2024年7月13日土曜日

銀輪部隊関連 - 7

 銀輪部隊関連 - 7

「マレー血戰 カメラ戰記」朝日新聞特派員 影山匡勇 昭和18年1月18日發行

我が猛進撃を怖れて、敵は道路の舗装を穿って、一面に地雷を埋めてゐた。我が工兵隊の決死的作業により、取り除かれた地雷の穴。


写真20
国会図書館所蔵資料

写真20
取り除かれた地雷の穴

2024年7月12日金曜日

フランク・レンツ関連

 フランク・レンツ関連

これもレンツ関連の写真。

この写真のキャプションには次のようにある。

レンツは自転車の前に立っており、仲間の西洋人は人力車に乗って正体不明の建物の前にいる。おそらく1893年春に中国で撮影されたものと思われる。

Lenz stands with his bicycle while a fellow westerner sits in a rickshaw in front of an unidentified building, probably taken in China in spring 1893.(Adventure Cycling Associationより)

註、まったくこの説明書きは的外れである。どうみて日本人の目からから見ればまさしく日本の風景で、大店か街道筋の宿屋と云ったか感じである。

レンツは愛車のビクター号のやや右側に立っており、その横は人力車に乗る旦那の奥方であろうか。人力車夫の半纏の襟に何か文字が見えるが不鮮明で判読できない。

よく見ると軒の上にやはり半纏を着た人物がいる。

「おそらく1893年春に中国で撮影」とあるがこれは誤りで、1892年の秋に撮影されたはずである。場所はどこであろうか、東海道沿いの宿場町なのかいまのところ判然としない。


レンツのビクター号と人力車

拡大

2024年7月11日木曜日

銀輪部隊関連 - 6

 銀輪部隊関連 - 6

「マレー血戰 カメラ戰記」朝日新聞特派員 影山匡勇 昭和18年1月18日發行

シンガポー ル街道をべダル踏んで颯爽と南下する報道小隊。


写真50
シンガポール街道
国会図書館所蔵資料
以下同じ

写真の目次

143頁


3、ペダルの進軍

敵の潰走したあとに、乗り棄てられた自轉車を發見して僕等は狂喜した。チェンの外れたもの、空氣のないもの、ガタガタきしむもの、ブレーキのないもの、タイヤのないものなど、片輪ものばかりをかき集めてそれでも歩くよりましだと、乳母車部隊は忽ち銀輪部隊に改装された。誰の車も景気よくキューキュー、ガラガラ、ズーズーと騒音を撒きつつ、賑かに走って行く。 これが何と意外にも舗装道路では、戦車のキャタピラの擬音であった。始めは、吃驚して逃げてゆく住民たちを笑ってゐたが、この效果が覿面に現れた。それは一月四日の夜半のことである。シンガポール街道にあるビドゥの郊外で通信兵三名が連絡の途中、十数名の敗残兵に襲はれて見動きもならぬところへ、第一線部隊を追ふ我々報道班十一名の「破れ自轉車部隊」が闇の中をガラガラ、ガラガラと通りかつたら、「戰車だ!」「戦車だ!」
と敵は慌てて潰走してしまったと。知らぬうちにこんな嘘のやうな手柄をたててゐた。 ビドウではマレー住民が、我々に新車を提供してくれたので、殊勲の破れ自轉車にも惜しい別れを告げて、今度は颯爽たる銀輪部隊と變わった。・・・

2024年7月10日水曜日

フランク・レンツ関連

 フランク・レンツ関連

レンツ関連の記事などを調べていたら、下の写真が出てきた。

この写真のキャプションには次のようにある。

1892 年秋、神戸の宣教師は、レンツが通りかかることを知っいて、ランチに立ち寄ってもらうための目印に旗を道端に掲げた。

註、長い竹をアーチ形にして両国の国旗が掲げられ、確かに歓迎のムードが漂っているが、レンツと道端で何か話しているのは外国人の宣教師ではなく、どこぞやの旦那風の男性である。その他はどう見ても野次馬。

左端にいるワンちゃんにも注目。

神戸では、オリエンタルホテルに泊まり、イギリス人実業家ロバート・ヒューズ邸での歓迎会に出席している。

レンツがサンフランシスコを船出して横浜港に着いたのは1892年11月14日である。

このサイトの説明書きにはやや疑問が残る。



A missionary in Kobe, Japan, knowing that Lenz would be passing by, hung these flags on bamboo poles roadside to get the wheelman to stop for lunch, fall 1892.
(Adventure Cycling Associationより)


・・・神戸とその賑やかな港町に到着した。
世界中から船が集まる横浜と同様に見下ろす丘には外国人の美しい家が立ち並んでいた。
オリエンタルホテルにチェックインした時は、日本滞在を終えて再び故郷に戻ったような気分になった。オセアニック号で知り合った二人の欧米人にも会うことが出来た。また、中年のイギリス人実業家ロバート・ヒューズにも会い、8マイル西にある彼の邸宅に招待された。
ヒューズ氏と日本の大勢のスタッフが彼の邸宅で温かい歓迎をしてくれた。
「The Lost Cyclist」 より


2024年7月9日火曜日

ヴェロシペードの木版画

 ヴェロシペードの木版画

下の図は、ドイツの1885年のヴェロシペード木版画。

1. ツーリング用三輪車「インビンシブル」

2. Humber と Comp のタンデム三輪車

3. 自転車ツアー「ライプツィヒ」。

4.一輪車

5.2人のための "社交的" トリーベルにコンバーチブル。

6. レーシングバイク「インビンシブル」

7.荷物運搬用三輪車。

8. ホール自転車

9. オットー・ビイェレ

10. マヌパッド

11. フォン・ドライス男爵に続くライディングマシン

12.安全型自転車ローバー

13. ハンバー三輪車

14. レーシングタンデム三輪車「インビンシブル」


ヴェロシペード木版画
1885年

2024年7月8日月曜日

銀輪部隊関連 - 5

 銀輪部隊関連 - 5

「マレー血戰 カメラ戰記」朝日新聞特派員 影山匡勇 昭和18年1月18日發行

一度ジャングルに入ると、こんなに「上衣」がぼろぼろになる。


写真9
ぼろぼろの服
国会図書館所蔵資料
以下同じ

13頁
写真の目次

2024年7月7日日曜日

自転車とサイクリング

 自転車とサイクリング

「自転車とサイクリング」H. アダムス著 1965年発行

表紙
日本自転車史研究会所蔵資料

著者の注記
謝辞

目次

内容(CONTENTS)
車輪
2 つの車輪と足
地面から離れた足
快適さと安全性
その他の種類の自転車
自転車の手入れ
安全な乗り方
サイクリングを楽​​しむ
未来の自転車?
索引



車輪
まずは謎から。
私たちは機械で満ちた世界に住んでおり、ほとんどすべての機械に車輪が付いている。何千年もの間、人々は仕事を楽にするために車輪を使ってきた。ローマ人がイギリスに来る前 (2000 年前)、4 つの木製の車輪が付いた粗末な荷車が馬に引かれて村から村へと道路を走っていた。それより何千年も前に、エジプトの偉大な王たちの兵隊は戦車を使用していた。
一番最初の車輪を作ったのは誰か? 誰がそれを思いついたか? これが最初の謎である。
車輪が発明される前は、人々は根と枝を切り落とした丸太を使っていた。図では、巨大な石の塊がローラーの上で引っ張られているのが見える。・・・