、150台のホイールのうち、丘を登ったのは3台だけ。そのうち2台は、ハリス氏とデッカー氏が乗ったスプリングフィールド・ロードスターだった。

1888年6月19日、ボルチモア、L. A. W.レース。スプリングフィールド・ロードスターは3勝を挙げ。2マイル・セーフティ(J.フレッド・ミジリー)、半マイル・ダッシュと3マイル・ハンディキャップ(W. E. マクーン)であった。

スプリングフィールド自転車製造会社

マサチューセッツ州ボストン、コーンヒル9番地


15頁

2025年10月9日木曜日

自轉車 第9号 - 1

 自轉車 第9号 - 1

快進社 明治34年4月1日発行 

目次、
口絵 東西曲乗家、ピーアイ会員、石川商會米國支店員、同商店神戸支店
自転車百話(其7)
奥州轉輪記
女子嗜輪會に臨みて
自轉車乗として吾人の眼に映したる北米の道路と我道路の比較
遠乘會の午餐に就て
豆相みやげ
轍の跡
嗜輪會設立に付在英京友人の書
自轉車奇聞
雑報陳列場倶楽部彙報問答各地たより玉石混合紹介欄、十傑投票第3回披露


目次

口絵
東西の曲乗家
小林作太郎(東京)、岡田芳之助(大阪)

2025年10月8日水曜日

「ホイール」誌 - 8

 「ホイール」誌 - 8

サイクリング・トレード・レビュー

第2巻 第1号

ニューヨーク、1888年8月31日

キング・オブ・ザ・ロード・サイクルランプの広告(一部抜粋)

今はサイクリングに最も楽しい季節だ。しかし、夜は早く訪れ、9月の涼しい夜には、明るい光を放つ良質なランプがなければ、サイクリングを楽​​しむことはできない。

キング・オブ・ザ・ロードに匹敵するランプはない。

激しい競争にもかかわらず、有名なキング・オブ・ザ・ロード・サイクルランプは優位性を保ち、世界中のすべてのサイクリストから、最高のランプであると評されている。

その優秀さは、徹底した職人技による製造方法、最高級の錫のみの使用、すべての部品がしっかりとリベット留めされていること、ホイールへの取り付けやすさ、大きなオイル保持能力、揺らぎにくい輝きと安定性、そして以下の改良点。

1. 真鍮製の調整可能な車軸ベアリング。
2. 巻き上げ式バーナー。これにより、外側から光量を調整できるため、ランプを開ける手間が省ける。
3. 側面をスライドさせて点火。
4. 特許取得済みの振動しないヘッドランプ取り付け部。
5. 通気性の向上。
6. ルビーサイドプリズム。
7. 瞬時に取り外し可能な反射板。

米国総代理店 クラークサイクル社 メリーランド州ボルチモア


14頁

2025年10月7日火曜日

自轉車瓦版 第39号

 自轉車瓦版 第39号

昭和60年6月24日発行

☆(前号からのつづき) “BSA”

かくして自転車の生産計画はスタートした。当面200台の自転車の組立てが決まり、この評判を見て、更に生産計画は拡大されることになった。兵器メーカーの作った自転車と言えば、 ロイアル・エンフィールドがそうであるし、我国でも宮田製作所がその代表的な例である。製品の品質は街工場の自転車メーカーに比べて、格段の差があったと言われている。材料ひとつを取上げても、銃器の生産によって得たノウハウが大きくモノを言ったのである。BSAの自転車生産は、数年の内に1000台を記録していた。企業化は軌道に乗り自転車メーカーとしてのBSAの名は次第に知られるようになっていった。しかし、BSAの首脳陣は自転車生産に見切りをつけ、 1888年にはこの分野からの撤退を決定するのである。次にBSAが自転車を手がけるのは、5年後の1893年のことである。この時は完成車の組立てには手を出さず、部品の供給メーカーとしての再スタートであった。

(”クラッシックMCファンダム”第21号、1980.8.1 日本二輪史研究会より)


