2021年3月4日木曜日

雑誌『自轉車』

 雑誌『自轉車』について

明治36年8月5日発行「輪友」第22号58頁に次のような短い記事あり。

●雑誌『自轉車』

 去る五月十日發行第三十三號以来沓(よう)として其消息を聞かず幸に健在にして一日も早く次號の發行を望む


註、明治33年に初めて発行された月刊専門雑誌「自轉車」は、はじめの数年は勢いがあり、内容も充実していたが、この頃になると元気がなくなり、この記事にあるように発行の遅延を来す様になる。

以前このブログでも触れたが、明治40年頃から精彩を欠くようになり、その誌面に変化がでてきたと述べたが既にこの頃からその兆候が現れたことが、この短い記事からも読み取れる。

以下は先に書いたブログの内容の一部である。 

「知られざる銀輪のわだち」その16 
佐藤半山と雑誌「自転車」㊦

明治40年代以後は誌面に活力がなくなる
 いままでのべてきたように明治30年代の『自転車』は、当時の自転車事情を反映して、珍奇談をふくみながらも活気にあふれた誌面を提供しつづけていた。
 しかし、その様相は明治40年代から大正期に入るとしだいに変化する。活気が衰え、誌面づくりにも苦悶しているかのようになる。
 実は、この連載と併行して進められていた、佐藤半山と『自転車』の調査がかなりはかどり、いままで発見できなかった明治40年代と大正初年の同雑誌がまとめて発見された。このため『自転車』が歩んだ軌跡がある程度たどれるようになったわけであるが、そこからわかることは自転車文化の衰退である。
 その変化をのべる前に、新しく発掘された資料によって判明した事実をかんたんに紹介しておきたい。

雑誌『自転車』は関東大震災まで発行されつづけ、最後は『自転車月報』という業界新聞に切り替えられる。この業界紙は半山の死後も継続して発行され、昭和9年ごろまで出されていた。