米国製ランブラー号は当時の人気ブランドで、小説家の志賀直哉も神田の濱田自転車店で購入し乗用していた。志賀直哉以外で当時ランブラーを愛用していた人に那珂通世がいた。彼は「奥州転輪記」(明治34年4月1日発行の『自転車』所収)の中で次のように書いている。
余が乗れるは、ランブラーなり、世間に余りはやらぬ旧式の車なり。然れども此車は、余が為には実に善く忠勤を励みたり
ランブラーの意味は「ぶらぶら歩く人」でゴーマリー&ジェフリー社製の銘柄車である。
世界無錢輪行者中村春吉
君の談片
世界無銭輪行遂行者中村春吉君の輸行經驗談は各新聞紙争って之を掲げたるを以て一般輪友諸君は既に知了されたるなるべければ本誌は殊更にそれを贅せず唯だ新聞紙の記事に漏れたる中にて輪友の大に参考となるべき分丈け追々に紹介すべし偖て同君の
▲平均一日の疾走哩數 を聞くに
印度 八十哩
伊太利 五十哩
佛蘭西 五十哩
英吉利 七十哩
亞米利加 六十哩
土耳古 不明
即ち自轉車旅行に對する行動に於ける道路の良否を判定するに足るべし
▲自轉車用豫備品の最も必要なりしものは
各部廻轉部に要するボールのみなりし由し
其時々付替へて輪行せられたりと又チェーンの如きは少しも予備品の要用なく是等は其二三節を満一の準備に携帯すれば沢山なりと
▲タイヤーの耐久力
君はランブラー號に乗り通うされしも車は始終一つ車にて少しも損じたる所なく唯だタィャーは此旅行中三度取替へられたる由なるが君の經驗によれば先づ普通のターヤーは凡そ四千哩は優に保つべしと而して君の乗用車は余程古き出來のランブラー號なるが此旅行中該車製造会社に立寄りたるに同社にては大に君の挙を壮とし且つ其乗用車を紀念のため譲り吳れよ其代りとして同車數台を君に送るべしと頻りに梱望したる由なれど君は固く拒んて肯へりしと記者其理由を問ひしに君曰くどうしてどうしてあの車は私の大事な車です且つ此節出來るランブラーでは迚もあんなに丈夫な訳には往きません・・・・
(以下次就)
因に同君は旅行中の疲労を休め且つ留守中の用事を片付け少しく閑を得次第旅行中の奇事珍談をものして本社へ寄せらるる事を約せられたれば次號には定めし弁を掲載し得るなるべし