BSA空挺部隊用折り畳み自転車、1944年
国立陸軍博物館所蔵 英国

2025年10月6日月曜日

自轉車瓦版 第38号

自轉車瓦版 第38号

昭和60年6月24日発行

★前号からのつづき "BSA"、

BSAはこの当時、バーミンガムのSmall Heathに大エ場を建設する準備を着々と進めていた。手始めに工場用地が確保され、実に10万平方メートル(101.170m²)にも及ぶ用地の買収を終えていたのである。兵器メーカーとしてスタートしたBSAは、国家の保護の元に生産設備を拡張し大規模兵器会社へと発展を続けていた。領土拡張を狙い、貪欲に利権をあさる当時のイギリス国家にとって、兵器の生産は目的達成への不可欠の要素だったのである。この時代のイギリスは、1882年11月のアフガニスタンへの侵略戦争。翌年1月に勃発したズール戦争(英軍のズールランドへの侵入)などに見られるように、世界各地で侵略戦争に明けくれており、大量の武器弾薬を必要としていた。BSAにとっては企業拡大のまたとないチャンスだったわけである。しかし、こうした状況もそれほど長くは続かなかった。1880年頃には戦争も一段落を見せ、兵器の需要は次第に頭打ちとなりはじめていた。この1880年という年は、BSAにとって、記憶せねばならない年とあった。同社のトレードマークであり、白転車のエンブレムともなった、“三丁の小銃”のマークが、この年正式に採用されることになったのである。

兵器生産の停滞に直面したBSAの首脳陣は、新しい分野への進出を計って、積極的に多角経営に乗り出す決意を固めていた。発明家のE.Otto氏は、自身の考案した自転車をたずさえてBSAに乗込み、首脳陣を前に、この自転車のデモンストレーションをして見せたのである。結果は大成功だった。もともと新い事業を模索していたBSAは、この自転車生産に多大の期 待をかけることになった。自転車が当時有望な商品であったのはもちろんであるが、兵器メーカーであるBSAにとって、従来の生産設備の流用が可能である点も、大きな魅力のひとつであった。(次号につづく)


オットー二輪車

2025年10月5日日曜日

古本 - 2

古本 - 2

下の写真は、以前に古本屋で購入した自転車関連の漫画本。 

自転車の絵が多数出ていたので購入。

「とんぼちゃん」 松沢のぼる 【付録漫画】

小学館 昭和34年

『とんぼちゃん』は、昭和34年(1959年)に小学館の学習雑誌「小学一年生」7月号の付録漫画として発表された作品。松沢のぼる作画。


表紙

6,7頁

裏表紙

2025年10月4日土曜日

「ホイール」誌 - 7

 「ホイール」誌 - 7

サイクリング・トレード・レビュー

第2巻 第1号

ニューヨーク、1888年8月31日

クアドラント三輪車の広告

三輪車にクアドラントという名前がつくと、確かに多くの意味がある。

それは、すぐに「他とは一線を画すだけでなく、明らかに優れた」マシンである。大きなハンドル、主軸上の延長されたブリッジ、この軸に2つ以上のベアリングの使用、そして継ぎ目のない完全に剛性の高いフレームといった重要な特徴で流行を先導した。それは長年にわたり、完璧な職人技と誠実な素材、つまり満足のいく三輪車の保証を伴った名前である。

クアドラント・タンデム No. 15

1888年6月19日、ボルチモアで開催されたL.A.W.ミートレースの2マイルオープンハンディキャップ優勝。史上最速かつ最高のヒルクライムタンデム。

クアドラント三輪車 No.8。紳士専用。

1888年6月19日、ボルチモアで開催されたL.A.W. 1マイル選手権優勝。2分38秒で1マイルを走破。

クアドラント三輪車 No.14。女性用

全体的に軽量設計で、特に女性の使用に適している。また、軽装の男性にも適している。

イギリスで最近行われた軍事演習では、すべての自転車メーカーが、自転車の軍事用途への適応性を証明するために、有能なライダーを乗せた自転車を派遣し、部隊を編成するよう招待された。90台の自転車が強行軍に参加しましたが、完走したのはわずか15台であった。

