自轉車 第9号 - 3
快進社 明治34年4月1日発行
下の口絵は、
ピーアイ会、メンバーの集合写真
東宮和歌丸氏寄贈
註、東宮和歌丸は石川商会の支配人で雑誌「自轉車」創刊の仕掛け人でもあった。
佐藤喜四郎(佐藤半山)は大正4年、創刊15周年の誌上でつぎのようなことを書いている。
明治33年の春、ピアス輸入元の石川商会の支配人であり、その代理店四七商店の経営者でもあった東宮和歌丸という人物から呼ばれ「輪界の機関誌になるような雑誌をつくってくれ」と頼まれた。自分は自転車についてまったくの門外漢だったが妻子を抱え浪々の身だったので断わる余裕なく、必死に勉強をして雑誌づくりをはじめたのである。
そしてさらに「東宮和歌丸はやがて四七商店を手ばなし本誌とは経済関係を絶つことになるが、その後も雑誌を育成するために、各方面に資金援助の斡旋の労をとってくれた」とし「まったくこれは東宮氏の輪界発展のために私財を散らされた任俠のたまもの。後世、輪界史を編むものはこの東宮氏の功を忘却してはならない」と強調している。
「知られざる銀輪のわだち」より