2021年3月15日月曜日

世界自轉車旅行者中村氏

  明治41年発行の「輪界」創刊号に中村春吉の記事と写真があったので、以下紹介する。

 どうもこの記事はドタバタ喜劇のような内容で、少し呆れる。型破りの中村氏の一面をここでも演出している。以前の中村春吉の直話でもこのようなトラブルは毎度発生していた。これら騒動の海外版といったところであろうか。筆者の誇張もあるはずだ。

世界自轉車旅行者中村氏の新嘉坡の滑稽業

一聞生

中村春吉氏と云へば苟くも輪界に事をなすもの共名を知らぬものなし、故に此處に中村氏を紹介するは寧ろ無用に似たり。然かれども氏一と度び自轉車を以て世界無銭旅行をなし、其內には百難を排し九死一生の間を逃れ、又非常なる歓迎を受け、或は滑稽殆んど腹もよれんとすることあり。故に其談を聞くもの或は戦慄して心胆を寒からしめ、或は欣然自ら愉快を覚へ又滑稽に至りては人之れを笑い顔面殆んぞ皺となり之れを延ばすに火熨斗(ひのし)を要することあり。されば其一端を載せ未だ知らざる人に紹介せんとす、幸に読者の一読を得ば幸甚なり。

尤も中村氏の写真は載せて口絵にあり、一見あらば氏の貌を知るを得。此談話は余の友人某絵を送りし時余に語りしものなり、されば時々其談片を載す。

中村春吉氏無銭にて自轉車旅行をなし終に新嘉坡(シンガポール)に着ひた、時に氏は奉公口を探さん為め所々方々をあるいた、しかし水をかけられ又は種々の目に逢はされ終に赤き家に行いた、ところが家は鎖まって居た。それでごめんごめんと声をかけた、時にいと優さしき女の聲にて返事があったそして戸は開かれたそれで種々の話をしました、すると奥の方より一人の西洋の妻君が出て來て、おまへ何しに来たのかと問ふたそこで中村氏は私は奉公口を探しに来ましたから、此家で若し御入用ならば私を御使ひ被下義叶ひませんかと申しければ、其妻君は中村氏を見るやおまへは実に不都合千万な男だとののしった、そこで中村氏はさっぱり理由が分からんから如何なるわけですかと問ふと其妻君は次第に顔色に怒氣を帯び、此家の下女を盗み出し又よくも此家に来たなと怒鳴る、それで中村氏益々理由が分からず夢ではないかと自から自分の自體をつねた位であった。中村氏の斯く口で云ふばかりであれば怒りもせぬが、しかし妻君大に怒り如何するか今に見ろと云って、大きな青竹を持つて來て中村氏の頭を打った、中村氏は不意を喰ってびっくりして大に驚ひた、ところが其妻君は又中村氏を打ったが、中村氏もそふそふ幾度もは打たれず此度は身をかわして竹を引き取り玄関の段からなげ落した。で妻君は大に立腹して中村氏に打て掛らふとする、中村氏は一度はしゃくにさわり妻君をどふにかしょうと思ふたが、斯くの如さ西洋の一婦人に對して腹を立てるのは、我々志あるもの、不名誉ではあるが決して名誉でない、只馬鹿なからかひしても一度怒らしてやらんと、又種々の悪口を言ふた、妻君さらに愈腹を立て嗚呼くやしひしひと云って益々中村氏を如何ふかせんとする、であるから中村氏も愈々面白くなり終に目を引っ張り尻を向けこれ喰へと二ッ三ッたたひた。妻君は実に日本人ばヅゥヅゥしひものだと顔色愈々赤くなり言葉さへ振へた、そうしてくやしいくやしいの一點張りである。氏益々面白くなり終ひに目を引っ張り後を向け馬鹿と云ふなりに逃げ出した、それで妻君は西洋婦人の例に慣ひ袴の尻をかかへさばさば云って追っかけた、それで中村氏は笑いながら逃げると其妻君は石を取つて中村氏になげつけた、其妻君なかなか石なげが上手と見へ石が中村氏の頭に命中した、中村氏これにはたまらい少しは痛ひ感じがした。されど益々からかわんと罵詈を極めた、そこで其妻君は愈腹を立て石をみだりになげつけた、けれどもふ一つも中らぬ、中村氏は自轉車に乗って四五丁ピューと馳せて逃げた、すると妻君もあきらめたと見へ中村氏がふり返りて見たときは巳に尻をかかへばさばさと玄関へ歸るところであつた。

理由の分からいのは中村氏、はて新嘉坡の人は皆狂者かしらと思ふて見たり、それからどうして我一人こんな目に逢ふか人違ひではないかと思ふて見たりして居た。けれども是れには一の理由がある、其理由は紙數の都合によりて次に譲るを以て讀者に断り置く

つづく

明治41年9月25日発行「輪界」創刊号 34頁~36頁

本文にも書いてある口絵
自転車は米国製のランブラー号