最初に到着したのは8番のクアドラント三輪車で、セーフティ三輪車とオーディナリー三輪車をすべて打ち負かした。他のメーカーの三輪車はどれも完走できなかった。

クラーク・サイクル・カンパニー

メリーランド州ボルチモア、ハノーバー通り2番地と4番地

ワシントン支店、ペンシルベニア通り908番地


13頁

2025年10月3日金曜日

古本 - 1

 古本 - 1

下の写真以前に古本屋で購入した自転車関連の漫画本。

表紙のダルマ自転車の絵が気に入る。

藤木輝美 コンちゃんのとんまてんぐ りぼん 昭和35年10月号ふろく

「ゆかいテレビまんが/とんま天狗」

大村崑ちゃん、性は尾呂内、名は南公。

「コンちゃんのとんまてんぐ」は、漫画家・藤木輝美(別名:藤木てるみ)が作画を担当した作品で、原作は花登筐(はなとこばこ)。集英社から出版された。


表紙

2、3頁

裏表紙

2025年10月2日木曜日

自轉車瓦版 第37号

自轉車瓦版 第37号

昭和60年6月24日発行

★メーカー事始シリーズ NO.2 "BSA”

BSAという名前を知ったのは1965年頃である。あるスーパーマーケットの自転車置場で婦人用のBSAを見たのに始まる。始めのうちはその自転車を見て、なんと汚らしい地味な自転車と思った。しかし、まわりに置いてある自転車と比べると、なにか趣きが感じられた。サドルバックは、既に弾力はなく、後のマッドガードにへばりついている状態でかなり使い古された自転車であった。それから数年後、忘れかけていたBSAの思いがまたまた現われたのである。 そこで、なんとかこの自転車を手に入れようと、あちこちの自転車店を尋ね歩いた。遠いところは、電話で問い合わせBSAがあるかどうか確認した。しかし、すべて 無いという返事ばかりであった。それも当然である。 BSAは既に過去の自転車であったからだ。 ところが、浜松のシクロサロン戸塚という自転店にBSAがあるという情報を得た。そこで、はるばる 同店を尋ねた。「BSAがあるということを聴いて来ました。 もしあれば譲って欲しい」すると店主は「あれは売る訳には行かない私が長年親しんできた自転車だから」結果はある程度、予想されていたが、むなしさだけが残った。

今はBSAを欲しいという気持ちは全くなくなった。それは、戦前の国産車に興味の対象が移ってしまったからである。

BSAは、1692年、ウィリアムⅢ世の時代のイギリス・バーミンガムで鉄砲鍛治により創設されたのが、B・S・A (Birmingham Small Arms Company)の始まりであった。もっとも創立当時の呼名は、BSAではなく、この名称が正式に使われるようになるのは、1861年からのことである。(次号につづく)

註、The Birmingham Small Arms Company Limited、1861年、バーミンガムのGun Quarterにて創業。


1900年のカタログより

2025年10月1日水曜日

「ホイール」誌 - 6

 「ホイール」誌 - 6

サイクリング・トレード・レビュー

第2巻 第1号

ニューヨーク、1888年8月31日

ニューラピッド・ダルマ自転車の広告

最高級のマシンに不可欠なすべての改良部品を搭載。

折れないトゥルータンジェントスポーク、座屈しない厚底中空リム、緩まない中空取り外し可能ハンドルバー、最高級の溶接なしの鋼管製のバックボーンとフォーク、時計のような精度で作られたボールベアリング。

ロードスター重量、40ポンド(すべて込み):ハンドルとサドルは選択可能。

ライトロードスター重量、36ポンド(すべて込み):ハンドルとサドルは選択可能。

クラーク・サイクル・カンパニー

メリーランド州ボルチモア、ハノーバー通り2番地と4番地

ワシントン支店、ペンシルベニア通り908番地


12頁

2025年9月30日火曜日

自轉車瓦版 第36号

 自轉車瓦版 第36号

昭60年6月21日発行

★前号からのつづき 『トライアンフ』

1886年にベットマンはブランド名を“トライアンフ”と改め、翌87年にはロンドンにトライアンフ・サイクル会社を設立した。自転車業界は時代の波に乗って大発展を遂げている時期であり、ベットマンはこのチャンスを逃がさず自転車メーカーとしての道を歩むことになったのである。1889年には技術者であるモーリス・ヨハン・シュルテを会社に迎え、いよいよ独自の自転車を生産することになった。この時期トライアンフ・サイクル会社には、 有力な出資者であるダンロップ社が現われ、 ともかくベットマンは好運なスタートを切ることかが出来た。 (”クラッシックMCファンダム”第30号、1982.2.1 日本二輪史研究会より)。 次回のメーカー事始シリーズでは“BSA”を予定。


