2021年3月13日土曜日

日本輪友会について④

 日本輪友会について④

 ダルマ形自転車の時分には何しろ車輪が馬鹿気て大きかったもので、畢竟そん滑稽な大失敗があったのですが、もう此節の安全自転車になっては車体が低うございますし、それにはコースターブレーキなども輸入されて居りますし、又乗り手も大変熟練して来て居りますから、乗り手の多くなった丈け失敗もあるようですが、昔のような大失敗の無くなったのは、何より結構だと思って居ります。まだ思い出してお話しすれば種々な出来事がございましょうが、何しろもう古い事で日記にでも書留めて置かなかったことは思い出す事もできませんから、今回はこれだけで御免を蒙って置きましょう、いずれ又輸友諸君の御参考になるような事でもございましたら、お話し申すことに致しましょう。完(半開生速記)

「輪友」第18号 35頁、明治36年4月10日発行より

この頃まだ、ダルマ自転車でサイクリングをしていたことがわかる。屋台店に突っ込んだのは、一体誰であろうか。名前は分からないが、右近氏か或は森村兄弟の一人かもしれない。森村兄弟は、米国製のゴマリー&ジェフリー社製のオーディナリーを持っていたことが知られている。左近氏も当時オーディナリーに乗っていた。

日本輸友会のサイクリング行事については、当時の新聞にも出るほどで、まだサイクリングそのものが珍しい時代であった。

明治27年1月11日付の時事新報
日本輪友会(自転車倶楽部)にては、旧冬まで事務所を府下京橋区銀座2丁目14番地に設けおきたれども、集会上不便少なからざるにより、会の常務取扱所だけを京橋区南鍋町2丁目12番地の交詢社内に移して、集会の場所は近郊に分設する事に改め、旧冬取り敢えず池上の光明館、目黒の内田屋、王子の海老屋を選定して、既にそれぞれ特約を結びたれば、来る14日 (日曜日)を以て、第一回に王子行きを催す事に決したる由。もっとも同日は広く会員外の有志者をも募集して、1日の遊楽をともにせんとするものにして、同行者は当日の午前10時までに、上野公園内精養軒前の休憩所辺りにて待ち合わせ、同刻より王子に向かい、王子よりゆるゆると郊外を乗り回す計画なれども、もし当日雨天なれば、次の日曜日に延ばす予定なりと云う。

日本輪友会は、この様に各所に集会場を設けるなど、発足1年たらずでかなりの会員数を擁したものと思われる。
第三回のサイクリングは、梅見をかねて、2月18日に行われている。

明治27年2月17日付、東京日々新聞に、
日本輪友会、近郊へ観梅のサイクリング
第3回自転車郊遊
日本輪友会にては、明18日を期して、亀井戸、木下川、向島等の各地へ自転車を駈り、会員の観梅野乗りを試むる由にて、当日午前10時までに神田区錦町の吉村方に待ち合わせする予定なりと。

日本輪友会につづく自転車倶楽部は、その後、全国各地に発生し、サイクリング熱が、盛んとなった。また、自転車競走会も行われるようになり、更に発展していった。

「日本輪友会について」はこの辺で(完)とする。