2021年3月9日火曜日

日本輪友会について②

 日本輪友会について②

 それから「自轉車」という機関雑誌も作りまして、たしか此れは5号まで出して廃刊したと思って居りますが、何しろそう云う風で盛んに会員も募りましたし又雑誌の上では欧米の自転車界の事跡も調べて報道しまして、大いに斯の道を奨励したので御座います。
此雑誌は私も保存して置いたのですが只今一寸見えなくしました、多分慶応義塾の福沢さんの所には保存して有られるだろうと考えます。それから能く遠乗会も催しまして5、6里の所へは毎度出掛けましたが、其当時は今日の百分の一も乗り手は無いので至る所で自転車乗りが行くと珍しがりまして、なかなか面白い話の種を作りました。
 その中で覚えて居ります事を一つ二つあとでまた話しましょうが、斯う云う風で出来た此会が自転車団体の最も古いもので、それから帝国輸友会とか、大日本双輪倶楽部とか、東京バイシクル倶楽部とか云うのが出来て、遂に今日の如く全国至る所に種々な自転車の団体が結ばれたので御座います。
(半開速記)

以上は「輪友」第17号、明治36年3月10日発行の記事である。

日本輪友会の設立については、当時の新聞にも次のように出ている。

明治26年7月11日付、朝野新聞
日本輪友会同会は自転車に関する諸般の研究を主とし、併せて同好者間の楽しみをともにせんとする一の倶楽部にして、当分京橋区南鍋町二丁目十二番地の交詢社内に事務所を置けり。
創立の趣旨は、自転車実用の道を啓かんとするに在りて、大いに会員を募集し、雑誌を発兌して一般会員に配布し、また会員の好みに応ずる外国製の車類及び附属品などを購求するの便益を謀り、併せて社交上に一新生面を開かんとする見込みなるを以て、会員二名紹介さえあれば、自由に会員たることを得べしという。

また、機関誌「自轉車」の発行についても、明治27年2月23日付の東京朝日新聞に次のようにある。

自轉車と題する雑誌出づ昨今同車の流行に連れ之に乗る人の機関となるを任ずるもの発行所は京橋区南錦町二丁目十二番地交詢社内日本輪友会

 この雑誌については現在のところ未見である。5号まで発行したとあるが、どの様な内容のものか興味深い。
慶応義塾大学の図書館あたりにないだろうか。
 日本最初の自転車専門雑誌と言われる、明治33年に発行された佐藤半山の「自転車」は、一般読者を対象に販売された商業誌であるが、この日本輪友会発行の機関誌は恐らく日本最初のクラブ誌だろう。

つづく

「輪友」第17号の目次
明治36年3月10日発行