モーターサイクル誌
1912年3月28日
トライアンフサイクル株式会社、コベントリー

2025年9月29日月曜日

「ホイール」誌 - 5

「ホイール」誌 - 5

サイクリング・トレード・レビュー

第2巻 第1号

ニューヨーク、1888年8月31日

ニューラピッド・セーフティの広告、
ご注文受付後、即日発送。この方式は高く評価され、今や世界中で模倣されている。

トゥルー・タンジェント・ホイールは、当社が発明し、開発した。現存する最もシンプルで強力なセーフティである。乗車可能な実重量は47ポンド。全部品交換可能。防塵仕様で、両輪、クランクシャフト、ペダルに調整可能なボールベアリングを装備。現在市場で最も売れているセーフティである。代理店の一つは、今シーズン77台を販売した。
クラークサイクルカンパニー
メリーランド州ボルチモア
ワシントン支店、ペンシルベニア通り908番地


11頁

2025年9月28日日曜日

自轉車瓦版 第35号

 自轉車瓦版 第35号

昭和60年6月21日発行

★メーカー事始シリーズ第1回、

『トライアンフ』 横浜の石川商会が明治40年頃、トライアンフを輸入したのが日本人とトライアンフとの最初のふれあいであった。トライアはむしろ自転車ファンよりもオートバイ 愛好者にその知名度は高く、“トラ”という愛称で親しまれた。現在でもそのファンは多い。 20年ぐらい前にはよくトライアンフのタイガーやボンネビルを走らせるライダーを見かけたものであった。

『トライアンフ』のブランドは、創立者であるジーグフリード・ベットマンが、1886年に自社の自転車に付けたのが最初と云われる。彼は、1884年にドイツからイギリスへ移住した人物で、故郷のバイエルンでは裕福な地主の息子として育ち、高い教育を受けていた。イギリスに渡った当時のベットマンは、まだ21才の若さであったが、優れた能力と語学の教養を武器に、たちまちの内にアメリカ資本のホワイト自動車会社で重要な職を得るまでになっていた。その後、彼は会社勤めの経験を生かして独立し、貿易会社を設立してミシンなどの商品を扱うようになった。1885年には自転車の分野にも手を広げ、“ベットマンマシン“のブランドで販売を始めたのである。この頃のベットマンは独自の自転車工場を持っていたわけではなく、バーミンガムのウィリアム・アンド・リュースが製造した自転車を買い、それに”ベットマン"のブランドを付けて販売していたのである。(次号につづく) 


広告
トライアンフサイクル株式会社
ロイヤルトライアンフ

「サイクル・オブ・ザ・シーズン」
1892年
ハリー・ヒューイット・グリフィン著




2025年9月27日土曜日

「ホイール」誌 - 4

 「ホイール」誌 - 4

サイクリング・トレード・レビュー

第2巻 第1号

ニューヨーク、1888年8月31日

以下はワーウィックのダルマ自転車の広告

ワーウィックは、完璧である。

アメリカやヨーロッパの市場のどの自転車よりも、改良が施されている。

これは長年、発明家たちの研究の成果である。ワーウィック・スプリングベアリングフレームは、この問題に対する最初で唯一の解決策だ。このスプリングベアリングは、あらゆる衝撃を吸収するように設計されており、振動のない唯一の自転車を生み出した。ベアリングフレームの内側、フォークの下には、スチールとゴムで作られたスプリングがある。スチールが歪みを、ゴムが振動を吸収することで、どんなに荒い乗り方をしても、ライダーはわずかな衝撃も感じない。これは高く評価されるべき点である。

M.F.A.株式会社

マサチューセッツ州スプリングフィールド


ワーウィックの広告
1888年8月31日発行

2025年9月26日金曜日

自轉車瓦版 第34号

 自轉車瓦版 第34号

昭和60年6月20日発行

☆この瓦版も今年の3月20日に創刊し、既に3か月を経遇した。毎月少なくとも10回ぐらいは発行したいと考えていたが、どうにか皆様のおかげで当初の計画どおり10回ペースで来ることが出来た。いずれにしても会員諸氏からの情報によりこの瓦版は成り立っているので、今後もどうか自転車に関する情報等お寄せいただきたい。形式はぬきにしてメモで結構ですからハガキでお寄せ下されば幸いである。なお、バックNO. は常時用意しているので希望の方は気軽に申し出を。

☆この度、斉藤俊彦氏より、「交通史研究」NO.13の抜刷版を送っていただいた。これは同氏が学会に報告したレポートで、瓦版NO.24 で紹介したもの。論文名は、「日本における自転車の製造・販売の始め -(竹内)寅次郎の事績について-」(「交通史研究」第13号・昭和60年4月25日)、目次は次のとおり、一 序、二 明治維新のころの自転車状況、三 寅次郎(のち竹内姓)事績の史料及び彼の経歴、四 錦絵に見る「自転車」五 寅次郎事積の内容、六 まとめ。この論文の結論付けとして(1)寅次郎の考案、 製作にかかる一人乗り、二人乗りの三輪車「自転車は」国産自転車製造の始めである。(2)寅次郎が自転車という名称の命名者である。(3) 自転車取締規則は明治3年7月に日本で初めて制定された、など。 なお、この寅次郎の論文については、追って会報にて取り上げる予定である。


日本における自転車の製造・販売の始め
(竹内)寅次郎の事績ついて
齊藤俊彦著 1985年

2025年9月25日木曜日

ホイールマン誌 - 3

 ホイールマン誌 - 3

第2巻 №1 1883年4月発行

"嫉妬"

チャーリー・リチャーズ・ダッジ作

Ⅰ デイジー、愛を、ブロンドの髪を、今夜はキスもなしに、薄暗い月明かりの中、私はどこへ自転車で去っていくの?まだ私を愛していると言ってくれる、キスもないのに、私が何をしたというの、そんなにひどい扱いを受けるの?

Ⅱ「他の人を愛する?」そんなはずはない、デイジー!私はあなた以外誰も愛したことがない!あなたは嫉妬深い!誰に?続きを教えて、私が弱り果てる前に?「自転車が一番好き?」

Ⅲ デイジー、愛よ、目を上げて私の目を見つめて、ニッケルプレートよりも明るく輝いて、最愛の人よ、もし自転車が一人で立っていられないなら、放して、ほら!あと一つだけ、ダーリン、デイジー、私のもの

16頁

2025年9月24日水曜日

自轉車 第6号 - 7

 自轉車 第6号 - 7

以下は興味ある記事を拾い読み。

最近米国学術雑誌に記載せられたる軍用自転車
(双輪商會寄稿)
今や自轉車は軍隊編成上欠く可らさる機關の一にして各國陸軍に大に其声価を認められ其發達の度の又極めて速かなりし事は實際驚くべき程なるが、數ヶ年以前になりて自轉車の未だ玩弄物視され其實用的運命を見る能はざりし時代にありては、是を軍事に使用して斯も著しき效果を収むべきものとは到底思も依らざりし所なりしが、近來漸く其名声を高め甞て一度は輕蔑の眼を以て之を度外視したる人士の今はなかなかに之を實戰に使用すべく説いて止まざるに至ては不思儀なる一現象とこそ云ふへけれ、實際自轉車は斥候或は傳令等の軍務に關しては他に比敵するの機関なしといふべし、盖し自轉車は軽快にして處理し易く、快速力を有して些少の音をも發せざる。馬上に於けるが如く敵の視線に触れ易き憂なき等の四点より之を論するに到底他に是と對等すべきものなきは明白なる事なり。近來英の陸軍に於ては種々試験の結果総員二千名よりなれる自轉車隊を編成せしが、これは斥侯傳令等の軍務に従事するにあらずして、今之を假に日本に譬へんに一個の敵軍横濱港より上陸なし鉄道を破砕しつつ、漸時東京へ進軍しつつある場合に際し、陸軍は先ず兼て準備したる此自轉車隊を發して神奈川附近に於て一時前進しつつある敵兵を喰止め、后本隊を發して之と替らしめなば、敵は其目的を達する事能はざるべしといふ軍務に備へられたりといへり、佛、獨、露等の諸強國の陸軍にして既に自轉車隊を編成せさるは殆どなきぼとの發達を見るに至りしが、其使用する自轉車は概ね外見は普通車の如く見ゆるも蝶つがひの作用によりて山岳等行通の不便なる路を進行するに際し・・・


51頁
「自轉車」第6号  快進社
 明治34年1月1日発行

52頁

53頁

54頁

註、この図にあるダーズリー・ペダーセンは日本でも既に情報が伝えられていたことが分かる。
 Pedersen自転車は、カンチレバー構造とハンモック型サドルを持つ軽量フレーム。1893年にイギリスで特許を取得し、1897年からDursley(イングランド)で製造された。

2025年9月23日火曜日

「ホイール」誌

「ホイール」誌

サイクリング・トレード・レビュー

第2巻 第1号

ニューヨーク、1888年8月31日

1888 ニューメール

これ以上のグレードはない。これほど成功したダルマ自転車は市場に登場したことがない。

昨年、発売したアメリカ製のニューメールライトロードスター。

すべての部品はスチール鍛造で、完全に互換性がある。

当社が管理するトリグウェル(TRIGWELL)ボールベアリングヘッドの大幅な改良が施されている。過去2年半の実際の道路使用により、絶対的な成功が証明された。完璧に強化されたバックボーンとフォーク、そして厚くなったベースリム。自転車事業に携わって以来、昨年のNEW MAILで全国各地からこれほど多くのお褒めの言葉をいただいたことはない。これらは著名な、ライダーの意見であるため、ホイールのメリットを示すこれ以上の強力な証拠は提供できない。一部のディーラーがボールヘッドに何の利点もないと批判してきたため、トリグウェル特許の真のメリットを明確に理解していただくために、この事実を強調して言及せざるを得ない。

トリグウェルは私たちが管理しており、他社は使用できないこと。トリグウェルはボールを封じ込める唯一のボールヘッドであること。ボールヘッドを最初に採用したため、最も多くの経験を積んできた。そして、2年半使用してきたトリグウェルは大成功であると宣言する。事故の場合でも修理が簡単で、コーンよりも耐久性がある。この成功の最大の証拠は、来年、ヘッドの細部に至るまで一切変更しないと宣言していることである。すべての部品は完璧に機能しており、変更は必要ない。2月1日発売のNEW MAILの説明カタログを送るまで、新しい注文は控えください。今すぐお名前をお送りください。すべての町で優秀な代理店を募集している。以前の代理店は、継続を希望の場合はすぐに連絡していただき、早期納品のために注文してください。

WM. READ & SONS、ボストン、ワシントン通り107番地


8頁
ニュー・メールの広告

「ホイール」誌
サイクリング・トレード・レビュー
第2巻 第1号
1888年8月31日

2025年9月22日月曜日

自轉車 第6号 - 6

 自轉車 第6号 - 6

以下は興味ある記事を拾い読み。

新式泥除(四七商店輸入)
此新式泥除は図に示す如く至極簡単に結構せられたるものにして重量の上に於て價格の上に於て従来の泥除よりは数等の利益あり然かも其効力の十二分なるを聞かば誰か其一新發明 に驚かざるものあらんや

小兒用自転車(四七商店輸入)
此小兒用自轉車は最も安全に最も堅牢にて誰にても練習を要せず直ちに乗用し得るものなり總て金屬製にして男女両様の種類あり何れも高尙優美にして決して古のガタ車的のものにあらず現に女子嗜輪會々員の一人何等の練習を経ず直に之を乗用し居れるが速力の如きも十一二才の小僧疾走の度よりも速かなり


50頁
「自轉車」快進社
明治34年1月1日発行